129回目 2019/7/22
一応、まだ自分は創作やってます、という宣言でしょうか?
実質の小説活動については止まった状態にある私だが、投稿するに至っていないだけで活動は続けている。
昔のプロットを引っ張り出そうとしたり、何とか続きを書いてみようとしたりと、自分なりに書ける環境を整えようとしている最中だ。
そうしていると。少し見えてくるのが『なろう』の遊び方だ。
語弊のある言い方かもしれないが、まあ『なろうテンプレ』の使い方、とでも言い換えておこう。
他の作者様がどう扱っているのかはわからないが、私は『テンプレ』をそっくりそのまま使用することはほぼない。なにかしら、細かい部分で自分なりの『傷』をつけたがる。
それをオリジナルと言うつもりはないが、何というか、判を押した作品にしたくないという思いはあるからだろう。
元々、平凡に埋まるのを何となく避けてきつつ、かといって誰も真似できない特別でありたいとも思わない、とても中途半端な『個性』を大事にしてきた気がする。
みんなと一緒、という退屈であり平和であることは知っている。みんなと違う、という刺激的であり疎外感がある怖さも知っているつもりだ。
だからこそ、平凡と特別の中間地点に自分のあこがれを設定したのかもしれない。我ながら中途半端で煮え切らない、とても臆病な気質だと思う。
まあそれはさておき、そんな私だから『テンプレ』をそのまま使うのは面白くなく、かといって『テンプレ』から離れすぎるとそれはそれで読みやすさなどの点で不安になる。
十分な保険をとりつつ、冒険はほどほどに、という冒険者にはとてもなれなさそうな私の性格がよく現れている。
表現の仕方はわからないが、公園の砂場で携帯ゲームをする、みたいな活用法かもしれない。私が『テンプレ』に求めているのは、『世界観』ではなく『空気感』だ。
それっぽいけど、それそのものじゃない、ふんわりしたニュアンスを拝借して作り出すと、ちょっとしたテーマが固定されやすくなり、作品の方針が立てやすいのだ。
まるっきり二次創作の精神である。オリジナルにはなれないが、創作の入り口にあるハードルを下げられるという意味では、それを悪いとは思わない。
私はプロではない。プロほどの実力があるとも思わない。
だから私は、まだまだアマチュア的な書き方で創作を楽しんでいきたい。
そして自分のオリジナルが見えて、身について、固まってきたら、自分の面白さを自分の小説で追求していくことができる……と思いたい。
作家としての私は、まだ死んでいないと言い聞かせて、今日もまたキーボードに向かおう。
結構エネルギーいるんですよね、執筆って。
こなれてくると短編でも細かいところの調整をしたがって、重箱の隅を自分でつついていたら気疲れ起こしてぐったり、なんてことがざらです。
変なところを気にしてしまう、自分の性格が悪いんですけどね。




