3
「レイル!シン!見て見て!」
「なんだ?」
「?」
昼食が済んだある日の昼下がり、シュンは一個のりんごを手にやってきた。
赤々として、物としてはとても上等である事が分かる。
「見ててね」
シュンは嬉々として両手でりんごを握りしめた…刹那、グシャ!と幼女に握り締められていたとは思えない音で、りんごは粉砕された。
「凄くない!?」
「怖ぇーよ!!」
鍛えた大人の男ならまだしも、女の子で更には幼女が両手とは言え、涼しい顔でりんごを粉砕すればそれは恐ろしいであろう。
「……今度は何やったんだ?」
頭を抱えるレイルに対し、シンは至極冷静にそのカラクリを問う。
「シン!お前何でそんなに落ち着いてんだよ!?」
「レイル、いい加減慣れろ。そして諦めろ」
シンが冷静で居られるのは、もはやシュンが何をしてもそれはシュンだから仕方がないと言う、一種の悟りを開いていたからに他ならない。
動じるだけ無駄。
ならばそのカラクリを問うて、自分の糧とした方が余程有意義であると判断したのだ。
「硬さを自在にできる地の魔法を鎧みたいに纏って、水の魔法で体内の血液を操って筋肉を強化したんだ。あとね、風の魔法で動く速さを自在に操れるんだよ!」
「肉体増強か」
「そうそう!これなら重い物を買っても楽々持ち運べると思って!」
「……」
開発の理由がまたもや庶民的な理由であったが、立派なドーピングである。
使う者が使えば殺しの道具なのだ。
この無意識兵器開発機は制御不能らしいと、レイルは机に突っ伏した。
シュン六才の春であった。
シンは基本的に家から出ることは無い。
出たとしてもスラム街からは決して出ない。
顔の痣を気にしていると言う事は勿論、一番の理由は自身が母国から指名手配を受けているからと言うものだ。
名前は伏せられ、顔写真のみが出回っており、顔の痣は特徴的過ぎて直ぐにバレてしまう。
スラム街にはそういった輩が多く住んでいるため、暗黙の了解でお互いに干渉しない空気が流れている。
誰かが役人に通報し、役人が押し寄せれば他の手配犯も見つかる恐れがあるので、ある意味一連托生なのだ。
「さて、そんなシンに肉体増強の魔法を応用した魔法をかけてしんぜよう」
「いや、別にいらないけど」
「いるいる!たまにはシンとおでかけしたいんだよ!」
「いや、俺はしたくない」
「問答無用!!」
肉体改造された両手でがっしりと頭を押さえつけられたシンは、抵抗が許されずフワリと魔力を注がれるのを感じた。
「!」
「陣が無いから、魔法の効果は私が寝るまでしかもたないのが難点なんだよね」
大体の魔法はその術者が気を失うか死んでしまえば解けてしまう。
稀にそうならない魔法使いもいるが、本当に稀である。
魔法を長く持続させようとするならば魔法陣を使用する。
魔法陣を使用すればその陣が破損するまで魔法は発動し続けるのだ。
「どうよ!?」
手鏡をシンに渡すと、そこには顔の左に広がった痣が綺麗に無くなっていて、整った顔が映し出された。
「っ!」
「痣があっても無くてもどっちでもいいけど、やっぱり無い方が見つかりにくいしね!今日はマーケットで種や苗が卸される日だからみんなで行っていっぱい買おう!」
おー!と一人で片手を突き上げ、いそいそと準備を始めるがシンは未だ鏡を覗き込んでいた。
そして痣があった場所をそっと撫でるが、そこには何も無い。
この痣のせいで散々苦しんだのに、仮令短時間でもこうもあっさり無くなってしまうとは思いもよらなかった。
ふと、カーディガンを羽織りバッグの中身を確認するシュンへと視線を向けた。
“痣があっても無くてもどっちでもいい”と言い切られたのは初めてだ。
思い返せばシュンは、出会ってからこの痣を見ても何の反応も無かった。
まるでそこにそんなものはないと言わんばかりの態度だった。
レイルも今でこそ普通に接しているが、初めの頃は顔を合わせるたびに眉を顰めていたし、スラム街の人々も憐れみや同情、そして不気味なものを見るような態度の者も少なくない。
シュンはそのどれにも当てはまらない。
ただ、それを受け入れていたように思う。
「おい、いつまで鏡を見てるつもりだ?早く準備をしろ」
「…分かってる」
シュンの作った出掛ける用の服へと着替えて、それで終了。
