表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
161/1238

161回目 2019/8/23

 連続でイラストネタ、といっていいかもしれません。


 ラノベ系の小説において、キャラクター描写の上達過程はイラストとは真逆のやり方で洗練されていっている、ような気がする。


 というわけで、だいたいの初心者作家がぶつかるであろう壁――『キャラクターが薄っぺらい』における理由を少し考えていこう。


 なお、最初の書き出しにおいて『文章とイラストを比較していこう』と示唆したが、実際にイラストについては詳しくないので、細かいところは無視(スルー)してほしい。


 さて、私がぼーっとしているときに思いついた仮説によると、最初にラノベを書き始めた人は『デフォルメされたキャラクター』をベースにしている人が多いと思っている。


 簡単に言えば『テンプレキャラ』のことだ。私の考えでは、『テンプレキャラ』とは『デフォルメされた人物像』として捉えている。やれやれ系とかイケメン系とかツンデレ系とか委員長系とか、そこらが好例か。


 ともかく、『一言で説明されてしまう性格・人格』が『テンプレキャラ』ではあるが、それってイラストで言うと『抽象画』に近いものなんじゃないか? と思ったのだ。


 ピカソの『ゲルニカ』は『戦争』を表現しているが、正直知識がないとあれを『戦争の様子』を描いたとは一発で理解できないと思う。『抽象画』とはそもそも、写真のようなリアルさを求められる『写実主義』とは正反対にあたる、『現実風景のイメージ化・観念化』をした画風だろう。(私の印象だが)


 それはある意味、最初から才能を持つ天才だと描けるものだが、そうでない人が描こうと思うと絵画の『基礎』をまず押さえなければ表現しきれない分野だと思う。私はピカソしか知らないが、かの御仁とて『抽象画』以外にもあらゆる画法で多数の絵を描いているので、『基礎』の技術も相当高いはずだ。


 つまり『抽象画』は『応用技術』であり、先に学ぶべき『基礎』はちゃんと別に存在している、ということだ。当たり前だろう、絵心がない人には『抽象画』と『子供の落書き』の区別さえ付かない。


 で、それをラノベキャラの表現に当てはめると、『テンプレキャラ』の使用はつまり『応用技術』で表現されている物を見て、自分の『基礎技術』として出発している、みたいな感覚かもしれない。


 再びイラスト方面としてたとえると、それは実質『抽象画』を模写して絵を学んでいく、みたいな方法のように思えるのだ。何せ、『応用技術』を『基礎』にしようとしているのだから。


 普通は、模写やクロッキーやその他基礎の練習法で画力を上げていき、一定水準以上のクオリティが身についたと判断した後で特定の画法に絞って描いていくものだと思っている。何事も『基礎』は重要だし。


 しかし、ラノベから入るとどうも『人間観察』とか『言動・感情の観察』とかを後回しにしがちではないだろうか? これらは私の中で、模写やクロッキーなどに近い物だと思っている。


『テンプレ(=デフォルメ)化』されているとはいえ、作家が描くのは『人間』だ。キャラ描写の参考になるのはもちろん、家族や友人やすれ違った他人など『実在の人物』をおいて他にいない。


 にもかかわらず、ラノベ系作家はマンガ・ラノベ・アニメなどの創作物から『人物像』を作り上げようとしがちになる。これはよく考えると、『作家』としたらまずいやり方なのではないか? と思う。


 なぜなら、世にある創作物とはすでに『創作者』という『他人のフィルター』を通した世界を表現しているわけで、『自分自身が認識した世界』を描けていないからだ。


 それのなにが悪いのか? というと別にパクリがー、とか、オマージュがー、とかの問題ではなく、純粋に『オリジナリティの欠如』に繋がるのだ。


 普段は自分の目(=フィルター)でしか物事を見ないから意識することはないだろうが、人は同じ物を見ていても感じ方は全く異なる。


 たとえば『机の上にある一個のリンゴ』を観察したとして、複数の人に『なにが一番印象深かったか?』と聞かれれば、割とバラバラな意見がでると思うのだ。


 リンゴの赤だったり、リンゴの丸い形だったり、テーブルの茶色だったり、テーブルのデザインだったり、はたまたリンゴでもテーブルでもなく部屋全体の印象だったり、それこそ見え方も印象も千差万別あるだろう。


 それをラノベ創作の過程に当てはめると、『キャラクター描写』で『テンプレキャラ』をベースに人物を描くのはすなわち、『色付きサングラス(=他人のフィルター)で見える物』を描いているのにも等しいのだ。


 赤みがかった見え方(フィルター)で、黄色から赤色の鮮やかなグラデーションが理解できるか? 黒いサングラス(フィルター)で、白・灰・黒の明度を確実に見分けられるか?


 そんな、初心者からすれば大道芸みたいな離れ業を自分の『基礎』として課しているやり方が、『テンプレキャラ』の流用だと思えてならない。


 理想はやはり、キャラクターを描写していったらいつの間にか『テンプレ』になっていた、だろうか。『テンプレ』の看板を背負って『それ以外になれなかったキャラ』ではなく、キャラの内側からにじみ出た結果の『なるべくしてなったキャラ』といえるからだ。


 その理想をどうして身につけるか? といえば、『本物(にんげん)』を観察して分析して文章にする練習をしていくのが効果的だろう。


 対象は誰でもいい。自分も、親も、兄弟も、親戚も、ご近所さんも、誰も彼もが『一人の独立したキャラクター』であり、『完全に見分けがつかないコピーキャラ』なんて存在しないのだから。


 似たような怒りっぽい人でも、『怒るツボ』は絶対に違う。目玉焼きにソースをかける、汚れた足のまま家の中に入る、声が大きくて不快などなど、人によって気に(さわ)るポイントはバラバラだ。


 それは『笑う』ことや『泣く』ことでも同じである。人の価値観は、『テンプレ』なんてくくりでは分類できないほど複雑で混沌と化している。


『キャラクター描写』においてはそれが、理解し学び身につけておくべき『基礎』だと思う。たとえラノベ作家であっても変わらない。マンガやラノベのイラストを模写するだけで、画力は上達しない。


『なろう』作家も、ガチで上達したいと思うなら、何となくで『テンプレ』を利用するよりも、『自分だけのテンプレ』を作り上げる方法を考えた方がよいのではないだろうか?


 例によって、途中から自分でなにを言っているのかわからなくなっています。


 ただ、イラストって学校の『図工・美術』とかの副教科授業で『基礎』は学べますよね? 知識とか、実技とか。


 でも小説って、プロの本を参考にして見よう見まねでしか出来なくないですか? ハウツー本も、結局は著者のやり方・癖を公開しているだけであって、『一般化したやり方』ではないでしょうし。


 マイナー分野なので体系化した『基礎』がないのは仕方ありませんが、本当に小説って手探りでやっていくしかなさそうですねぇ……。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