6 自由日2
館と、その周辺一帯を覆う魔物避けの結界がある場所、爺ちゃんの領域を出た僕とクオンは、魔の森を東に向かって進む。
魔の森は、普通の獣や弱い魔物達が住む外周部分を浅層部、それなりの実力を持つ魔物達が住まう中層部、更に強い魔物のみが巣食う深層部に分けられるが、実際に広大な森の大部分を占めるのは深層部である。
と言っても浅層部や中層部も、普通の森に比べればずっと広い面積を持つけれども。
ただ深層部の魔物と言うのは、うっかり森の外に出れば単独で町の一つや二つは破壊しかねない危険な魔物ばかりである為、互いに安易に出会わない様、広めの縄張りを持つのだそうだ。
因みに浅層部には森の民とも言われるエルフの集落も幾つかあるが、そんな彼等も中層部には兎も角、深層部には決して踏み込まない。
でも爺ちゃんの領域はその深層部の丁度ど真ん中に存在するので、僕等が森を探索して遊ぶ場合は、必然的に深層部を行く事となる。
だけど当たり前の話だが、僕等は別に自殺志願者ではない。
僕は二年前、クオンを助けた時点で既に隠身術と魔術を組み合わせる事で深層部の探索が可能になっていたし、クオンだってあの頃の様に無力ではなかった。
召喚獣として僕と契約したクオンは他の幻狐よりもサイズは兎も角、力の成長は早くて大きいし、何より僕と爺ちゃんの拠点でかくれんぼをして遊んでた結果、気配察知能力も隠身も、大人の幻狐に勝るとも劣らない実力となっている。
だからこそクオンは自分だけで僕に会いに、爺ちゃんの領域まで来れるのだ。
故に僕達にとっては深層部の魔物と言えども、先に存在を察知して近付かない、隠れてやり過ごす、目を晦まして逃げる位ならば、然程難しい事じゃない。
まあ勿論、正面切って戦う羽目になったら話は全然別なのだが。
何にせよ、兎に角僕等は深層部の魔物をやり過ごしながら、思う儘に森を歩く。
道中、甘い果実のなる木を見付けたので、登って僕とクオンの分、それと爺ちゃんへのお土産に合計三つを採って、二つはその場で食べてしまう。
流石に木登りに関しては、四足で移動するクオンよりも、手を自由に使える僕の方が得意である。
この果実は魔の森でも深層部でのみ採れる物で、外の町では伝説の果実とか言われてて、食べると寿命が延びるなんて風にも言われてるらしい。
その真偽は知らないけれど、僕等にとっては甘味と汁気の程良い、丁度良いおやつであった。
実は一言に魔の森の深層部と言っても、本当は四つのエリアに分かれている。
爺ちゃんの領域を中心として、東部、南部、西部、北部の四つだ。
これは別に僕等がそう分類した方が呼び易いって話ではない。
四つのエリアは、それぞれ主となる深層部でも最上位に位置する魔物達が君臨していて、……多分彼等が爺ちゃんを避けて支配地域を定めた結果、こんな風に綺麗に四つに分かれたのだろう。
そして魔の森の、南部と西部には中層部や浅層部は存在しなかった。
魔の森を南部に進めば、大きな山脈部にぶつかり、その山の麓まで深層部が続いてる。
西部に進めば、この大陸でも最も大きく、清浄とされる湖である、水の精霊達が住む湖に辿り着く。
湖には水の精霊達の他、水棲の竜なんかも居るらしい。
南の山脈にせよ西の湖にせよ、普通の人が立ち入れる場所じゃないから、魔の森の深層部と接していても平気なのだ。
北部と東部にはちゃんと中層部、深層部が存在していて、その向こうには人の暮らす地域が広がっている。
グランザース国もその一つで、グランザースは魔の森の北に存在する国家の中では最も大きな一つだろう。
その周辺にはグランザースと対等の規模の国家は僅か二つしかなく、……まぁ人の世界の話は今は良いか。
魔の森北部の中層部は樹齢数千年の大樹が動き出した存在が主として君臨していて、東部の中層部は主を決める為に魔物達が相争う状態が続いているとか。
人の世界に住んで居たら知る事は決してないであろう、実際にそこに住まう住人だからこそ知る、魔の森の勢力分布はこんな感じだった。
さて、では何故いきなり魔の森の主達の話をしたのかと言えば、僕はクオン探索中に、とあるものを見付けたからだ。
幅が歩いて十歩の距離より少し大きく、うねうねと森の中を走る大きな道。
僕はこの道がなんであるのかに、心当たりがあった。
恐らく魔の森の深層部、東部エリアの主であるグランドワームが通った痕だろう。
でもそれにしては、少しだけおかしい事がある。
「東の主、何だか凄く荒れてるよね?」
僕は確認する様に、出くわした道に向かってケンケンと吠えてるクオンに問う。
グランドワームは超大型の魔物故、通った後に道が出来るのは仕方がない。
しかし気質的に穏やかな部類に入る主であるグランドワームは、森の中を移動する際、成るべく周囲を傷付けない様にそっと移動する筈なのだ。
なのに今、僕等の目の前にある道は、下生えの草は土ごと抉られ、周囲の木々は圧し折れて積み重なった、散々な有様を見せていた。
一体何があったのだろう?
