16回目 2019/3/31
ふと思い浮かんだ物をネタにしました。
伸びる、伸びる、伸びる。
日を浴び、雨水を飲み、溶けた栄養を蓄え、どんどん伸びる。
まっすぐ伸びる、どこまでも伸びる、短期間で伸びる。
スギと呼ばれた、特徴的で無個性な僕ら。
安くて育ちやすいという理由で、たくさん植えられ育ってきた。
そしてたくさんの仲間が育った今、寒い時期から暖かくなってきた頃合いで花粉をとばす。
一斉に、たくさん、植えられたときの願いを込めて。
仲間を増やし、すぐに育って、成長と繁栄を願われた想いを背負って、どんどん散らす。
でも、なぜだろう?
最近になって、体をいじられる仲間が増えてきた。
僕たちが仲間を増やすのに重要な花粉に手を加えられたり。
花粉を出せなくなるようにさせられたり。
一度壊され、停滞した国の発展を象徴する存在として招き入れられたのに、増えることをいやがられるようになった。
花粉症、という弊害がらしい。
何でも、僕たちに願いを込めた彼らの肉体は、僕たちの花粉を多く取り込むことで異常をきたすらしい。
免疫の防衛本能? とか何とか? 詳しいことはよくわからないが。
だから、増えすぎた僕たちが出す大量の花粉が問題だからと、僕たちの繁殖を邪魔するようになったらしい。
話が違うじゃないか、と思ってしまう。
僕たちだって、最初は好きでこの地に来たわけじゃない。
国策だとかで、違う国から運び込まれたのが最初だったはずだ。
それはつまり、この国の人たちが歓迎して僕たちを懐に入れることを決めたってことだろう?
時間が経ったら思った状態と違って、邪魔だから邪険にする。
なんて、身勝手なんだ。
僕たちは見た目が同じに見えたって、それぞれ考えていることは別にある。
風に揺られて楽しむ物もいれば、揺らされることを怖がる物もいる。
花粉をとばすのが上手な物もいれば、なかなか飛ばすタイミングがわからずもたもたする物もいる。
知らないだけで、見た目だけじゃわからない個性は存在する。
でも、人間は僕たちを『スギ』としかみない。
国の大多数が悩む病気の原因の一つとして、大多数の厄介者としてしか見ようとしない。
そうしたのは自分たちの選択のはずなのに、自分たちのそろった嫌悪の顔は誰も見ようとしない。
鏡、という便利な道具があるらしい。
人間は、それを一度のぞいてみたらいいと思う。
そこに映った自分たちが、僕たちが立ち並ぶ姿と同じだと気づけるはずだから。
無個性で、無理矢理整えられた、国に植えられた棒立ちの厄介者。
ね? それでも君たちは、僕たちの役割を否定するの?
書く前に調べてわかったのは、ルネ・マグリット作『葡萄の収穫月』。




