198回目 2019/9/29
なんか久々に思い出しました。
昨日から長編作品の更新をしているが、ずっと忘れかけていた感覚を現在味わっている。
そう……無意味にマイページを何回も覗いてしまう、言いようのない焦燥感!
今さら変わらないんだから無視しとけばいいのに、気になって気になって仕方がない謎の吸引力!
そして、期待と不安を半分ずつ運んでくる赤文字の恐怖!
長らくエタっていると、連載の感覚もとんと忘れてしまうものなのだろう。ずっと放置していた反動か、そわそわ感がもはや初心者投稿者のそれである。
まあ、今回の更新だと文字数はさておき話数はさほど多くないので、この心臓を羽根ペンでくすぐられるようなムズムズ感も長くは続かないと思われる。
こうして考えると、私という人間は本当にプレッシャーとストレスに弱い生き物なのだなと痛感する。作風は『他人の常識のなんたるものぞ!!』って雰囲気を醸し出しているのに。
当時も思っていたかもしれないが、ランキングに載るような作者様がこれ以上の重圧を覚えながら毎日書いているのだと考えると、私は人気にならなくていいや、と思ってしまう。
そりゃあ、いろんな人に自分の作品を見てもらって面白いと思ってもらえるのはうれしいが、私の場合、『人気』の裏にある『責任』の部分に目がいきがちなので、後込みしてしまうのだ。
以前、ここでも全く別の話題で取り上げた、『自由』を声高に主張するために背負うべき『責任』がある、という意見と似たようなものだ。
あらゆる『権利』には、それ相応に守り通すべき『責任』が付随する。自らにも一定以上の『リスク』を抱えなければ、あらゆる主張はとたんに形骸化してしまうだろう。
自分に降りかかるだろう危険を承知で行動し発言するからこそ、その人にあたる光は強くなる。功績を賞賛され、支持を増やし、多くの味方を得ることができる。
一方で、責任を負うからこそ闇もまた強くなる。成功を妬まれ、名誉を傷つけようとする明確な敵となって、同じくらい多くの人が足を引っ張ろうとするものだ。
特に小説などの創作物では、誰もが納得できるような作品なんて誰も作ることができないのだから、有名になろうとすればするほどファンもアンチも増やしていくことになる。
だから私は、どこかマイナーで内輪のノリを維持できそうな『サークル』っぽい規模で楽しめればそれでいい、と思ってしまうのだ。
もともと『なろう』ってそういう場だったはずだが……時代の流れは変わってしまい、ブクマ・ポイント・売り上げなどの評価主義が強まった印象がある。
私の息がしやすい生息域は『浅めのアングラ』なので、もうちょっと薄い日陰ができている部分に逃げないといけない。太陽が強すぎても陰が濃すぎても生きづらいのだ。
ゆったりまったり、争いとは無縁の場所でのんべんだらりと過ごしていたい。
それが私の、作家としての理想かもしれない。
商業で売れたい! なんて言っていた頃とは大違いですね。我ながら、年をとってひよったものです。
それに、売れると一口に言ってもいろいろありますよね。なんか、口コミでじわじわ、みたいな速度で売れるのが理想に近いんじゃないか? とは思います。
その点、『なろう』で見かけるような一気にどーん! と売れるのって怖いですよね。瞬間的な知名度が上がっただけなので、実力が伴わなかったり読者との感性がはずれたらすぐにボロが出ますし。
何にせよ、人生地道にコツコツやるのが一番安定していますよね。