二人の待つリビングへ行けばシュンに「早く!早く!」と急かされた。
シュンがシン、レイルと手を繋ぐとそれを合図にレイルが瞬間移動の魔法を使いマーケットへと飛んだ。
いつもの様に賑わうマーケット。
人混みに流されまいとシュンはシンとレイルの手をぎゅっと握った。
因みに肉体増強魔法は解除してある。
慣れた足取りで向かった店には、新しく入荷した種や苗が所狭しと並んでおりいつもより客の数も多い。
「よお、レイルさんに嬢ちゃん!っとそっちは見ない顔だな」
ニコニコと人好きのする接客モードの笑顔で三人を見回す店主。
シンを見る視線に嫌悪感は無い。
(本当に、痣が無いんだな…)
初対面で初めての反応だった。
「シンだよ!私のお兄ちゃん!」
「!?」
何の設定だ!と声に出す前に
「カッコイイにいちゃんじゃないか!」
と店主に遮られてしまい、訂正するまも無くシンはシュンの兄となった。
初めて来た店は新鮮で物珍しく、シンはぐるりと店内を見て回る。
花や野菜の苗や種が所狭しと並んでおり、行商人や普通の主婦なんかも談笑しており実に楽しそうである。
「シン!見て見て!」
「?」
嬉々としてシュンが持ってきたものはデカイ何か。
種なのか実なのかさっぱりわからない。
「カカオだよ!」
「かかお?」
シュンが何で知らないの!と驚きの表情を見せたため、これは普通に皆が知っているものなのかと理解しようとした時
「おお!流石じょうちゃん!知ってたか!俺は全然分からなかったがな!あっはっはっ!!」
と店主が大笑いした。
植物を取り扱っている店の店主が知らないのに自分が知るか、とジロリとシュンを睨むが、シュンはあっけらかんと
「レイルの本に載ってたよ」
言い放った。
「…載ってたか?」
読み飛ばすとは思えず、思い出そうと首を捻るが、全くと言っていいほど思い当たる節はない。
「シンは読んでねぇよ。植物大全集なんざ」
見かねたのか、横からレイルが助け舟を出すと、大袈裟なリアクションでシュンは驚いて見せた。
「えぇ!あれ凄い役立つのに!」
植物大全集、それは魔法とは全く関係なく、シュンが趣味で読んでいるものであり、勿論シンは読んだことなかった。
「そんなもの読むか」
「本は何でも読んだ方が良いよ。いらないと思った知識でも役に立つ事が有るから」
今正に!とカカオをズズイと差し出した。
「それが何だって言うんだ?」
でっかい種だかなんだかよく分からないそれを一瞥し、シュンへと視線を移す。
そして衝撃の一言が返ってきた。
「シンが好きなチョコレートの元だよ!」
「!!?」
シンの脳内で雷が走った。
見た目は黒くて食べ物には見えないのにもかかわらず、口に入れれば甘さと僅かのほろ苦さが絶妙なバランスで広がり、噛んでもいないのにゆっくりと溶けていき無くなった後もしばらくその余韻に浸れる至高の菓子。
しかしチョコレートは高価で滅多に口にすることはできない。
「シュン!勿論作れるんだろうな!?」
「うぉぉっふ!?めっちゃ食いついてきた!?」
「どうなんだ!?」
「えぇ…どうだろう?やってみるつもりでは有るけど期待しないでね!?」
「いや!成功させろ!意地でもだ!お前ならやれる!!」
「は、はい…」
前のめりになりながらシンが詰め寄ってきたため、仰け反る形で返事を返すシュン。
シンは漫画の中でも超がつく甘党で、中でもチョコレートが好物だった。
漫画では行商人を襲って毎回手に入れていたが、二年前の大寒波避難所計画のお陰でシンはまだ人を襲ったことはない。
なので、時々奮発してチョコレートを買ってはプレゼントすることにしている。
が、まさかここまでチョコレート愛が激しいとは思ってもおらず、漫画では絶対に見れないシンの一面に驚かされたシュンであった。
勿論庭にカカオの木を栽培させられる事になり、予定より多い買い物であったが、シンは大変満足だったのか誰よりも多くの荷物を抱えて、すこぶる機嫌良く帰宅したのであった。
そのあと直ぐ買ったものの片付けとか、家事とか諸々やる事があったが、シンにせっつかれそれら全てを後回しにしチョコレート作りに勤しんだ。
「やっべ!これ売れるんじゃね!?」
「やばいな…これ!やばいな!!」
「確かに美味いが、シュン、女の子がそんな言葉遣いするな」
珍しくシンのテンションが高いのは出来立てのチョコレートのせいだ。
