148回目 2019/8/10
ちょこちょこ続きを書いていて、ふと思ったことがあります。
現在エタっている作品の続きを少しずつでも書いていて、以前はなかった感じを自覚して戸惑っている。
書くことがしんどく、あまり楽しくなくなってきている、と。
モチベーション的に『絶対書ききる!』という意志は消えていないが、どうも長時間放置していた弊害か、『楽しみながら書く』感覚が薄れているのだ。
原因は勢いで書ききれなかった私自身にあるのはわかっているが、《精神支配》(※当該作品中のスキル、感情の任意操作が可能になる能力)なんて持っていないのでいい精神状態へのもっていき方がわからない。
マインドコントロール(洗脳ではない)とかを勉強すべきだろうか? 自己暗示とかなんとかで、精神状態をある程度意識的に操作できれば、このような悩みはなくなるだろうか?
ちょっとスピリチュアル的に危ない方向へ考えが流れている気はするが、大丈夫、まだ致命的なところまではいっていない。自分に言い聞かせるのは大事だ。
ともかく、『楽しい』と強く思えなくなってきた。理由はたぶん、『ネタを寝かせすぎた』、この一点につきると思う。
私の執筆におけるモチベーションの一部として、『読者が驚くような展開』とか『にやっとしそうな展開』を想像することがある。
どうやって演出してやろう? とニヤニヤしながら書くと、ある種のサプライズを企画しているような気持ちになって楽しくなるのだ。リアルのサプライズ演出は不可能だが。そこまで明るい人間ではない。
……う~ん、そう書き出してみたら、私は『楽しませたい』と『楽しむ』がやや連動しているのかもしれない。
だが、今は逆方向で『楽しめない』から『がっかりするかも』と思っている気持ちが強い――自分のネタに『飽きた』からだ。
とても身勝手なことだと承知で言わせてもらうが、内容や展開がいっさいわからない読者側とは違い、作者側は更新が止まった間でも次の展開は知っているし、どう演出するかをずっと考えている。
そうして同じシーン、同じネタをこねくり回している内に、自分で自分のネタに『飽きてしまう』のだ。いくら好きな漫画や音楽でも、文字通りすり切れるほど体感すればいつか飽和する。
『楽しむ』ためには、心の中に一定以上の『空白』がないといけない。まっさらな状態だからこそ新しい色が映えるのであって、すでにぐちゃぐちゃになった上から絵の具を足しても変化は小さい。
私が今書いている部分は、そうして私の中では『新鮮さ』が薄れてしまったものだ。その『飽き』は、いつしか『読者側も退屈だろう』と思いこんでしまう。
私とてコンテンツを消費する側でもあるため、現代に数多くのコンテンツがあふれていることを知っている。それこそ、私が知らないような領域なんて深海や宇宙のように、深く広く点在しているだろう。
だから、『個人』の中で存在するネタなど、すでに使い古されたものでしかないのではないか? わざわざ公開するほどのものでもないのではないか? と思ってしまうのだ。
そこから『楽しませる』どころか『つまらない』と思わせてしまうと変換され、不安と疲労感だけが増大していき、やがて『楽しい』という気持ちが枯渇していく。
まるで夏場の密室で筋トレをしているような息苦しささえ感じるくらいだ。(私は現在進行形でやっているが、本当に気をつけた方がいい。汗だくから軽い脱水と、食欲が薄れる感覚はマジで怖くなる)
自分のために書いている、と頭では言い聞かせているつもりでも、私の中には『人を喜ばせたい』エンタメ精神があったのかと、ちょっと驚いている部分もありつつ。
どうしても日に日に変化していく『気分』という手枷足枷にさいなまれながら、結局は書くしかないんだろうな、という気持ちで落ち着く。
強い気持ちで書き続けることの、なんと難しいことか。
毎日更新も書きだめ更新も、種類は違えど同じくらいのつらさ苦しさがあるのだと、改めて考えさせられた今日この頃。
実は結構な危機感を覚えたりします。
ほかの作家さんとか、こう、初心に近いドキドキワクワク感ってどう維持しているんでしょうか?
もはやちょっとしたトキメキも覚えなくなったら、なにも書けなくなるのかと思うとぞっとしますね。




