9 冒険の日3
今日僕がラドゥ達と潜るのは、冒険都市ナルガンズにある三つのダンジョンのうち、緑の迷宮と呼ばれる場所だ。
ナルガンズには他にも無色の迷宮と言う名前の、石造りの通路と玄室を組み合わせたオーソドックスなタイプのダンジョンや、出現する魔物がアンデッドやゴーレム、或いは悪魔か天使ばかりと言う特殊なダンジョン、灰色の神殿と名付けられた物もある。
悪魔や天使、特に天使に関しては、魔物と言う分類に入れてしまって良いのかは物議を醸すが、僕の考えではダンジョンに出る連中は魔物で良いと思う。
と言うよりも、ダンジョンに出る悪魔や天使と、外の世界でごく稀に奇跡的な可能性で出会う事のある悪魔や天使は、姿形は似ていても全くの別物だった。
本物の悪魔の強さと狡猾さは、ダンジョンに出る魔物の比じゃないし、天使だって本物はもっと面倒臭い。
どちらも爺ちゃんが召喚獣として契約してるから、僕は本物を知っている。
まあともあれ、今日潜るのはそちらじゃないので、別に関係のない話だろう。
では緑の迷宮はどんな場所かと言えば、自然環境型のダンジョンだ。
特徴としては、まず地下に向かう入り口に入った筈なのに、中には広い空間が存在して、何故か空には太陽もある。
これはどんなに階層を下っても同じで、一つ階層を下りればまた別の太陽が空に浮かぶのだ。
その他の細かな条件は階層によって変化するが、殆どの階層は緑、つまり自然が多い環境だった。
例えば草原や、或いは森で、出現するのも魔猪や魔狼等の魔獣や、大型蜘蛛や殺人蜂の群れ等の魔蟲が多い。
緑の迷宮では宝箱の出現が滅多になく、武具や特殊なアイテム、もしくは財貨を得る事にはあまり期待が持てないが、その分は魔物の素材や特殊な自然からの採取で稼げる。
今回潜るダンジョンを緑の迷宮にしたのは、ラドゥ達が冒険者組合で引き受けた依頼が、とある薬草の採取だったからだ。
その薬草は調薬すれば、子供が掛かる流行性の熱病に効く熱冷ましとなる。
神聖魔法には病気を快癒させる物もあるが、それを扱えるのはかなりの高ランクの司祭となるので、当然だが子供の流行病位には使われない。
仮に使うとしたら余程の金持ち、貴族の子弟や大商人の子供が病にかかった時位だろう。
しかしこの熱病は本当に高い熱が出るので、身体の弱い子供の場合は、そのまま命を失う事も時にはあった。
だが薬草が、そこから調薬される熱冷ましがあれば、無事に病を乗り切れる可能性は大幅に上がるのだ。
唯一つ問題があるとすれば、強い熱病を冷ませるだけの効果がある薬草は、特殊な場所にしか生えていない事である。
そう、例えば魔の森の中層部や、或いは緑の迷宮等の。
流行病への対処に使うのだから、当然量もそれなりに必要だ。
けれども薬草の買い取り価格を高くしてしまえば、当然薬の値段も高くなり、矢張り本当に必要とする子供に使われない可能性が高くなってしまう。
だがそうなれば、緑の迷宮に何日もかけて潜る冒険者達には、薬草の採取は割に合わない依頼でしかない。
大金にならない薬草を持って帰る位ならば、一匹でも多くの魔物の素材を持ち帰った方が効率が良いのは当たり前だった。
まあだからこそ、僕が来るタイミングでラドゥ達はこの依頼を受けたのだろう。
僕が転移魔術を使う前提なら、持って行く荷物は少なくて済むし、持ち帰れる荷物にだって余裕はたっぷりとある。
多分この依頼を受けたがったのはディシェーンだ。
怒らさなければ優しい彼女は、皆に余裕がある時はこの手の依頼を受けたがるから。
それにグループとしても悪い選択肢では決してなかった。
金銭的な効率は兎も角として、僕と言う魔術師を連れ歩いてる嫉妬も、この手の依頼をこなしていれば随分と和らぐ。
誰だってとまでは言わないが、多くの人は自分に余裕があるなら子供の苦しみは減らしてやりたいと思う物で、そう出来なければほんの少しは心苦しい。
だから誰かが代わりにそれをしてくれていれば、多少なりとも感心するし、有り難くも思うのだ。
と言う訳で、ラドゥ達と共に転移したのは緑の迷宮の第十二層。
ここは夏の森の環境が再現されている階層だった。
転移前までは緩く軽口を叩き合っていたカーイルとシーラも、ダンジョンに足を踏み入れた後は雰囲気が変わる。