試行錯誤の末にチョコレートを完成させたシュンは、前世で食べたイチゴのチョコレートを再現しようと奮闘したのだった。
イチゴを乾燥させ、粒のままのイチゴをチョコレートでコーティングしたものである。
チョコレート好きのシンの心はすっかり鷲掴まれてしまったようだ。
「シン、ほかのフルーツとかでも試作品作るから試食して感想聞かせてね」
「任せろ。いくらでも食ってやる」
「食べるだけじゃなくて、改善点も言ってよ?」
「分かった。取り敢えずこのイチゴは止まらねぇ」
まぐまぐとひたすら咀嚼を繰り返すシンの姿が、これまでの大人びた雰囲気を掻き消して、年相応の少年に見える。
シュンはそれが嬉しかった。
少しの時間でも復讐の事を忘れて子供に戻れるなら、いくらでもチョコレートを量産しようではないかと拳を突き上げやる気を見せる。
「やるぞー!」
そんなシュンを見てもいつもは無視をするか冷ややかな視線を投げかけるだけだったシンが「頑張れ!」と拍手まで送ってきた。
「頑張る!」
「…収入源がまた増えたな…」
独りごちるレイルは、そろそろ本当に自分も収入源を作らなければ大人として人として駄目になると遠くを見つめるのであった。
人里離れた山奥に魔法で結界を張り大量にカカオとテンサイを栽培し、チョコレートを量産した。
貴族狙いの高価なフルーツ入りに、平民狙いの砕いたフルーツの粒入りのチョコレートは文字通り飛ぶように売れた。
平民からは、チョコレートは高価だからと初めは受け入れられなかった為、売れ残った賞味期限間近の在庫をスラム街で配った所、スラム街の連中が口にできるなら自分たちも、と勘違いした平民たちも買い求めるようになったのだ。
店を持たないシュンは、ロイスの店に置かせてもらったり自ら歩いて売り捌いているが、思いのほか売れ行きがよく、人手が欲しい所である。
「と、言うわけで売り子の手伝いをしてもらいたいと思います!」
シュンと同年代の子供たちがキョトンとした表情で首を傾げている。
今居るのはスラム街の孤児院だ。
大寒波避難所大作戦で、この孤児院も修復した関係でシュンは時々様子を見にくるようにしている。
子供達やシスターに売り子を手伝って貰って、売上の七割を孤児院へ寄付しようと言う話なのだ。
「でも、シュンちゃん?売上の殆どを寄付してしまったらあなたの儲けはどうなるの?」
やはり大人というか、当然の疑問をシスターが困り顔で尋ねてくる。
「大丈夫!三割もあれば材料費は回収できるから!」
「え」
ある意味ぼったくりであるが、そんな値段でも売れてしまうので、商品価値は高いと言える。
そんなこんなで、簡単な読み書きや計算ができる子供達を中心に町中でチョコレートを販売する事が出来た。
シュンが魔法で手押しのカートを作り、それに商品を載せて売り歩くのだ。
侘しい食事も売上金のおかげかおかずが一品増え、三日に一回夕食で肉が出るようになったと子供達は大喜びだ。
そんな中、事件は起きた。
貴族が多く住むエリアに、いつものようにチョコレートを売りに行った三人の子供たちが泣きながら戻ってきた。
あちこち擦り傷だらけで、服もぼろぼろ。
売り物のチョコレートも売った証である売上金も見当たらない。
「うぁーん!」
「シスター!」
「お金取られちゃったよーー」
貴族たちは始めのうちは、身なりの良くない子供達が“チョコレートの様な物”を売っているという認識で、可哀想だからと施しのつもりでチョコレートを買う者達が多かった。
しかし、その味に魅了されすっかりファンになった者も多い。
貴族の住むエリアは治安も良く、ゴロツキなども居ないので、特に年齢の低い五歳二人と計算が速い七歳一人の三人に売りに行って貰っていたのだが、まさかの事態だった。
「誰がこんな事を!?」
ショックのあまりシスターの顔色も悪い。
「ひとまず治療しないと!」
「え、えぇそうね!」
シスターが慌てて救急箱を取りに行こうとしたが、シュンはそれを遮り三人に魔法をかけた。
傷は全て完治し、ボロボロの服も新品のように綺麗になった。
それに驚いた三人は一気に泣き止み自分の服を見下ろした。
「わぁ!すごい!」
「新品みたいだ!」
「綺麗!」
そんな三人を心配そうに見ていた他の子供たちだったが、シュンの魔法に目をキラキラとさせ、自分も!自分も!と押しつぶさんばかりに詰め寄ってきた。
