54 森の依頼4
両の掌にたっぷりと魔力を込めて、思い切り打ち鳴らす。
音と共に広がる弾けた魔力が、人には知覚出来ない領域で密かに響いていた歌声を打ち消して行く。
そして歌の効果が切れたが為に僕の目の前に姿を見せたのは、裸体の美しい女性だった。
……と言っても勿論彼女は人間では無い。
その証拠に、一切隠す事なく曝け出す彼女の下半身は、蛇の鱗に包まれ曲がりくねってる。
人の女性の上半身と、蛇の下半身を持つ魔物、そう、彼女の正体はラミアだ。
それも言葉を発する事が出来ない代わりに、魅了の力を持つ歌を扱う力を強化したラミアの亜種で、確か名前はファンシネイトラミアか、チャームラミアあたりだっただろうか。
魔物には詳しい方だと自負するが、流石に珍しい亜種の名前はうろ覚えだった。
ラミアには、特に亜種や上位種には、他の種族の子供を喰い殺したり、或いは逆に育てたりする本能があるとも言われるが、それが真実ならばファイアドレイクの卵を狙うのは寧ろ当然なのだろう。
先程の隠身からもわかる通り、どうやら歌の力は魅了以外にも及ぶらしい。
恐らく彼女の魅了が、ハングリートロールをここまで誘導したであろう事も間違いはなかった。
仮にミュースやエント、そして僕が居なければ、或いは眼前のラミアは、二匹のファイアドレイクの目を掻い潜って卵を手にしていた可能性がある。
その位にラミアの持つ歌の力は厄介だ。
しかし当然、それは僕等が居なければの話で、僕に見付かった以上は彼女が卵に辿り着く事はあり得ない。
ラミアがファイアドレイクの卵を食べる心算だったのか、或いは育てる心算だったのかは知らないが、どちらにせよ彼女の目論見は既に潰えている。
とは言えそんな理屈を戦いもせずにラミアに納得させるのは不可能だった。
彼女が口を開くと同時に、殺気を感じた僕は身を翻してソレを避ける。
後ろにあった木に、大きく抉れた穴が開く。
ラミアの口から放たれた歌の仕業だろう。
理屈はいまいちわからないが、音に込められた魔力が物理的な破壊力を発揮していた。
しかも厄介な事に、どうやらソレは連続して放てるらしい。
ボッ、ボッ、ボッと、息を吸い込んだラミアが口を開く度に、強力な破壊の力を持った歌が飛んで来る。
幾ら破壊力があっても飛んで来るのは歌なので、当然ながらその全てが目には映らない不可視の力だ。
飛来する速度も恐ろしく早いソレを、僕はラミアの視線と口の向きから狙いを察し、放たれる寸前に動く事で回避して行く。
少し前までの僕なら厄介な攻撃を受けた際、瞬間転移を使って避けながら相手の死角に移動し、魔術で仕留めるって手段を使っただろう。
でも今の僕はこんな攻撃位では瞬間転移に頼ろうとは思わない。
瞬間転移は僕にとっては切り札の一つで、切り札は切らずに取って置けるならそれに越した事はないと理解しているから。
僕は飛んで来る歌を全て掻い潜って前に進み、更に伸びて来た尻尾も避け切って、ラミアの懐まで潜り込む。
そして間近に迫った僕にラミアがもう一度不可視の歌をぶつけようと口を開いたその時には、腰から引き抜いた短剣の切っ先が、彼女の人と変わらぬ喉元に触れていた。
この状態まで持ち込めば、もうラミアは動けない。
もし動こうとしても、彼女の行動が実を結ぶよりもずっと早くに、短剣がその喉を裂くだろう。
勿論魔物であるラミアは、人間と似た様な姿はしていても、やはり比べ物にならない位に皮膚は強くて、尚且つ生命力も強靭だ。
だから或いは一度喉を切り裂かれた位なら、ラミアにとっては致命傷とはならない可能性はあった。
だがそれでもラミアが動きを止め、反抗の気力を失ったように尻尾をだらりと垂らすのは、僕が彼女を殺せると確信している事を察したからだろう。
どう動いた所で僕には届かず、何をしようが殺されるだけだと、つまりは格が違うと理解させる。
恐らくこれが、普段僕の訓練相手を務めてくれる爺ちゃんの召喚獣、デュラハンのクーデリアが言っていた実が足りると言う事だ。
僕は戦意を失ったラミアに、眠りを齎す魔術をかけて無力化する。
別に殺す必要性は感じなかった。
彼女が百度襲って来ても、百度同じ結果になる確信があるから。
それにこうして無力化しておけば、エントの誰かが、森の主であるエルダーエントの所まで運ぶだろう。
このラミアの運命は、エルダーエントが決めれば良い。
多分酷い事にはならない筈だ。
魔の森は、魔物は、基本的には弱肉強食。
今回のラミアの行いに罪があるとしたら、僕に負けた弱さだけ。
勝者の僕が命を奪わなかった以上、その弱さを他の誰かが罪として責める事は恐らく無い。
また時を同じく、消耗し切ったハングリートロールも、ミュースの魔術で無力化された。
ハングリートロールが盛大に暴れたせいだろうか、それからはパタリと襲撃が止む。
だからと言って警戒を緩める訳には行かなかったけれど、何事もなく時間は過ぎて、やがて日が傾き、空は朱を帯び始める。
そしてその朱い空に、不意に大きく、力強い咆哮が響く。
大気を震わせる魔力を秘めたそれは、戦いの場に於いては勇無き者の心を挫くとも言われる竜の咆哮だ。
しかし今、その咆哮に込められた感情は敵対者を打ち砕く敵意じゃない。
その咆哮が教えてくれるファイアドレイクの心は歓喜で満ちている。
この状況でファイアドレイクが喜ぶ出来事なんて一つしかなかった。
そう、無事に卵が孵ったのだ。
「先生!」
こちらを振り返ったミュースもそれを感じ取ったのだろう。
満面の笑みを浮かべていた。
彼女の周囲で葉を鳴らすエント達も、どことなく嬉しそうに見える。
きっとそれは大きな依頼を無事果たせたからってだけじゃなく、新しい命の誕生に浮かれる気持ちもあるのだろう。
僕は大きく息を吐き、笑みを浮かべてからミュースに向かって拳を掲げる。
うん、彼女とエントだけじゃなく、僕も気分が高揚していた。
残念ながら生まれたばかりのファイアドレイクの子を見る事は叶わない。
でも何時か、それが十年先か二十年先かはわからないけれど、ファイアドレイクの子が成長して空を飛ぶ時には遠くからでもそれを眺めに来ようと、そう思う。




