53 森の依頼3
卵の護衛を始めてから、三週間が経過した。
この三週間でミュースは随分と若い樹人、エント達との仲を深めている様に思う。
護衛と言っても四六時中僕等が貼り付いている訳じゃなく、夜は北側中層部の長であるエルダーエントが手配した他の護衛と交代するのだが、護衛時間が終わる間際になるとミュースの周囲にはエント達が集まって来る。
最初の頃は彼女が散水する魔術で生み出した水を目的としていたエント達だったが、今ではミュースとの触れ合い自体を目的としている様子なのだ。
その証拠に、ミュースとエント達は念話の魔術を用いなくても簡単な意思疎通が行える様になっていた。
この分なら卵の護衛が終わった後に行うエントとの召喚契約もスムーズに、或いは寧ろ、誰がミュースと契約するかでエント達が取り合いをする可能性すらある。
もしそうなったなら、……まぁミュースが頑張って解決する事だ。
きっと今のミュースなら、上手く何とかするだろう。
さてそんな風にミュースとエント達が仲を深めている間にも、色んな魔物がファイアドレイクの卵を狙ってやって来る。
子供喰いの妖精と言われるバグベアの群れや、魔物でありながら魔術を操る知恵を持つ大梟、マギウスオウル。
ハルピュイアも空から襲来したし、ヘヴィクロウラーは地を這って襲って来た。
そして特に血眼になって攻め寄せたのが、亜人型の魔物達だ。
ハイエナと人間を混ぜた様な魔物、ノールの上位種であるハイノールや、同じく犬と人を混ぜた様なコボルトの上位種のハイコボルト。
豚人のオークだって上位種が大軍で押し寄せる。
仕える王に献上するのか、或いは自分が喰って王となる為なのかはわからないが、彼等は執拗にファイアドレイクの卵を狙い続けた。
例え群れの八割がファイアドレイクに焼き尽くされたとしても、強い王の存在があれば亜人型の魔物達は増えるのも早いから立て直しは容易なのだろう。
でもその全てをエント達とミュース、ついでに僕も加わって撃退し続けた。
別に卵を狙って襲い来る事を悪いと思う心算はないけれど、今の僕は対価を約束された依頼で動いてる。
他にも結構驚く位に多様な魔物と交戦したが、今の所は卵の防衛に困難さは感じていない。
しかし今日は、何やら様子が少し違う。
護衛のエント達も緊張している風に感じるし、巣のファイアドレイク達、特に何時もは鷹揚に構えている雄の方すら、今日はピリピリとした何かを発していた。
不審に思い、ミュースがエント達から聞き出せば、どうやら卵の孵化が近いそうだ。
僕は卵の孵化まで数ヶ月はかかると覚悟していたのだけれど、思ってたよりもずっと早い。
たった数週間で孵るなんて、鶏の卵じゃあるまいしと思わなくもないが、護衛の期間が短くて済むのは素直に有り難い話だった。
本来なら竜種の卵の孵化には数ヶ月どころか、それこそ数年単位の時が必要になるケースが多いと聞く。
なら何故こんなにも早い孵化となったのかと言えば、やはり一つ目は魔の森が発する魔力の豊富さで、二つ目は両親であるファイアドレイク達の献身が故だろう。
竜種の卵が孵化する条件は、多くの魔力を溜め込む事だ。
仮に卵を魔力の存在しない場所に保管すれば、卵は何時までも孵化せずに卵のままであり続ける。
だがその卵を再び魔力に晒してやれば、卵は再び魔力の吸収を始めて問題なく孵るとか。
ある意味では植物の種に近い。
けれどもだからこそ卵が必要とする魔力は、竜種としては下位であるファイアドレイクでもかなり多量に必要なのだ。
その意味で言うならば、中層部とは言え魔の森は、竜種の卵を孵すのに適した場所と言えるだろう。
但しその分外敵も多いが。
そしてファイアドレイク達は、その外敵の多さが故に、出来る限り早い卵の孵化を望んだらしい。