「はいはい、わかったから!潰さないでぇ〜!」
一気に魔法をかけ、真新しくなった服を見て大はしゃぎの子供達を横目にシスターとシュンは三人に事の次第を尋ねる。
「チョコレート売ってたら知らないおじちゃん達が来て、“ここで商売するにはリンクソン伯爵の許可がいる”って言われて…」
「許可なくここで商売したなら、罰金を貰うって…お金全部持って行っちまったんだ…」
「商売したかったらチョコレートのレシピをもってこいって…それから、チョコレートを売ったお金の三割を貰うって…」
「リンクソン?」
誰だそれ?である。
子供達も知らないらしく首を横に振る。
シスターを見れば心当たりがあるのか、またもや顔色を悪くさせていた。
「貴族エリアの西側を管理してらっしゃる方で、あまりいい噂を聞かない方だわ。いきなり店を潰してそのお店がオリジナルで開発した売れ筋商品を横取りして、あたかも自社で開発したように装い売り出すの」
「じゃぁ今回はうちのチョコレートが目をつけられたと言うわけか…」
店がないから子供達を脅して暴力を振るうとか、まじ許せん!とシュンの闘志に火をつけた。
「南エリアで販売したらどうだ?管理するエリアが違えば目をつけられないんじゃ?」
「ギルドの許可証があれば、店を構えてなければどこで販売してもいい決まりなのに、おかしいよ」
おかしいと言われてもどうしようもないのが現実だ。
「明日は私が行く」
「え!?シュンちゃん大丈夫なの!?」
「勿論!私にまかせて!」
一人で行かせるのは危険だと反対したシスターだが、シンかレイルに付いてきてもらうからと説得してシスター達にはいつものようにチョコレート売りに行ってもらうことにした。
翌日、子供だけで販売していた所にシスター以外の大人が交ざると不自然なので、痣を魔法で消したシンに同行して貰った。
ぶつくさと文句を言うシンをチョコレートで黙らせ貴族エリアの西へとやってきた。
いつものメンバーじゃない事に常連の貴族達は首を傾げ、その都度シュンは貴族達に耳打ちをした。
「リンクソン伯爵がここでチョコレートを売っちゃいけないって、あの子達に怪我をさせたから、代わりにきたの」
と。
その発言に顔を顰める者や、やはりか、と納得するものも居る。
中には「向こうのエリアなら安全だから」とわざわざ教えてくれる者もいた。
「こんな事して何になるんだ?」
客がはけた頃を見計らいシンが口を開く。
シュンのやっている事がよく分からないといった風だ。
「貴族の人たちの反応からして、そのリンクソンって人はいつもこんな事やってるみたいでしょ?ギルドからの許可だけでいいのに、更にリンクソンの許可がいるなんておかしい。周知されているなら誰かしらが告発や訴えてもおかしくない」
「ふん、貴族同士で守りあってんだろ」
貴族に良い印象の無いシンはそう吐き捨てるが、シュンは構わず続ける。
「多分、ちゃんとした証拠がないんだと思う。だから好き勝手されても誰も何も言えない。でも、これまでは裏からこそこそ手を回してお店を潰すのに形式上でも書類が必要になってたし、余程な不備がなきゃ証拠にならない。でも今回はお店が無い状態だから実力行使しかないと思うの」
現に昨日、あんなに小さな子供達にも容赦なく怪我をさせていた。
「で?どうするつもりだ?」
「作り方を教えれば許可してもらえるんでしょ?だから教えてあげるの」
「…いや、作り方を教えたら奴らに商売を横取りされるんだろ?そもそも魔法で作ってるのに教えたって相手が魔法が使えなかったら意味ないだろうが」
「爵位のある人なら魔法使いの一人くらいは護衛とかで雇ってると思うんだけど?」
「まぁ…低級か中級位なら居るかもしれないか…」
と言葉を区切ったところでお待ちかねの相手が現れた。
「おやおや、ここで商売をするなと言っておいたのだが?やはり孤児と言うものは学が無いのかね?」
上等のスーツを身に纏い、黒い鷲の頭の杖を持った品のある佇まいの男が数人の護衛を連れてやってきた。
「おい、あいつ…」
「うん、やっぱり魔法使い居た」
護衛の中に魔力のある者を見つけた二人。
通常であれば魔力の有無は相手に触れなければ分からないのだが、魔力感知の魔法を覚えていた二人には直ぐに分かってしまう。
