119回目 2019/7/12
ふと思いついた素直な考えや思いを書き殴ってみました。
作品を投稿するにあたって、作者としてやはり気になるのは読者のニーズだ。
いくら『自分のため』と言ってみたところで、知恵熱をこじらせるほど頭をこねくり回して書いた作品の、努力相応な反応や評価は欲しいと思うものである。
その点、私の作風は明らかに『なろう』との相性は悪い。誰に言われるでもなく、自覚はある。
まず地の文が多い。一人称だと心情描写を含めた説明が多いし、ほかの作品と比べて文字数の割に進行速度は遅々としている印象だ。
そこに加え、視点移動を入れたくなってしまい、ストーリー内における時間の進みをさらに遅くしている。感想の中には『視点の違い』からくる『ストーリーの印象の違い』をほめてくださる方もいたが、ほとんどの場合『長い=面倒くさい』と思われるだろう。
作品や作者の性格はそれぞれだが、『なろう』における需要は『隙間時間に軽く読めるもの』が高いと思われる。
なので、支持を集めやすいのは『一話あたり数分程度』で収められるボリュームで、『現実を忘れられるハッピー&サクセスストーリー』だろう。
前者は仕事や睡眠時間を削らないほどの短時間で読める他、PCやスマホを眺める時間が長くなるほど目の疲労がたまり、集中力が落ちてくるという理由もありそうだ。
後者は『なろう』利用者の大半が現実に疲れているから、と考えざるを得ない。つらい現実を乗り越えて小説ページを開いたのに、物語の中でもストレスをためたくないという理屈も納得できるのだ。
文庫のように最初から終わりまで書かれていて、じっくり本を読みたい層とは明らかに読者の性質が異なる。
あくまで所感だが、『なろう』は『カタルシス』よりも『癒し』を重視する人が多く集まっているような気がする。大半が『素人作品』ながら、利用は『無料』ということも大きい。
そんな中で、私の作品はどうも理屈っぽくなりやすく『軽い読み物』とはお世辞にもいえない。短編を書いてもなぜか一万文字は越えてしまうくらい、構成や文字の圧縮能力が低い。
他には体重が増えたかわりに体力が落ちすぎたため、長時間いすに座っていられなくなったというどうしようもない理由もあるが、それはさておき。
もはや固まった『なろう』の作品イメージと私の作品傾向のズレを意識してしまうと、少々、作品投稿に後込みしてしまう部分はある。
小説は文芸――仮にも芸術の分野だ。労力と成果は必ずと言っていいほど比例しない。
作者がかけた労力や熱量を読者が知ることはない(知る必要もない)し、それだけの努力が作品の出来に百%反映される保証もない。
誰だってそうだろうが、無駄なことは極力したくないし、自分がしてきたことを無駄だと思いたくない。自分がのめり込む価値があるのだと、すばらしいものだと信じていたい。
しかし、『なろう』など作品を公開する場にひとたび挙げてしまえば、作者がしてきた努力の『結果』は明確に出てしまう。
自分の『作者としての程度』を、真正面からたたきつけられるのだ。
それに不安を抱き恐怖しない作家はいない、と思っている。アマチュアであってもプロであっても、価値の否定は精神的なダメージがあるものだ。
それならば書かなければいい、という意見もあるが、悲しいかな作家とは文字を、物語を書かなければいられない人間だ。
一時的に書けなくなっても、いずれ書きたいという衝動に追い立てられ、気がつけば筆やキーボードに向かい合って白紙を文字で埋めている。
書字中毒……とでも言おうか? 欲求から本能にまでしみこんでしまった『文字を求める欲求』は、もはや知らなかった頃には戻れないだろう。
文字を読んで集めて書いていく、時には麻薬のような快楽におぼれる健全な陶酔行為は、アルコールに沈むよりもお手軽で安価だ。
批判や否定をされるのは怖い……しかしそれ以上に、物書きでいられなくなる方が私には怖い。
そう思うと、なんだか取り返しのつかないことをしてしまったような気さえする。
奇妙な趣味を持ってしまったものだ。後悔は……まだできないけれど。
最近、連載の続きを書いていて思うのです。
一年以上エタった作品を更新していいのか? と。
近々投稿できそうな段階に入ったので、余計に迷いが出てきましたね。
だって、メインストーリー、進まないんですもの。




