170回目 2019/9/1
今日から九月ですか……時が過ぎるのは早いですねぇ。
突然だが、私はときどき心のタガが緩むことがある。前触れもなく、自分でも想像していない瞬間に。
なぜいきなりそんな話をし出したのかというと、今まさにそんな感覚に陥っているからだ。今、自分でも謎なセンチメンタル気分を味わっている。
おそらく、聞いていた音楽が切ないバラード系で、不思議とクリティカルヒットしてしまったのだろう。特に音楽は、ふとした瞬間にボディブローを決めてくるから困る。
まあ、私が聞くのはだいたいアニソンだったりボカロだったりするので、J-POPはご無沙汰気味ではある。そっちのアンテナはだいぶ前にぽっきり折れたかもしれない。
とはいうものの、私の好きな音楽も上述したようにバラードがメインであり、最初から泣かせる気分にさせれる曲を選びがちなのが問題なのかもしれない。
後は、普段の表情と心がフラットなことが多いので、ふとした瞬間にぼろっと崩れやすいのかもしれない。金属疲労とか、風化とか、そんな感じで。
今思い返すと、私はふだんの生活でそこまで感情豊かな振る舞いをする方ではなかった。友人と過ごすときくらいはさすがに感情を動かすようにはしているが、集団でいるより一人の方が楽だと思うタイプでもある。
すると、大学を卒業してからは人付き合いがめっきり減ってしまい、真顔で生活することが普通になってしまった。鏡を見て顔のしわが少ないのを自覚すると、これは大丈夫なのだろうか? と不安になる。
感情って、どうやって動かす物なのだろう? 自分のこともわからないので、他人のツボを刺激できるのかなんてわかるはずもない。
だからか、私は感動系を意識して書くのは苦手だ。そのことは、前にもこの作品で記述したかもしれない。
そもそも、私は小説を書き始めた頃からして、人の感情という物が理解できなかった。故に大学では心理学を専攻していたということもあるのだが。さすがに、学問だけで人の心なんてわかるはずもなかったが、参考にはなったかもしれない。
小説もまた、人を感動させる手段の一つには変わりない。そんな書き手の末端に籍を置かせてもらっている私が、不意打ちでしか感動を覚えないのはどうなのだろうか?
……まあ、自分の気質は意識して矯正できる物でもないし、放置するしかないのかもしれない。
案の定、書くことがなかったので日記になってしまいました。
人の心を動かすのって、大変ですよね。自分も、他人も。




