176回目 2019/9/7
たぶん私だけだと思います……。
最近までほとんど意識したことがなかった政治系のニュースを意識するようになり、ちょっと気持ち悪くなるような感じが増えた。
日本のメディアの特徴か、それとも日本人の情報感度がネガティブ寄りなだけなのか、どうも日本にとってあまりよくないニュースばかりを見聞きしている気がする。
まあ、中には日本の文化や習慣などに注目してべた褒めするような海外の声をまとめている記事も見たことはあるが、それはそれでむずがゆいというか大げさと思ってしまうのはわがままなのだろうけど。
それはさておき、私はどこか『潔癖』の気がある性格をしており、そのせいかどうも悪いニュースばかりを見ていると気分が悪くなると気がついた。
吐き気とか酩酊感とかいった肉体的な不調を催すものとは違い、こう、心というか気持ちというか、そういう部分がズーンと重くなって拒否反応を示してしまうのだ。
私がよく話題に挙げるようになった韓国系のニュースはもとより、この日は北朝鮮の拉致問題とかでもこの症状が出た。少し前は、中国のウイグル人への差別とかはひどかったし、香港デモとかも少し思うところは増えた。
こうしてわき上がる気持ちは、怒りというか悔しさというか、それに近いがよくわからない感情で構成されている。ともかく、精神的な疲労が大きいのは確かだ。
許容量を越えるといろんなやる気がそがれ、寝ころんでぼーっとしてしまうことも問題だろうか。昼寝とか仮眠とかでリフレッシュすることで対処している。
そうした精神的なもろさを自覚したとき、改めて感心したのは『日常系アニメ』だった。たまたま気分が沈んでいるタイミングで見たとき、いつもよりリラックスして内容をみれた気がする。
今までは割と何となく見ていたジャンルのアニメだったが、すさんだ心の時に見るとほっとして安心できるのが魅力なのだろう。一部でロスが騒がれるのもわかる気がする。
いろんな刺激によって荒れた精神状態を休めるのに、刺激が少ないコンテンツは一種の調整役になっているのかもしれない。抗うつ剤みたいなものだろう。ご使用の際は用法用量を守って、という奴だ。
当たり前だが、世に供給されるコンテンツは絶対に誰かに刺さるような需要や強みを持っていて、愛されているからジャンルとして確立し存続しているのだと思えた。
今後、自分の創作に利用できるのなら積極的に勉強していこう。
そのためにもいろんな情報を仕入れる努力は欠かせないが、同時にネガティブなニュースへの耐性をつけられればいいな、と願望を抱いてみる。
じゃあ見聞きしなきゃいい――という意見もわかりますが、自分がイヤな気分になるからと避けていれば、感性が偏ると思っちゃうんですよね。
本当にイヤだと思える情報を知っていると、描写の時にその感情をぶつけながら書くことで気持ちを乗せられるかも、という考えもあったりする。
たとえ無機質なキーボードの文章であっても、書き手の気持ちが乗っていれば臨場感は違ってきますからね……私がそう感じているだけかもしれませんが。