「作り方を教えれば良いって聞きました」
シュンはいつもの様子を引っ込め、猫を何重にも被り子供らしく振る舞う。
隣ではシンが微妙な表情をしているが気にしない。
「レシピを持ってきたのかね?見せてもらおうか?」
「これです」
渡した紙には複雑な魔法陣が描かれており、リンクソンは顔をしかめた。
魔法が使えない自分には全く理解出来なかったからだ。
後ろに控えている護衛の魔法使いに紙を渡せば、それを理解したのかコクリと一つうなずいた。
「良い子達だね、君達は。では許可しよう」
ご機嫌になったリンクソンはうんうんと頷き踵を返す。
このまま立ち去ろうとするリンクソンに、シュンは許可証は貰えないのか、と問えば自分が直々に許可したのだから必要ない、と返ってきた。
「あの!ではこの紙に一筆お願いします!後から許可してないって言われても困るので!」
「…」
焦った演技のシュンにまるでゴミを見るかのような視線を向けたリンクソンは、溜息を吐きペンと紙を受け取った。
“孤児達に一等地区でのチョコレート販売を許可する”
と書いたところで、
「あ、レシピの譲渡と売上の三割も用意するのでそれも書いてください」
リンクソンは表情を顰めつつも“レシピは譲渡されたものである。売上の三割の税を徴収するものとする。”と記入、そしてサインし、丁寧に家紋のシーリングワックスまで押してくれた。
シュンはあどけない笑顔で
「ありがとうございます」
と紙を受け取り、今度こそリンクソンを見送ったのだった。
「…それをどうするんだ?」
「ムフフ。お楽しみ」
「…ろくな事を考えてない事だけは伝わった…」
それから数日、夕方にやってくるリンクソンの手下に売上の三割を渡し、ニコニコとしながらシュンはシンと共に“その日”がくるのをまった。
シュンが魔法で作った手押しのカートには堂々とリンクソンの許可証が貼られており、買い物に来た貴族は「これは何だ?」と怒り気味に次々に聞いてくる。
そしてシュンは屈託ない笑顔でもって
「チョコレートのレシピを教える代わりに貰ったんです!」
と堂々と見せびらかした。(リンクソンの手下がくる前にはちゃんと剥がしてます)
シンにはそれが何を意味するのか分からなかったが、噂を聞いてやってきたというとある老紳士とシュンの会話にハッとする事になる。
「ギルドから許可があるのだろう?ならばそんなもの必要はないんだよ、お嬢さん」
「でも、この辺りで物を売るなら必要だって言われました」
「!」
それはリンクソンが良からぬ事をやっている証拠なのだ。
信じて疑わない様子のシュンを哀れむように眉を顰めた。
「そうか、分かった」
老紳士はそれだけ言うと目当てのチョコレートを購入し、静かに帰っていった。
するとそのすぐ後、今度は平民の若い男がやってきてチョコレートを購入。
そしてシュンの作戦の成功を意図せず告げていった。
「いやーやっぱりこの味だね。向こうにも似たようなチョコレートのお店ができたから行ってみたんだけど、あれはチョコレートじゃないよ」
「そうなんですか?」
「ああ、リンクソン伯爵の店らしいが、中のフルーツが腐ってたんだ」
「酷いですねー」
と素知らぬ顔で答え、男性を見送るシュン。
シンは全てを理解した。
「あの魔法陣、“時間差”の公式を組み込んだんだろ?」
「あたり!」
初めはちゃんとしたチョコレートが出来上がる。
なので味見の時点では何ら問題ない。
しかし、時間が経つにつれチョコレートの中のフルーツは通常の十倍の速さで腐っていくのだ。
朝作ったチョコレートは夕方にはもう食べられたものではない。
初めの数日は新店の物珍しさから購入してすぐ食す者が多いが、日にちが経つにつれ、購入しても直ぐには食べず、夕食後に家で家族団欒の時に食す事も多くなる。
団欒の最中、信頼の厚いはずの伯爵家の店で購入した物が腐っていたら信用はガタ落ちである。
それが何件も続けば店もそう遠くなく潰れるであろう。
更にはシュンが貼り出しているリンクソンのサイン入り許可証。
それを見た者達は皆一様に思うのだ。
「孤児達を騙し、レシピを奪った挙句、傷んだ材料を使い、金を稼ぐ為だけに利用したのだ」
と。
「評判ガタ落ちだよね。そのうち、家も潰れるんじゃない?」
