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134回目 2019/7/27

 ちょっと体調が悪いので、大したことは書けません。


 諸事情で頭がぼーっとするので、いつも以上に日記みたいな感じで書いていく。


 私は私なりの面白い作品を追求していくつもりだが、やはり何度自問したところで答えが出ないのが『面白い』の定義だろう。


 箇条書きにすればそこそこ要素は取り出せるのだろうが、どれもが正解のようで不正解なような気もしてくる。


 自分の価値観における『面白い』なら、狭く限定的な世界における定義なので固定化できそう、と思うこともあるがそうでもない。


『私』という小さな箱庭宇宙の枠に収まった価値観も、転変不定の性質からは逃げられない。常に移ろい、曖昧で、混じったり遊離したりして、確かな形にならない気がする。


 なので、私の『面白い』はその時々で微妙に定義が異なり、時間が経つにつれてズレが大きくなっていき、やがて自分の価値観を見失ってしまうのだろう。


 ちょっとしたコンプレックスだが、私にはこのような考えがあるためか、自分の芯・軸がないような劣等感をふとした瞬間に覚えてしまう。


 特に私は、理想や憧れを持って作中の登場人物に強い精神的な支柱となりうる存在(人・思想・信仰など)を見いだし、なるべくそれがわかる形で人物描写を意識する。


 そうして『自分の理想』と『現実の自分』を客観的に見てしまったとき、自分のどうしようもない情けなさに落ち込むのだ。


 小説を通して私の知らない私――『無自覚な自分』と対面している感覚は、時に楽しいがだいたいがつらい思いをする。


 見たくないから見えなくなった、と考えれば『無自覚な自分』は『直視したくない自分』であるともいえる。


 臆病な私は、とかく『現実』を描きたがるくせに『現実』と向き合うことにすごく躊躇し、とてもエネルギーを消費してしまう。


 怖い物見たさ、とは違う、受け止めなきゃ・飲み込まなきゃという強迫観念? よくわからないが、見たくない物もきちんと認めなくてはいけない、と思ってしまう。


 人間社会、大なり小なりそういう部分に触れるのはいつかくる。遅かれ早かれ、何かしらの『理不尽』とぶつかるのは人間として生まれた宿命なのかもしれない。


 だとしても、私はなるべくなら優しい部分だけに触れていたい。弱さや甘えとなじられても、醜い汚いものへの耐性が低そうな私は、すぐに心の調子を崩してしまう。


 毒を飲むのもまき散らすのも、程度と段階をふまえないとただの自殺とそう変わらない。


 社会に存在する同調圧力は足並みそろえた平均化を押しつけるが、生物である人の歩みは個性があって千差万別なのだ。


 どれほどのろまでも、周囲から取り残されても、自分のペースで世界と向き合い、小説表現へと昇華していきたい。


『面白い』って何だろう?


 答えがないことを何度も自問することも、そんな私の悪足掻きなのかもしれない。


 ……あれ? 内容は案外いつも通り?


 などと申し開きをしてみたり。


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