141回目 2019/8/3
さすがにヘイト意見が続いたので、ちょっとかの国から離れます。
とあるエッセイを読んだとき、『なろう』での筆頭ジャンルであるファンタジーには『不可思議さ』が足りない、と意見を述べられていた。
特にその作品を読みながら書いているわけではないのでうろ覚えで説明するが、たとえば『○リー・ポッター』では千種類の味があるグミとか、実際に動き回るカエルチョコとかに『不可思議さ』を味わえる。
簡単に言えば、『世界観』をしっかり練るのは当然として、それを話の本筋とは関係がない『遊び』の部分で出すことが雰囲気作りにとても有効、ということらしい。
アマチュアでもプロでも、小説における『テンプレ』や『定石』はなかなか外せるものではない。人が物語を作り触れ始めて二千年は確実に経っているわけで、『面白い展開』はあらかた出尽くしてしまっている。
新たな『王道』の切り口を探そうにも、偉大なる先人が試行錯誤と発明を繰り返してきたため、もはや焼き畑農業の跡地と言ってもいいほど残された可能性は少ない。
『テンプレに飽きた』という批判は多く散見されるが、それは同じような展開や表現の切り口を使用した小説を、短い期間に連続で読んでしまったために起こした胸焼けだろう。
そも、各ジャンルにおける『王道』は確かに存在し、『王道』の流れを汲めば間違いの少ない作品ができあがるのは当然だ。ましてや商業作品であれば、あえて『王道』をはずす博打に走る必要もない。
なので作者は、主人公を『王道』に乗せながら『その作品でしか出せない個性』を引き出さないといけない。その手段として、エッセイの作者は『不可思議さ』という言葉を使って取り上げたのだろう。
厳しい言い方をしてしまえば、作品のリアリティを妥協なく突き詰めて描け、ということになってくる。特にRPG型ファンタジー小説は顕著で、たいていが『どこかで見たことのある内容』になってしまいがちだ。
その一因として、文字通り日本のRPGを下敷きにしてしまっているため、作者が作品内の細かい部分を読者のイメージするRPG世界で補完してもらおうと、無意識にサボっているからだろう。
『なろうテンプレ』は書きやすさが割と多く強調されるメリットだが、逆に細かい部分をスルーしてしまう甘さが作者に表れやすい。『小説家になろう』というサイトで『なろうテンプレ』という『共有世界観』を題材にしているのが、その甘えに拍車をかけている。
元々が二次創作を主流にしていたサイトの名残、と言ってもいいのだろう。『なろう』の作者は、本質的に『二次創作』的な書き方を根付かせている方が多いからこそ、『一次創作』的な細かい視点が薄くなりがちになる。
そこから脱却するためにも、『完成された世界観』のさりげない挿入と演出により、『不可思議さ』や『未知なる体感』を作品にちりばめることが推奨されているのだろう。
あくまでファンタジー作品についての意見ではあるが、『世界観』でなくとも『人物描写』においても同じことは言える。
性格が『優しい』と書かれたキャラでも、子どもの世話を何でも焼いてひたすら甘やかして育てるか、将来を見据えて何でも自分でやらせて厳しく育てるかで、『優しさのベクトル』は大きく違ってくる。
キャラ設定では簡単に書かれてしまう性格などの『属性』一つ一つに、細かい理由や見せ方が存在しているはずだ。作者はそれを深くまで考え、そのキャラクターを『人間らしく』描かなければただの『人形』になってしまう。
『なろうテンプレ』を使うと、ついつい『シチュエーション』だけに力を入れてしまいがちだが、ちゃんと作り上げた世界やキャラたちにも興味を持って深入りした創作に挑むべきだろう。
朝起きてから朝食を食べるまでに何をする? ――そんな些細なことでも、キャラクターは千差万別に動くはずだ。
寝起きがよくてすぐに洗面台で身支度をするキャラもいれば、先にシャワーで寝汗を落として着替えを済ませるキャラもいます。
また寝起きが悪いと二度寝して毎度のように遅刻するようなキャラもいれば、ゾンビのように緩慢な動作で起きながら朝食を食べ終わったら目を覚ますキャラもいます。
そして、扉を出たその先には、どんな世界が広がっているでしょうか?
ゲーム画面にしかないような借り物の世界ではなく、あなたがキャラクターに見せた『世界』は何ですか?
そんな文字数を食ってしまいがちなところにこそ、作品の『個性』や『面白さ』は転がっているものなのかもしれませんね。