ダンジョンシーフであるカーイルと、弓手であるシーラはこのグループの目であり耳とも言えるだろう。
普段の探索時はカーイルとシーラが交互に、一人ずつ気を張って敵の探知に努めるが、転移直後だけは二人掛かりで周囲の安全を確認するのだ。
転移魔術での移動は、事前にその周囲が現在どんな状況にあるのかまではわからない。
流石に転移先の空間に別の何かが居た場合は危険なので、直前に魔力を放出して確認し、仮に何かが居た場合は転移が止まる様な機能は術に組み込まれている。
けれどもそれが故に、魔力を感じ取れる者が転移先の近くに居れば、転移の予兆は感じ取られてしまう。
故に転移直後の不意打ちへの備えや、周囲に何者かが潜んでいないかの安全確認は必須だった。
「周囲に敵なし。でも進行予定方向には魔物の群れがいやがるな。多分こっちにはまだ気付いてねえ」
「同じく敵の気配は感じなかったわ。前の敵はこの階層だとグレートファングかブラッディボア辺りが有力ね。気配の大きさ的にも、数的にも、バーサーカーベアーではない筈よ」
流れる様な報告の後は、カーイルが警戒を維持し、シーラは矢筒から矢を一本引き抜く。
多分この先の魔物とぶつかる事を考えて、シーラは意識を警戒でなく戦闘に向けているのだろう。
弓手のシーラが最初から矢を用意してなかった理由は、転移直後に不意打ちを受けた場合は、邪魔になる弓を捨てて対処せねばならない可能性がある為、矢の準備は寧ろ邪魔になるから。
ダンジョンシーフのカーイルも全く戦えない訳じゃないが、一人くらいは戦闘から離れて周辺を警戒し続けた方が、グループ全体の安全は確保されるのだ。
彼等は、今名前を挙げなかったディシェーンやラドゥも含めて、中々に実力があり、尚且つそれに驕らない冒険者達だった。
僕も別に話を聞いてくれた恩義のみで彼等と共にいる訳ではない。
ダンジョンに潜る度、何か一つは自分では考えつかなかった発想や、知らなかった知識を僕は彼等から得ている。
週に一度しか組まない僕が言うのもおこがましいかも知れないが、そう、彼等はとても良い、得難い仲間だ。
それに多分、シーラはさて置きカーイルは、僕が単なる魔術師でないと気付いているだろう。
僕はダンジョン探索には魔術師として参加している為、基本的に刃を握りはしないが、それでも転移直後や魔物との戦闘時、思わず自分の気配を薄れさせてしまう事は偶にあった。
本当にもう、身に染み付いた厄介な習慣みたいな物なのだ。
そしてそんな時、驚いた顔のカーイルがこちらを見て居た事がある。
でもカーイルは、或いは彼から報告を受けたラドゥも、僕に何も聞かず、変わらず仲間として接し続けてくれていた。
「よし、なら先に倒してしまおう。ここで見逃して、採取中に襲われても厄介だ」
決断したラドゥの言葉に、全員が頷く。
シーラが先程言った魔物は、この階層に出て来る魔狼、魔猪、魔熊の名前だ。
僕等が緑の迷宮で到達しているのは第十八層だから、十二層の魔物位は余裕を持って対処出来るだろう。
戦闘の口火を切ったのは、シーラの放った一矢。
上空に打ち上げられた矢が風に乗って向きを変え、先に居た魔物、グレートファングの脳天に空より突き刺さる。
エルフと言う種族故だろうか、まるで流れる風を見切っているかの様な見事な一矢だった。
矢による不意打ちを受けたグレートファング等は一瞬動揺した様子だったが、しかし流石はダンジョンの魔物と言うべきか、怯む事はなく敵意を剥き出しにしてこちらに向かって駆け出す。
矢継ぎ早に弓から放たれるシーラの矢は、グレートファングの接敵までにもう二匹を倒したけれど、それでも残る数は意外と多く、十数匹の魔狼が僕等に向かって牙を剥く。
けれどその名が付けられた所以にもなる魔狼達の巨大な牙は、前に進み出たラドゥとディシェーンの盾に防がれ、剣と槌矛で打ち払われる。
数に勝るグレートファング達は何とか僕等を包囲して、後衛から食い破ろうと企むが、前衛達の発する気迫と連携が決してそれを許さない。
魔物の性質として、強い気迫をぶつけられたなら、どうしてもそちらに注意を惹かれ、敵意を向けてしまうのだ。