僕は道に踏み入り、何か手掛かりはないかと周囲を調べる。
そしてそれは、探し始めてすぐに見つかった。
周囲に倒れた木々の一部に、べったりとどす黒い何かが付着していたのだ。
僕は直接手では触らず、拾った枝にそれを擦り付け、間近に持って来て観察する。
強い魔力の残留する体液。
多分、グランドワームの血液だろう。
当然ながら、道を進む際に圧し折った木々で身体を傷付けた、なんて間抜けな話はあり得ない。
グランドワームがその気になれば、硬い岩山だろうと抉って通り抜けて、洞窟の道を開通させる。
幾ら魔の森の深層部に生えるとは言え、単なる木々が傷付けられる存在じゃないのだ。
ならば一体何者が、グランドワームに傷をつけたのだろうか?
僕は強く好奇心を刺激されるが、それをグッと飲み込む。
実の所、これは結構拙い事態だった。
深層部の主のうち、北と東、つまりその気になれば人里に向かって魔の森を抜けれてしまう場所の主達は、幸いな事に気質が割合に穏やかだ。
グランドワームもそうだし、北の主である超巨大な亀、ギガースタートルも同じくである。
勿論気質的に穏やかである事と、人に対して好意的であるかどうかは全くの別なので、彼等が人間に対して優しいでは決してない。
ただグランドワームは自分の縄張りを大きく荒らされ無ければ基本的には無関心だし、ギガースタートルはそもそもずっと寝てるから基本的には森の中に突然現れた小山と然程大差はないだろう。
そしてそんな彼等だからこそ、縄張りを広げる為に森の外に侵攻しようなんて気は起こさないでいてくれるのだ。
けれども南の主は違う。
南の主である、百の首を持つヒュドラの亜種、フレイムヒュドラは野心的な魔物で、どうにかして自分の縄張りを広げたいと考えている。
幸い魔の森の南には大山脈しかないので、フレイムヒュドラがそちら側から人里に出て行く事はあり得ないが、仮にグランドワームが大きく傷付き、その力を低下させていれば、フレイムヒュドラは東部のエリアの縄張りを奪おうとする可能性は少なくない。
そうなると何れは、東の人里にフレイムヒュドラが出て行く事も大いにあり得た。
グランドワームは僕の事を爺ちゃんの眷属だと認識してる為、普段は仮に出くわしても僕に手出しをしない筈。
でも傷の痛みに狂乱しているなら、その行動は全く読めない。
もしもグランドワームがその暴威を僕に向ければ、嗚呼、僕はきっと簡単に粉々になってしまうだろう。
だからどう考えても、この件は僕の手に余る話なのだ。
当然放置も出来ないので、とれば爺ちゃんに頼るより他に無かった。
本当は、出来る限りは自分で何とかしたいのだけれど、しかし僕が逆立ちした所で天と地は入れ替わらないし、出来ない事は出来ない。
物事には自分で解決出来ないのなら関わるべきでない事も多々あるが、今回はそんな事を言ってる場合でもないだろう。
故に僕はクオンをその腕に抱きかかえて、転移魔術の詠唱を始める。
爺ちゃんに、今見た事を報告して助けを求める為に。
その後、爺ちゃんの手でグランドワームの傷は癒され、彼の狂乱は収まった。
ただ血を流して体力を失った状態で狂乱していたグランドワームは深く疲労しており、爺ちゃんに治癒の礼を伝えた後は直ぐに眠りに落ちてしまったから、結局何者がグランドワームを傷付けたのかはわからないままだ。
爺ちゃんはグランドワームが暴れた事で恐慌状態に陥っていた東部の魔物を鎮める為に飛び回り、それを調べるどころじゃないらしい。
勿論爺ちゃんが動いた以上は、やがて森の東部の混乱は収まるだろう。
だがそれでも、何故それが起こったのかの原因は謎のままに終わる。
少しばかりの時間経過で爺ちゃんが痕跡を調べられなくなるなんて俄かには信じ難いが、でもそう言われてしまえばそうなのかと頷くより他に、僕には無かった。
多分爺ちゃんは、僕が未だ知るべきでない、関わるべきでないと考えてそう言ったのだろうから。