184回目 2019/9/15
たまたま似たようなエッセイや記事を読んだので、少し考えてみました。
前々から言われていたことだが、出版業界で『なろう』を始めとしたウェブ小説の特性が悪影響として広まりつつあるようだ。
たとえばファンタジーといえば『なろうファンタジー』が主流になりつつあったり、ウェブ小説から作家デビューした人は基本的に使い捨てにされたり、などの話になる。
前者は『なろうファンタジー』以外の、オリジナル色が強いファンタジーは使いにくいという話だった。理由は単純明快で、『売れる保証がないから』だという。
内容の善し悪しはさておき、『なろう小説』の良い面としてネットですでにある程度のファンを獲得しており、一定の利益を見込めるというものがある。完全オリジナルファンタジーだと、当たり前だが保証はない。
それが出版業界としては『博打』でしかなく、ハイリスクハイリターンな選択はできないというのが本音だとのこと。出版作品の選出を『宝くじ』と称していたのだが、感覚としてはその通りなのだろう。
ただ、小説大賞などの応募でデビューする場合は、逆にオリジナルファンタジーの要素が求められているようだ。使い捨てに等しい『なろう』と違い、作家の『個性』や『将来性』も見込んだ『投資』に近い面があるらしい。
まあ、それでも出版不況は変わらないため、そう長く育ててくれるわけでもなさそうだが。それでも、先に賞金という形で『投資』をする分、出版社側にも『責任』を負う部分があるかららしい。
そう考えると、『なろう』などウェブ作品のデビューは『商品発掘のコスト』がものすごく低いため、『使い捨てにしやすい』という理屈に納得してしまう。同時に、『作家を育てる』という感覚の欠如にも。
現段階におけるウェブ小説の代表である『なろう作品』は、いってしまえば雨後の筍だ。勝手に放置してても一定の品質で生えてくるものに、時間もお金もかけてられないという本音が見えてしまう。
そうした傾向が、『なろう』を含むラノベ業界全体の『ジャンク化』を進行させている大きな要素になっているようだ。もはや焼き畑産業の体をごかませない域まで達しているように思える。
実際、既存のラノベの質を問うのは置いておくとしても、商品棚を埋める『なろう』の増加は止められそうにない。『今はなろう系ファンタジーしか売れない』と匙を投げる編集の人も多いそうだし。
流行だから、と逃げるのは簡単だが、もう少し出版業界の方から『育てよう・盛り上げよう』という気風がでてもいいのではと思ってしまう。私は書籍化作家ではなく今のところ第三者的立ち位置なので、今のうちに好きなことを言っておこう。
とはいえ、業界全体の大きな流れの中に作家自体の質の低下も無関係とは言わない。私とて、お世辞にも人様に読まれるような作品を作れているとはとても言えないし。
出版の景気はデフレの真っ最中なイメージが拭えないが、どのような打開策があるかの見通しは立っていないだろう。一人の天才がでたところで、またそれの後追いがどんどん現れるだけだろうし。
まあ、文芸という『芸術』を大量消費する商品に落とし込んだツケがきた、と考えたら避けられない衰退なのかもしれない。
文芸の健全なイメージは『売るために作る』ではなく、『作ったら結果的に売れた』だと思う。それを逆転させた齟齬は、どうがんばっても修正できないと考えてしまう。
業界批判、という形になってしまうのでしょうか? 論理展開が大げさなので、単なる与太話にしかならないでしょうけどね。
アマチュアの私にできることは、私なりに作品の質を上げていくことくらいでしょうか。
一般ウケなんて、クソ食らえだ!(※状態異常・混乱)




