125回目 2019/7/18
昨日の話題に関連して、『悪役』について悩んでみました。
主人公との関係として重要なキャラクターとして、『悪役・ライバル』はどんな形であれ必要になるだろう。
恋愛物であれば恋敵とかお邪魔キャラ、戦闘物であればそのまんま倒すべき障害や撃破目標がそれに当たる。ダークでバトルなファンタジーを好んで書く私の場合、後者をよく登場させる。
そこで改めて『悪役』について、どのように描写していけばいいのか考えてみる。前回の『ヒロイン』における描写バランスとかと似たような話だ。
まず『悪役』は、作者の好みにもよるがあまり主観の視点で描かれるイメージはない。要は、個別にキャラの掘り下げをされていることが少ない、ということだ。
『なろう』であれば特に、少々残念に思うが、まるで消耗品のように『悪役』が乱用される作品をよく見かける。あまり好まれる要素ではない、いわゆる『引き立て役』としての『悪役』たちだ。
ただ、これは単純に作者を責めればいいものでもない。上記のように、特別キャラの掘り下げを行う必要性が薄い役割であるため、『主人公との関わり』からでしか『魅力を表現できない』キャラといえるからだ。
たいていの読者は『主人公の活躍』を見たくて作品を開くわけで、『悪役の背景』は不必要とまではいかなくとも、作品の流れとしては意外と無視できてしまう。
すなわち、キャラクターを描く文字数を割かなくてもいい『言い訳』が存在し、また『悪役=やられ役』でもある宿命のキャラのため作者としても『モチベーションが低くなりやすい』。
どれだけ力を入れて『悪役』を魅力的に描こうとしても、最後はそれ以上に力を入れてきた『主人公』によって倒されてしまうのだ。
適切な例かはわからないが、有形芸術作品である陶器(お皿・壷などのイメージ)に置き換えると、『壊すための陶器』を全力で作るようなものかもしれない。
主人公である『食事に使用する』だの『骨董品として観賞する』だの、作者にとって有意義な理由とはかけ離れた動機で作らざるを得ないものに、主人公クラスほど熱を入れられないのは仕方のないことだと思う。
他にも、単純に使える作中文字数の少なさから、魅力的に描く難しさがあったり、面倒くささがあるのもまた事実だ。
一人称小説では特に、描写不足を補うため他者視点を用いる場合もあるだろうが、それによって『悪役』側を書いたところで正しく魅力的に描ける保証はない。
ふつうのキャラクターは描写を重ね、読者への説明を増やし、納得してもらうことで魅力を演出するが、『悪役』の場合は『ミステリアスさ』や『超越者』などの『わからない魅力』がピックアップされやすい。
いわば、昭和のアイドルに近い『謎多きカリスマ』が『悪役』にしか出せない魅力の一つにあるのだ。語りすぎれば読者にとって身近になりすぎるし、説明不足が過ぎれば読者にとって思い入れが生まれない。
そうしたことから、『魅力的な悪役』は『描写量に暗黙の制限』がかけられた状態で、『読者から共感されない』立ち位置を維持しながら、それでも『格好いいカリスマ性』を醸し出さねばならない。
これは作者の構成や演出の力がとても重要になり、何より『悪役』の情報を読者に開示するにあたって、情報量やタイミングなどの『絶妙なバランス感覚』が要求される。
本当の『悪役』とは、『理解されない』からこそある種の『憧れ』を読者に与えつつ、されど『すべてを否定はできない信念』が見える、とても特殊なキャラクターといえる。
『カリスマ』、と一言出かけてしまう人としての魅力を、台詞や動作や地の文による説明で表現する――理想は簡単に書けてしまえるが、実際にできるかとなると困難なのは変わりない。
小説って、難しい。
一時期、というか今も、このような悩みをどう解消するかで書けなくなっている節があります。
自らのハードルを上げる愚かな行為ではありますが、よりよい作品を作りたいという自分の本心を裏切りたくないので、まだ悩んでいくのでしょう。
一寸のモブにも五分の魂……キャラクターは、すべて作者の子供ですからね。