「…えげつないな、お前」
「だって!みんなに怪我させたんだもん!これくらい当たり前じゃない!?」
「…」
シンが、シュンは怒らせまいと誓った翌日、国の役人なるものがシュンとシンの元へと訪れた。
役人の男は貼り出されたリンクソンの許可証を借りたいとの事で、シュンは快くそれを貸し出した。
なんならもう差し上げますと言う感じである。
それは、最後の仕上げとも言える。
リンクソンの悪行の証拠を、国が取りに来たのだから、これから彼は裁かれるのだと言う報せに等しい。
その日、当然ながらリンクソンの手下は集金には来なかった。
リンクソン家は徹底的に調べ上げられ、他にも同じように売上の三割を取られていた店や、それを資金源にした密輸や賄賂などの汚職が多数発覚し、シュンの言ったようにリンクソンは没落したのだった。
「と言うわけで、万事解決しました!」
「おぉー!!」
凄い凄い!と盛り上がる子供達とは裏腹にシスターは「え?貴族潰しちゃったの!?」という困惑顔であったが、シュンは気にしない。
「これまで通りじゃんじゃん稼ごうね!」
「おおおー!」
「頼む!」
「この通りだ!」
「もうお前しか頼みの綱はないんだ!」
「…」
シュンは絶賛誘拐され中であった。
否、正しくは誘拐されてあげたである。
しかし特に縛られるでもなく、監禁されるでもなく誘拐犯の一人の家へと連れてこられお茶まで出されてしまった。
この三人は執拗にシュンを誘拐しようとしていた者達で、ここ最近は特に酷く、ついには王族にしか下げてはいけない頭まで下げてきたのだ。
その理由が
「真っ当に仕事したいんだ!」
と言う“仕事をくれ”なのだが、シュンからすれば仕事を斡旋してくれる
「ギルドに行ったらいいじゃん」
である。
しかし三人にはギルドに行けない理由があった。
そもそもギルドに仕事を紹介して貰うには、年会費を払い会員にならなければならない。
シュンの様にただアイテムを売りに行くだけならば会員になる必要もないが、働き手は違う。
その年会費はギルドの運営に使われ、建物の維持費や仕事を紹介してくれる案内の人件費などにあてがわれるのだ。
三人のギルドに頼れない理由というのがまさに年会費である。
「つまり、年会費を踏み倒したせいで、会員を除名され二度と会員にはなれない、というわけ?」
「その通りだ…」
最近女性や子供達に仕事を与え収入源を確保すると言う事をやっていたせいで、自分達にも是非、と言う事になったらしい。
初めは勿論身代金目的であったが、誘拐犯三人のうちの二人の妻と母親がアルマの所で雇ってもらい始めた。
もう一人の男は息子が孤児院の子供達とチョコレートを売り、その売上の一部を給料として貰っている為、身代金目的の誘拐は無しの方向となったのだ。
ある意味恩人なのだ。
子供や妻、年老いた母親が働いているにも拘わらず、働き盛りの男が無職で誘拐犯など笑えない状況になってきていた。
目の前の三人はともかく、元兵士で魔物討伐の際体の一部を食われてしまった者、病気がちでまともに動く事ができない者、年を取りすぎ体が自由に動かせない者など、スラム街には犯罪者もいるが、やむを得ない事情で働けないものも居る。
彼らを全員どうにかするのは流石に困難である。
(いや、体の一部なら義足って言う方法があるか。“関連付け”の魔法を使えばなんとか…)
「嬢ちゃん!頼む!」
無言になってしまったシュンに断られるのではと不安に感じた男は、更に頭を下げた。
(一先ずはこっちからか…)
何か策はないかと思考を巡らす。
「じゃぁ、アルマさん達が作った服を売りに行くって言うのは?」
「でも、今は店に卸してるんだろ?」
「それだとこの街でしか売れないでしょ?だから他の街にも売りに行けば、更に需要が高まって売れると思うんだ」
物が売れれば金が入る、更に人を雇って物を作る。
それをまた売り、更に稼ぐと言う循環ができるのだ。
「勿論売ったお金に手を付けてしまったらみんな共倒れになって一巻の終わりだけど」
やる気があるならお膳立てはする、と言えば三人は真剣な面持ちでうなずいた。
「まぁ直ぐには無理かな。アルマさんに相談して作り手を先ず増やして、持っていく物を沢山作って貰うから。話の続きはその後でいい?」
「分かった」
「恩にきる」
「ありがてぇ!」
