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204回目 2019/10/5

 久しぶりに『虎○門ニュース』から書いてみました。


 昨日10/4(金)の放送でやっていた特集で、『被爆と健康』と題した放射線と人体に関するトピックスをやっていた。


 それによると、どうも放射線の被曝量と人間の健康に関する『明確な数値による影響』はわからないらしい。


 少々倫理的に問題がありそうだが、実験用のラット約700万匹を使って放射線被曝について研究した学者もいたそうだが、結局どれくらいの被爆量からが『危険』かの線引きはわからなかったそうだ。


 つまり、現段階で『科学的』にも放射線被曝に関する『安全』は保証できない状態なのだという。


 とはいえ、基準自体は存在するらしい。が、それは『社会的』に望ましいか望ましくないか、という区分けであり実質『感情論』を優先させた基準みたいだった。


 確か紹介された図では、1mSV(シーベルト)/y(ねん)以上だと『社会的な影響が大きい』で、ある一定の基準までは『懸念はあるが容認できる範囲』で、またその下に『社会的な影響は小さい』みたいな基準を示されていた。


 直接的に人体への影響があると確認されているのは2mSV(シーベルト)/y(ねん)以上からだと紹介されていたが、放射線被曝に関しては子供世代や孫世代まで影響を考えねばならないらしい。よく言われる、遺伝子が傷ついたことによる奇形児の出生率上昇に関してだ。


 こちらも、まだどれくらいからが『危険』、という明確な基準はないそうだ。明らかにこの被爆量を超えると『危険』だという指標はあるらしいが、やはり『科学的な証明』はされていないらしい。


 そして、少し前にニュースでやっていた(と思う)が、大阪の松井市長が福島第一原発の『トリチウム』を含む処理水に関して『安全が確認されれば放水も検討する』みたいな発言をしていた。


 ニュース内ではそれにも少し触れ、科学者も『安全』を『保証できない』ものについて提案するには若干不適切かもしれない、という趣旨で私は受け取った。(放水すること自体を批判してはいなかった気がする)


『トリチウム』も例に漏れず、人体への影響がまだ『科学的』に不透明な状態であり、専門家の間でも『有害』か『無害』かの結論は出ていないそうだ。少なくとも、現時点では『影響は少ない』と判断され、各国の原発から出た汚染水・処理水は希釈した上で海へ放水されるらしい。(もちろん、福島原発にうるさい韓国でもそう)


 さて、詳しくはユーチューブなどでニュースを実際に見ていただければいいが、ここまでの内容から私が言いたいことは『放射線の被爆はわからないから、処理水はガンガン流そう!』ではない。


 私が気になったのは、人間を現代まで発展させてきた『科学的データ』が、未だに『感情論』で否定されてしまう可能性が高い、というおかしさだ。


 たとえば、日本の環境大臣も出席した世界環境会議(だっけ?)にて、16歳くらいの環境活動家・グレちゃっタさんがしたスピーチがやたらニュースで騒がれた。


 意見はいろいろあるだろうが、私のアンテナで集めている範囲でいうとグレちゃっタさんへの見方は厳しい。というより、彼女を利用したであろう背後関係にいる大人に関して厳しい意見が多い。


 私が見ている『虎○門ニュース』でも、『子供の政治利用』という言い方で非難していたし、共産主義とか左翼とかが行ったとされる『子供』を利用したプロパガンダの例を紹介していた。


 政治という舞台において、『子供』を担ぎ出すのは『卑怯』でありながら『最後の手段』でもあるらしい。『意見の批判』が『子供への批判』にすり替えられ、逆に非難の対象とされてしまい議論にならないからだ。


 そもそも、『子供』は基本的に『知識が浅い(もしくはない)』上に『大人によって洗脳されやすい』存在だ。主義・思想の面において『子供』は純粋で染まりやすいため、『悪い大人』こそ利用しやすい『政治の盾』であろう。


 グレちゃっタさんなんかは特に『アスペルガー』を公表しているらしく、対人コミュニケーションにおいてすでに不安のある人だ。『アスペルガー』の方はたいてい、独自の強いこだわりを持っており、それを否定・妨害されると一気に感情的になってしまい、時には暴れたりもするようだ。


 そのような人が環境について『人道的・感情的』な立場でしか論理を展開できないのは自明であり、それを利用して世界の国の代表が出席する場に登壇させたのは、なるほど『フェア』じゃない。


 しかし、ニュースで大きく取り上げられるように『子供』を使うのは『印象的』で『効果的』なのだ。たとえ『科学的』な意見を持っていなくとも、『科学的』なデータに対する反論ができなくとも、『子供』ということと『感情論』だけで『何となく』押し通せてしまう力がある。


