164回目 2019/8/26
作家としての『正しさ』って、どこにあるんでしょうか?
『なろう』での活動で、折に触れ考えることがある。
それが、『作家』としてのスタンスだ。より具体的に言うと、『商業』を視野に入れた『作家』の姿勢、だろうか。
『なろう』のランキング上位やコンテスト優秀作が書籍化する流れが構築されて久しく、単なるアマチュアだった『なろう作家』たちは自作の『書籍化』に向けていろんな手法を試している。
私も一時期は『書籍化』を真剣に考えていたこともあったが、現在はどうも昔ほど熱心に思えなくはなっている。自分の実力不足を痛感し、後込みしているとも言うか。
ただ、内省的な理由ばかりではなく、『書籍化』における戦略と呼ばれる手法が自分の肌に合わないものばかりで、無理なんじゃね? と思ったという部分もあるのだ。
たとえば、『複数の長編を書き、受けがいい作品だけ続きを書く』というもの。読者側からは割と批判が集まるやり方だが、実際にこのやり方で『書籍化』までいった作家がいるのも事実だ。
この手法におけるメリットは、『作品に費やす熱量・労力の効率化』だろうか。作者目線だと支持を集めた作品を書くのは楽しいものだし、少しでも反応があるだけでやりがいが生まれる。
逆に、たとえ読んでくれている人がいても評価がいまいちだったり、反応が鈍かったりしたら『面白くないんじゃないか?』と疑問が生まれる。
主観世界を文章化したのが『小説』なのだから、自己よりも他人の評価に基準を求めるのは必然だ。そう考えると、『作品に対するモチベーションの維持』が比較的簡単にできるのは、連載・完結までの力を長続きさせられるのは強みだろう。
ただ、これはデメリットもそれなりに大きく、まずは『作品の完結経験が不足しがち』という指摘がある。いろんなジャンルに手を出したはいいが、そういう作者は概して『完結させられない』ことが多いようだ。
最初に複数の作品を用意できるのは、視野の広さという意味では強みと言えるかもしれないが、悪い方に捉えると『飽きっぽい作家』がやりがちなのだろう。新しい物を見つけては飛びつくが、そもそも長続きしない性格と思われるのだ。
それはメリットで挙げた『モチベーション』に関しても言えるだろう。読者側からの良好な反応で執筆速度を担保するということは、批判や指摘が多くなれば同じくらい執筆意欲が下がってしまうことを意味する。
詳しく調べたわけではないが、人から褒められたい! という『承認欲求』が高い作家がこの手のやり方を好む傾向があると思われ、『人からの評価』で作業効率が変動する『気分屋』気質でもあると言えそうだ。
すべての人がそうだとは言わないが、『流行や読者の好みに敏感だが、飽きやすく気分屋』な作家だと『受けのいい作品へ集中する』やり方が向いている、と考えていいだろう。
この点で私は『流行』も『読者の好み』も割と置いてけぼりにしがちである。前者はともかく、後者は致命的なのでなおしたいところだが、根っからのアマチュア気質が抜けないのかどうも割り切ることができない。
スタート地点で『自分』という自作における最大のファンを喜ばせるために書く! と息巻いていた作家なので、他の読者様の意見は参考にこそすれ真に受けることはあまりない。(誤字・脱字はのぞく)
その上、『作品の使い捨て』ができないのも問題だ。単なる貧乏性なのだが、短編でもない限り『長編を書き捨ててもいい』とはほとんど思わない。始めたのなら責任を持って、ある程度の形をなすべきだと思っている。
これに関しては、作品に見切りをつけられない、という点で『書籍化』を考えると非効率的だ。読者が求める作品を書いて世に出すのが『商業作家』なのだから、没ネタに執着するのは面倒でしかない。
また『新しい作品への着手が遅い』という面もデメリットだろう。あくまで私の場合はだが、作品に対する責任を考えると半端な物は出したくないと思い、事前のプロットや設定段階でかなりの労力を割いてしまう。長編だと特に考えることが多くなって、正直しんどい。
一定以上のクオリティで面白い作品を書けることは『商業作家』にとっては『最低限の技能』であり、文筆業で求められる才能は『生産力の高さ(=執筆速度の速さ)』だろう。物がなければ売れないのだから。
なので、何かにつけて行動が遅くなりがちな作家は、『書けば必ず売れる』という保証があるだろうベテラン専業作家くらいしか許されないスタイルだ。少なくとも、ぽっと出の作家でやればすぐに干されるだろうことは想像にかたくない。
そういう点を考慮すると、私はやはり『商業作家』に向いた性格はしていない。反面、『流行に敏感な気分屋作家』は『商業作家』として求められるスキルは備えていそうだ。『書籍化』において投稿頻度などから、そうした部分も見ているのかもしれない。
『書籍化』に選ばれる作家というのは、やっぱり選ばれるだけの理由があるのかもしれない。ひとまず、私の弱点である『生産力』を何とかしないと、『書籍化』はほど遠いか。
書いていたらかなり長くなったので、途中で諦めました。
もう一つ書きたかったのは、『ランキング上位の作品を参考にする』というやり方です。
これ、同じにしすぎず自分らしさを出すことができるのなら、『定番商品の加工が上手い作家』として一定の需要があります。くわえて流行もつかめる目があるなら、より多くの読者から支持を集められるでしょう。
これと同じやり方で成功した偉人が『トーマス・エジソン』でしょう。発明王として知られていますが、確かエジソンさんは既存の理論・技術を改良しプレゼンする能力が高かったため、大量の発明品を実用化にこぎ着けられた、という話を聞いたことがあります。なので、『やり手実業家』としてのイメージが強いですね。
問題は、『パクリ野郎』扱いされる危険と隣り合わせなことでしょうか。基礎理論や技術は他の人が先に始めた物である場合が多く、違いは『見せ方』にあるという面からも、後発作品に向けられる目は自然と厳しくなりますからね。
よく言えば『演出・脚本家』としての能力が高い作家なのでしょうが、悪く言えば『創作』にストイックな作家からはとても嫌われやすくなるでしょう。『ちょっとはオリジナルやれや!』みたいな感じですね。
この手の『オマージュ作家』の道を行くのであれば、批判意見を華麗にスルーできるだけの強メンタルが必要になりそうです。こちらもまた、ハートが絹ごし豆腐な私では難しい道だと思ってしまいます。
そもそも、『オマージュ』も難しいっちゃ難しいはずなんですけどね。改良・改善点を見つけて魅力的に見せる技術がいるのですから、案外バカにできたものじゃないと個人的には思いますよ。