取り敢えず話は纏まった、とシュンは早速アルマの所へと向かう。
そこは空き家の一軒をシュンが改築し、作業しやすい環境になっており、働き手は家からここへと通っている。
材料の買い出しは未だにシュンが元手を出している為、オーナーの様な扱いである。
「あら、シュンちゃん!いらっしゃい」
「こんにちは」
恰幅の良いおばさんが人数分のお茶を用意していて、丁度休憩の時間の様でタイミングが良かった。
そしてアルマを含め、今居るメンバーに事の詳細を話した。
すると恰幅の良いおばさんは、プンスコと怒り始め、犯人のうちの一人は間違いなく自分の息子だ、と腹を立てていた。
それと同時に漸く真面目に働く気になったのかと、安堵もしている様だった。
「当面の給料は私が払うし、道具も用意するし、新たに人数を増やしていいかな?」
休日と言う概念がないこの世界で、来る日も来る日も働くアルマに眩暈を覚えたシュンは、職場カレンダーなるものを作り、週休二日制を導入したのは記憶に新しい。
人を増やし交代で休みを取れば、工場は毎日稼働する事が出来るし、病欠などで休まれても、その日休みだった人に代わりに出てもらうなどと言う事も可能になる。
アルマをトップにその下に数人責任者を作り、アルマが休んでも問題なく工場は回る仕組みになってはいるが、人が増えるという事は責任が増えるという事でもある。
それをアルマに問うているのだ。
アルマは暫く瞼を閉じた後ゆっくりと開いて、新たに雇用契約の作成を手伝う事を条件に了承した。
今までの雇用条件は年齢性別問わずミシンが扱える者、週五日働ける者、給料は出来高制(商品となり得るものを何枚作ったか)、拘束時間は朝10時から夕方5時まで、と言うものであった。
人を多く雇うにはそれなりに多くの契約が必要となる。
緊急の際休日でも出勤可能かどうか、工場に不利益な言動を取った場合には即座に解雇、など厳しい条件も付け加えざるを得ない、しかし、その反面、自分の好きな日に休日を取ることができると言うものも付け加えた。
今働いてる者たちも勿論同じ条件になるが、その者たちはそれで良いと納得してくれた。
「もう一つ相談があるんだ」
「何かしら?」
「商品にタグをつけようと思って」
「…たぐ?」
タグというものが存在しない為、一様に皆んな首を傾げる。
「チョコレートを売ってる時に気づいたんだけど、オリジナル包み紙はブランド性を高めるみたいで、ウチのチョコレートをお土産に持っていくと、包み紙だけで喜ばれるって言ってる人が居たんだ。あと、喧嘩した奥さんにも効果的だって言われた」
と笑いも交えれば、確かにあのチョコレートの包みを見れば機嫌は大体なおる、と当事者たちが証言してくれた。
「そのうち似たようなハルスカートが他のお店でも出てくると思うんだ。その前にウチが元祖だぞっていう証拠の目印みたいなものを付けようと思うんだ」
「それがタグっていうやつなのね」
「そう」
オリジナルのマークが入った判を押し、その形に厚紙を切り、穴を開けて商品とタグを結ぶ紐を付けるの三行程。
基本的にこの工場でやって貰う事になるが、これは別に軽作業員を募集するつもりである。
お年寄りや体の不自由なもの達が対象だ。
「いち早くブランド性を高めておけば、偽物が出回ってもタグのお陰でウチの商品の価値は下がらないと思うんだ」
「いいアイディアかもしれないねぇ」
「面白そうだわ!ウチの近所のおばぁちゃんも動けるうちに働きたいって言ってたし」
「雇用内容は変わらないけど、流石に作り手の皆んなと同じ給料では割に合わないから多少低い設定になるけど、それでもいいかしら?」
「いいよ。そのつもり」
流石に服一着とタグ一枚が同じ給料では、服の作り手達からは非難囂々であるため、そこもちゃんと理解している。
採用の時はそこもきちんと説明し、理解してもらう事を条件にこの案も可決となった。
それでは早速求人広告を出そうと、シュンは自宅に戻りアルマ達は仕事に戻るのだった。
魔法であっという間に広告は出来上がり、夜のうちにこれまた魔法であちこちに張り出されたり、家の郵便受けに放り込まれたりとした。
雇用内容は
服の作り手(ミシンが使える者)
タグ作りの軽作業
他の町への売り込み
の三種。全て老若男女問わず。
詳細面接にて!
