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116回目 2019/7/9

 面白い話はできませんね。


 この日、たまたまニュースを見ていたらJASRACの訴訟について目に付いた。


 音楽教室で使用する楽曲にも著作使用料を払え、とする命令を不服とした教室側が原告となって起こされた裁判である。


 JASRACの主張としては『著作者(企業・アーティスト)の利益を守るため』という名目で、音楽教室における講師(プロ)の演奏を『公共で聞かせるため』と定義している。(著作権に関する法律の文言を引用している)


 一方、教室側は『数人程度の生徒を相手にした演奏は公共には当たらない』とか、『指導目的の演奏であるため目的が異なる』など、JASRAC側の主張を真っ向から否定している。


 ニュースをさらっと見ただけなので、細かいニュアンスは異なる部分はあるだろうが、例のごとく雰囲気で察してくれるとありがたい。


 さて、この問題を知って思ったことはいろいろある。


 感情的な立場からすれば、主にJASRACへの反発が大きい。有利な証言を増やすために二年間も音楽教室に職員を潜入受講させたり、利益を求めて一方的に搾取しようとする姿勢を主張の中に見てしまい不快感がある。


 まあ、お金に注目すれば教室側も少しでも利益損失を防ごうと、何とかして徴収を免れようとしている、という見方ができなくもない。


 邪推をすればキリがないのでここまでにしておくが、個人的にはJASRACが好きになれないのは変わらない。


 というのも、『音楽の価値』に関する方針が『現在』にしか注目しておらず、後進の育成――つまり『将来』に向けられていないように思えるからだ。


 確かに、今いるアーティストや楽曲を不当に扱うようなことは避けるべきだし、発生する利権を適当(なあなあ)にすませていいとも思っていない。


 だが、(私が見たニュースでも触れられていたが)社交ダンスか何かの教室でも楽曲使用料についてもめていたように、どうもJASRACは『金をかき集めること』が目的のように感じてしまう。


 書籍の売り上げ低下と似たように、音楽業界も昔は主流だったCDの売り上げが下がり、一般販売の主流がストリーミングやダウンロードなどに移って収益は減少傾向にある、と聞いたことがある。


 そのせいか、私はその減収分を取り返そうといろんなところにいちゃもんをつけ、『金を巻き上げよう』としているように見えてしまう。


 今回標的にされた音楽教室は特に、音楽業界における『私塾』の側面を持つと考えれば、『今発生するお金』のために『将来現れるだろう人材の育成』を軽視していると思ってしまった。


 ……さんざん自分の思ったイヤなことを述べてみたが、一度冷静になったところでそれもまた仕方ないのかもしれない、とも思う。


 音楽業界に限定せず、普通の企業でも現在は経済的に苦しい環境にいる。国が出しているデータの正確性は庶民ではわからないが、少なくとも一般階級が『景気回復』を感じる機会はまだまだ少ない。


 その空気が企業経営者全体に広がっているとすれば、『将来(きょういく)への投資』よりもまず『現在(めのまえ)の利益』に重きを置くのは当たり前のことだ。


『投資』は現状の余剰分を回すのが普通であり、『余裕』があるからできることなのだから。


 それだけ、JASRACも『お金に余裕がない』のだと思えば、強硬にも見えるやり方にも理解を示せるだろう。たとえ感情的には気に入らなくとも。


 個別ケースを全体の問題と捉えるのはさすがに暴論だが、しかしいろんなところで自転車操業が常態化しているのは間違いなさそうだ。


 経済的な富裕層と貧困層の二極化が進み、長年信じ込んできた『中流階級の日本人』が消滅していく途中経過を見ているようで、かなり怖い思いはある。


 特に次世代を担う子供たちは、衰退の気配が色濃い『今の日本』よりも厳しい社会を生きることになる。


 積み重なった『国家の宿題』をたくさん丸投げしてくる『大人』たちの姿を、『子孫(こども)』たちはどう見るのだろうか?


 少なくとも、『近頃の若者は――』などと無責任に言うような『大人』では尊敬を集められないだろう。『近頃の若者』を作った社会を回しているのが『大人(じぶん)たち』という意識があれば、そんな台詞は出てこないはずだ。


 平成からずっと、年上を敬えと強要する『道』は口を酸っぱく言うくせに、次世代のために(広義の)財産を残そうという『徳』は無視し続けているような『偏重道徳』から脱却しなければ、本当に国の未来はないのかもしれない。


 ……なんて、偉そうなことを言うだけ言う私のような者は楽なのだろう。具体的な解決案を出さず、(あら)を見つけて文句ばかりを言うだけなら誰でもできる。


 (おおやけ)で声高に文句を言うならば、それ相応の代案を出さないと相手に示しがつかないし、自分の社会的評価も『ただのイヤな奴に』なってしまうだけだ。(だから私は、目立たないところでこっそり書き殴るだけにとどめている)


 本当の意味で『万能』な『なろう主人公』が日本にいてくれれば、内政チートで問題を解決してくれたのだろうか?


 もし現れたとしても、我々国民も『主人公を全肯定するモブ』にならないよう注意しなければならない。


 イエスマンになって考えるのをやめてしまえば自分たちは楽だけど、待っている日本の未来は『第二のナチス』でしかない。


 どうすればいいか、どうなればいいか……家族でも企業でも国でも、組織の運営・維持はとても難しい。


 これ、作者として小説に出てくる組織の運営を考える上でも意識する必要がありそうですよね。


 人間活動なのですから『完璧』なんて存在しないし、どんな問題があってどんな解決方法を提示し実行しているのか、そしてそれによって生じる様々な結果をどう受け止めるべきか。


『世界を作る』ということは、考えることが多すぎてとても大変ですね。


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