207回目 2019/10/8
もはや常連になっているので、私が見ているまとめサイトの名前を(無断で)出しますね。
『読み速』さんです。
ネットサーフィンしているときに見つけました。創作系の記事もちらほら出るので、だいたいここでネタを探してます。実際に役に立ったかは……微妙ですけど。
今回はタイトルが『書籍化経験のあるなろう作家だけど質問ある?』というスレッドを紹介した記事から、気になるというか気にするコメントを見つけた。
話の流れとしては、タイトル通り自称・『なろう書籍作家』がスレ主となり、寄せられる質問に答えていく(締め切りが数日後でヤバい時期らしいが)というよくあるタイプの内容だ。
まとめサイトでのタイトルとして取り上げられていたコメントは、『もうどうやって長く引き伸ばすかと如何に読者に媚びるかしか考えてない』、という部分だった。
そのコメントがある前に、『自分の作風を曲げて流行に乗った(元はラノベ作家志望だったし、なろう系は好きじゃなかった)』という発言もしていて、『書籍化=商業化』になった創作活動の苦労を考えさせられる。
スレ主によると、『敵側の人数と陰謀をインフレさせつつヒロイン増やしては主人公を勝たせて持ち上げる、をひたすら繰り返し。ストーリーなんてないに等しい』と述べていた。
本人に自覚があるほど、時流と商用に徹した作品づくりをされているようで、私にはたぶんできるかわからないのですごいと思う。その方からしたら、作風を曲げずに続けているのもすごい(自称・脚本家のレスに反応していた)らしいけれど。
メインの紹介はたぶんそちらだったのだろうが、私が一番注目したのはその中でちょっと地味に扱われているコメントである。
・質問者
ストーリーの着地点とかは考えていないってこと?
プロット作らない派なの?
・スレ主
100万字近く連載しているからね
プロットなんてもう使い切った。
そう、『連載で100万字いったらプロット使い切った』……ここの部分だ。
一目見た瞬間、私は雷に打たれたかのような衝撃を覚えた。
『え? 私の連載、100万文字越えてプロット消化率2~3割なんだけど……』
知らなかった。世間では100万文字を越えたらプロットなんて使いきれるものなのだとは……。
これがカルチャーギャップ? いや、同じ『なろう文化』に属する人なのだろうから、文化的差異ではないはず――ということは、ジェネレーションギャップというやつなのか……?
いや、弁明はまだできる。とある匿名作家の一例でしかないのだから、これが必ずしも一般的ではない、なんて言い訳をしようと思えば、何とか……なんとかっ!!(必死)
ネット広告でいう『うそ! 私の小説、遅すぎ……!?』状態である。おまけに元ネタでもある『年収』も『低すぎ』というダブルパンチだ。orzと落ち込んでる場合ではない。
しかし……、本当に私のストーリー展開の遅さはどうにかしなければいけないのかもしれない。文字数が増えれば増えるほど新規の人は入りにくくなるし、読者になってくれた方も読み直しがしんどくなる。
我ながらもっとやり方があるのではないか? と思うのも事実だ。【普通】だと主人公一人称のほかに、ヒロイン視点を設けているのが遅延の大きな原因だ。ちなみに、三人称作品になるといろんなキャラの場面を書こうとするのも、わかっている。
どうも、作品に関わるすべてをなるべく詳細に描いてしまおう、という『貧乏性』が悪い方へ出た結果にしか思えない。
私には、もっと『捨てる覚悟』が必要なのだ。
作品に書き込む『設定』を捨て、物語の進行に不必要な『シーン』を捨て、時に入れた方がいいと考えた『キャラクター』も切り捨てられなければならないのかもしれない。
頭ではわかっているのに、子供時代から身についた『貧乏性』はなかなか抜けないものだ。一度抱えてしまうと、なにもかも『もったいない』と考えてしまう。いずれ『ため込み症』とかにならないか心配だ。
今の【普通】のやり方は『アマチュア』だからやれることで、『プロ』の目線で考えれば修正すべき欠点なのだから、改善できるならどうにかして改善したいところである。
……とかいいつつ、ストーリー遅延の大きな要因である『童話』をダラダラ続けるつもりなので、もはや救いようがないのかもしれません。
やれることはやっときたい、という自信のなさも大成できないところなのでしょうね。




