189回目 2019/9/20
私のいる地域は一気に気温が下がったので、体調を崩しそうです。
自他ともに認めるエタ作品となった【普通】で、いずれやろうと思っている推敲。
手元の辞書には『詩文の字句を何度もねりなおすこと』と書いてあり、最初に書いた文のあら探しにあたる作業なのだが、この作業も善し悪しがあると言われている。
簡単に言えば、作品の『勢い』をとるか『体裁』をとるか、という見方だろう。
推敲をすれば当然、文章としては誤字脱字や設定の矛盾が減り表現も洗練されていくことから、全体的に読みやすくなる。商業作品は何度も校正して修正を加えているので、『なろう』のような素人投稿サイトと比べると一目瞭然だろう。
ただ、推敲はやればやるほど『面白味がなくなる』とも言われている。誤字脱字といったミス以外にも文章による表現も添削することから、最初に書いた感情丸出しの文章より熱量が下がるのだ。
これが『勢い』と称したもので、文章のあらが目立ちながら『引き込まれるような力』を感じる作品になっている場合がある。
そうした作品は推敲を重ねるごとに文章が一般化していき、作品の売りになりえた『勢い』が消えていく。よりよい作品にしようとしていた作業が、逆に持ち味を殺していたということになるのだ。
一概に推敲が良い・悪い、と言いたいわけではないが、他の作家はどれくらいやっているものかと気になるときはある。
私は現在だと一回か、やっても二回で『なろう』に投稿する。ただし、執筆中も推敲をやりながら作品を書いている状態に近いなので、実際はもっとやっている可能性はある。
それと真逆っぽいのが、ランキングでも長期間上位にいながら『誤字脱字が多い作品』だろう。これの場合、小さな欠点が気にならないほど『勢い』があって面白い作品に仕上がっていると言える。
私としては推敲をしていない(ように思える)作品の『勢い』がうらやましく思うのだが、どうせこれも『隣の芝生は青い』状態でしかないのだろう。
適切なたとえかはわからないが、推敲が多いのは『優等生的作品』で、少ないのは『パリピ的作品』だと思っている。アマチュア作品のおいては特に、その傾向が強いような印象だ。
『優等生』は、一応私の感覚で語らせてもらえれば、とにかく『細かいミスが恥ずかしい』と思ってしまうので、『失敗する恥』をなくそうと推敲を繰り返す。
多少時間がかかってもいいから、見た目が少しでも見苦しくないものを、という感覚のため『消極的なこだわり』と言えるかもしれない。
『パリピ』は、私の想像だととにかく『面白ければそれでいい』という感覚で作品を書いているような気がして、『思いついたネタがこぼれ落ちないようにとにかく書く』ことを最優先にしているのでは、と考える。
つまり、見直しなんかしている時間が惜しいほど、書きたいことがあふれて止まらない、という感覚が強く『積極的なこだわり』としてのライブ感を重視しているのだろう。
そうした決断の早さや取り組みの積極性は、うだうだと悩んでしまう私からしたらとても尊敬できる能力だと思う。推敲の場合はプロだと必須なはずなので、バランスが大事だとも思うけれど。
どれだけ書いても『これで完璧!』なんて思えるようなクオリティには一生ならないのだから、推敲の程度って難しいなと毎回見直ししながら思っている。
私の場合、最初に書いた文章は書く順番がちぐはぐなことが多いですね。特に説明や解説などは、勢いで論理展開するとちょっとわかりにくい構成でやってることが多いです。
そういうのをちらほら気にしてしまうと、よけいに推敲から離れられなくなるんですよね。ほんと、クオリティを気にしない『この作品』みたいにやれれば楽なんでしょうけど。




