135回目 2019/7/28
いろいろ悩んだ結果、書きたいジャンルの話題に戻りました。
小説の進みは遅いが、たまっていくプロットの量はそろそろ無視できない数になっている。
掃除が苦手……というか嫌いな私にはありがちな『ため込み症』に近い状態といえる。積ん読もその一種だろう。ふと面倒くさくなってしまうのだ。
ただ、書きたいという熱量まで消えたわけではないのがまた厄介で、時々気まぐれにプロットの中身を整理すると、やっぱり書いてみたい、と思い直せるネタも結構あったりする。
ネタは思いついた当初と比べ、だいぶ鮮度が劣化している自覚もあるが、それを『今』どうやって表現するか? という挑戦心がわき上がるのだ。
古い時代遅れなネタでも、手を加える『私』が変化していれば作品の描写は違う角度から別の景色を読者に見せることだろう。
一生分、小説を書き続けたらたぶんはっきりしていくのだろうが、絵画と同じように文章の印象も年齢によって変わっていく。
好みの表現が固定されてきたり、文章表現が上手くなったり、知識が豊富になって作品の個性が際だったり、単純な技量の他にも死生観などといった価値観の変化も反映されやすい。
自分が書けるのはあくまで『今の私』が描ける世界でしかない。昔の自分も、未来の自分も書けないものは『今』しか書けない。
そう思ってやれば、もう少し筆は進むだろうか――? ぜんぜん連載に手を出せないこと、黙ってはいても気にはしているのだ。
主題がどんどんズレていっている気がするので、軌道修正をしてみよう。
私が書きたいジャンルの中に、『ロボット物』がある。ジャンルとしては一昨日くらい挙げた『SF』分野だろうが、正直小説ではとても難しいジャンルである。
なぜなら、『ロボット』は『アニメ』や『特撮』などの映像・動画作品の方がわかりやすくてインパクトが強く、より面白いからだ。
脚本ならまだしも、すべてを文字表現でしか説明できない小説だと、『ロボット』の動きはどうも鈍くなりがちで迫力に欠けてしまう。
また『SF』であるが故に、すぐに矛盾するような半端な設定を読者が許さない。ともすれば、キャラクター崩壊くらいのダメージを読者に与えてしまう。
そして、文章における『操作者』と『ロボット』の間で動作の主体が混乱するというややこしさもあるのだ。
たとえば、パイロットAが乗ったロボットBが敵ロボットCと戦い銃型兵器を使用した場合……
・『Aはモニターに映ったCへ狙いを付け、弾丸を射出した』
・『Bの手に握られたライフルの銃口が火を噴き、Cの右肩へ突き刺さった』
・『Aによって操作されたBは、コクピットから入力された指示に従い腕を持ち上げ、ライフル型銃器の引き金を引いた』
……わかりにくいが、思いつく限りで以上の三パターンは存在してしまう。この例は厳密に言うと『直接AがCを攻撃した』わけではなく、『Aが操作したBがCを攻撃した』という関係がある文章だ。
一つ目は『A=パイロット』を主体に意識した文になる。あくまで動作は『A=Bの操作』に主眼がおかれ、作品のメインである『ロボット』の動きはあまり描写されない。一人称だとこうするしかない。
二つ目は『B=ロボット』を主体に意識した文だ。先ほどとは逆に、『A=パイロット』の様子を排除して客観的な目線からみた『B=ロボットの動作と結果』を重視して描いている。三人称ならではとの表現方法となるだろうか。
三つ目は『B=ロボットを操作しているA=パイロット』という、少々ややこしい書き方である。単純に両方の動作を盛り込んだのだが、ワンアクションにおける動作がA側とB側の二つに増えてしまう――簡単に言えば、無駄に文字数が長くなりテンポが悪くなるデメリットが高まるのだ。
このように、どうしても思考と動作の間に、脳と体以上の距離と時間があるため、ラグの部分から作者は動作の主体をどちらか選ぶ必要が生まれる。
どれでも言いように見えて、その書き方の選択が読者が臨むときにロボットバトルのスタンスを決めてしまうという問題がある。
アニメやマンガのように、途中でコクピット内から戦場の俯瞰へ、などといった豪快なカメラワークは文章だとできない。ただ混乱を招きやすい文章となりがちだからだ。
絶対にダメ、とは聞いたことがないものの、ロボットアクションを重視するなら三人称、パイロット心理を重視するなら一人称、両方ある程度書きたいなら三人称一元視点……そのいずれかを全編通して統一すべきだと思われる。
とまあ、他にもロボ設定のスペックとかまだわからない、などといろいろとハードルが高いのが『ロボット物』ジャンルの難しさであり、面白さなのだと思う。
途中から眠くなった文章なので、ちょっと中身が変かもです。