 他にも、『声が大きい(ノイジー)少数派(マイノリティ)』などと呼ばれる人々が上げる意見が新聞やテレビ(マスメディア)に取り上げられると、人々は割と簡単になびきやすくなる。


 それも、一度だけでなく何回も行うことで視聴者に刷り込みを行い、新聞やテレビ(マスメディア)が批判したい人や組織を『非難すべき対象へ誘導できてしまう』。


 有名なのが、ナチスドイツのラジオかテレビかの電波を使った演説による思想統制だろう。日本のマスコミも、朝日や毎日やNHKなどの例を取っても『客観的事実(データ)』よりも『政治的思想(イデオロギー)』の立場を優先して情報を発信している節が強い。


 俗に言う、『報道に角度をつける』だとか『報道しない自由』だとか『編集の自由』だとかいう言い訳だ。ちなみに、『従軍慰安婦』などというねつ造報道を放置している朝日新聞の例もあるように、こうした勢力は『自由の権利』を主張しても『自由の責任』は無視するとんでもない連中であることが多い。


 まあだいたい『日本が悪い』と主張する人々にそうした傾向があり、やたら朝鮮や中国共産党を持ち上げ支持している。主体(チュチェ)思想とか中華思想などに染まった、日本排斥勢力の一部なのだろうがそれはさておき。


 途中から私自身も感情的になりながらも、長々と語った上で思ったのは『人間はいつまで経っても感情には勝てない生き物』なんだ、ということだ。


 いくら『科学』が進歩したところで、『専門的な知識』であるがゆえに『知識がない大衆』への普及がうまくいかず、結局は『感情を動かした側』か『大勢が認めている(とされる)側』についてしまう。


 私たちが書く『なろう異世界』でもそれは同じだろう。その世界がいくら『科学技術』や『魔法技術』に優れていたところで、人間は決して『感情』には勝てないし、『感情』からは逃れられない。


 たとえ『感情論』による嘘で塗りたくられた『正義』でも、大勢の人が信じてしまえばそれは『正義』になってしまう。


 人間の決断で最後に背を押すのは、『客観的事実(データ)』よりも『主観的感情』なのだ。小難しい理論よりも、みんなが乗れてわかりやすい方が『強い』のだ。


 そう考えると、『○法少女まどか☆マギカ』に登場したキャラクターの『きゅうべえ』により語られた『合理的な思考』が、とても『成熟した精神』のように思える……『人道的』な見地からするとめちゃくちゃな理屈ではあるので、あくまで『科学的』な正当性を見る分には、という注釈はつくが。


 多くのコンテンツで描かれているように、人間は『感情的』であるから『人間』たらしめているところがある。最後に勝つのは『温かい人の心』、みたいな『感情論』でごり押しももはや『様式美』だ。


 対してあまりに『合理的』すぎると、それは『冷酷』とか『機械的』など『人非人(にんぴにん)』のような罵倒(ばとう)される対象となってしまうおそれがある。


『感情的』になりすぎると周りが見えなくなり、『合理的』すぎると周りから見てもらえなくなる。


 人間の生き方としてもバランスが大事なのはわかるが、『科学』という『合理性』が一部の知識層でしか共有できない世界に、バランスもクソもないんだなと思ってしまう。


 個人的な思想として、都合のいいことばかり叫んで国の税金を食い物にしようとする日本内の売国奴(さよく)勢力には言いたいことがいろいろありますが、ここでは置いといて。


 なんかこう、結局は『感情で流したもん勝ち』なんだなぁ、ということに感心したり呆れたりした、という話です。


 貧しい国(きたちょうせん)が核兵器で世界に存在感を(かまって)アピールするように、少数派(さよく)が『道徳や感情』を武器にして大衆を煽動(せんどう)するのは『弱者の戦略』なのでしょうね。


 自分の利益や目的のために大勢を巻き込めればそれでよし、問題の中身は何でもいいし問題がうやむやになっても目先の利益が上がれば構わない、みたいな考えはどうしても好きになれません。


 議論するなら論点をずらした『感情論』じゃなくて、事実と証拠で『合理的』に反論してくれないと納得できません……具体的に『愛知○リエンナーレ(どんなもんだいのこと)』とは言いませんけど。


 県民からの抗議を『威力業務妨害』と勝手に判断したり、芸術展の申請における報告段階で発生した問題から補助金の不交付が決定したのに、『表現の自由』に話をすり替えて国の税金をせびったりする大村(どっかの)知事とは言いませんよ、ええ。


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