と至ってシンプルだ。
広告を見たと翌朝から工場には列ができており、アルマとシュンはその日一日、面接官として過ごすのであった。
思いのほか働きたいと言う者が居たのが驚きである。
一部の女子供達が働き始め、それに触発されたのではないかと考えたが、真実は分からない。
中には狙い通り、軽作業目的のお年寄りや体の不自由な者も交ざっていた。
明らかに健康的な大の男が軽作業を選んだ時は問答無用で弾き、作り手希望の者には実施試験と言い、実際にハルスカートを作ってもらった。
概ね必要な人材は揃ったと言える。
翌日、新たに人も増えて工場と言う名の一軒家も手狭になってきたので、シュンがその横にある空き地にまで増築し、ミシンやタグに必要な材料を揃えた。
それらが全てシュンの自腹なのが驚きである。
(身代わりくんとポーションがすこぶる順調で助かるわー)
余談だが、身代わりくんは今、この街のギルドだけでなく噂を聞きつけた他の町のギルドにも出回っているため、月に三千体は売れており、月120万コインの売り上げである。(ポーションの売り上げは別)
それが更に伸びているのだから、他の売り上げを加えれば下手な貴族より余程稼いでいる。
「じゃぁ頑張ってね!」
シュンは暫く、他の町への売り込みに行く者達へ、商品が出来るまでの間商売レッスンを行う事にした。
ぶっちゃけガラが悪い。
誘拐犯三人の他にも六人居り、商品や売り上げを持ち逃げされてもおかしくない人選だが、そういった者しか殆ど集まらなかったのだ。
仕方がない。これでもマシなのを選んだつもりだ。
これはもう精神を根本から教育する必要がある。
教育の場として用意した一軒の空き家へと招いた。
商品サンプルが置かれており、どのように接客するかを学べる場所となっている。
初っ端から「買わなきゃ殴る」と言い出した時は流石のシュンも眩暈を起こした。
これはもう闇の魔法の出番でいいと思う。
暗示の魔法だ。
自分はスーパー商売人だと言う刷り込みを行うのだ。
普段は何時ものようでも商売に関する事には完全なるプロ意識が発動する。
これで売り上げを持ち逃げされる心配もなくなり一石二鳥である。
いきなり人が変われば魔法をかけた事に気付かれるため、商売への見方が変わったかのように演出し、毎日少しずつ魔法を強めて行き10日後に「お客様は肌のお色が明るくていらっしゃるのでどちらのお洋服もお似合いですよ」と言えるまでになっていた。
その後もすぐに出発ではなく、ロイスに頼み接客の実施訓練も行い、ロイスに「これならどこに出しても恥ずかしくないわ!」と、言わしめた。
タグの付いた商品は順調に出来上がり、九人は三人一組となり、別々の町へといってもらう事にした。
身なりを良く見せる為に作り手達から上品な仕事服が手渡され、旅費はシュン持ちだ。
手持ちの旅費でやりくりできなければ、解雇も考えると脅しておいたので無駄な使い方はしないだろう。
まぁ夕食時に僅かだが酒くらい飲めるようには設定してある。
家族と離れるのだからそれくらいのご褒美はあっても良いと思う。
二週間後、近隣の町や村を回った結果、上々の売り上げであった。
やはりハルスカートの様に動き易いものは人気の様だ。
これでスラム街もなんとかなりそうだとホッとしたところで帰路に就いた。
レイルと出会ってもうすぐ三年が経とうとしていた。