巣の防衛を薄くしてでも、雄は毎日せっせと狩りに出かけ、得た獲物を全て雌に与えた。
獲物を喰らって豊富な魔力を取り込んだ雌は、その全てを抱える卵に流し込む。
両親が共に身を削っていたからこそ、こんなにも早く卵の孵化が近付いているのだ。
だが卵の孵化が近付いていると言う事は、卵の持つ生命力もこれまでになく活性化しており、当然ながら今まで以上にそれを狙う魔物を引き寄せてしまう。
故にここから先の卵の防衛は、恐らくこれまでの三週間とは比べ物にならない程厳しい物になる。
そんな僕とミュースの予感は、それから半刻と経たずして現実の物となった。
ズン、と僅かに地が揺れる。
森の向こうから木々を掻き分けながら、巨大な魔物がこちらを、より正確には防衛線の更に向こうのファイアドレイクの巣を目指す。
ソレは岩の様な肌をしているが、石のゴーレムでは無い。
二足歩行で、生える木々より巨躯を誇るが、巨人の仲間とも言い難い。
と言うより、コレを巨人に含めると巨人達が怒る。
妖精の中でもとびきり大きく、恐れられる存在。
ソイツの名前はトロールだ。
それもトロールの中でも特に巨大で狂暴。
かつ愚かで、食べる事と暴れる事以外は考えられないと言われるハングリートロールだった。
人間と比べたら圧倒的と言って良い巨体の放つ威圧感に、まだ遠目だと言うのにミュースは驚き固まってしまってる。
まあ無理もない話だろう。
僕だってディープフォレストジャイアントのケトーで見慣れていなければ、少しは呑まれたかも知れないのだから。
とは言え、ハングリートロールは所詮妖精の仲間であり、本物の巨人であるケトーに比べれば大分小さい。
……ケトーと比較になる時点でとんでもないサイズではあるのだが、だからってどうにもならないって相手って訳でもないのだ。
例えば僕が相手をするなら、それこそケトーを召喚すれば良い話である。
強くて大きなケトーの出現はファイアドレイク達を刺激するだろうが、彼等だって馬鹿じゃない。
この数週間、僕等が周囲を守っている事には気付いているし、縄張りである岩場に踏み込まない限り、いきなり敵対されはしないだろう。
そんな風に思える位には、僕は数週間見守ったファイアドレイク達に親近感を感じてる。
でも今回、このハングリートロールに挑むのは僕とケトーじゃなく、ミュースとエント達だった。
何故ならハングリートロールがこの場所に現れたのは、他の何者かの仕業である可能性が高いからだ。
確かにハングリートロールは食欲の権化ではあるけれど、美食家では決してない。
寧ろその食欲は悪食と呼ぶべき物で、ハングリートロールは動く物なら何でも口に入れようとする。
そんな目の前の餌に喰らい付く事しか考えないハングリートロールが、わざわざファイアドレイクの卵を狙って現れるとは考え難いだろう。
ならば何者かが、何らかの手段でハングリートロールをこの場所に誘導したと考える方が自然だろう。
当然その目的は、ハングリートロールを囮にして、その間に自分がファイアドレイクの卵を手に入れる事の筈。
故に僕はそちらの警戒を怠らない様にする為、ハングリートロールの相手をミュースとエント達に任せたのだ。
と言っても、それはミュースとエント達が、強力な魔物であるハングリートロールに勝てるのならばの話である。
ハングリートロール相手の敗北は、間違いなく即座に死に繋がるのだから。
他の魔物が相手であるなら、仮に力尽きても、周囲で戦闘が続いていればすぐさま止めを刺されはしない場合もあるだろう。
だがハングリートロールの場合は、例え周囲からの攻撃を受けながらでも、無力化した獲物を口に運ぶ事を優先する。
否、無力化されていなかったとしても、魔術以外の戦う術に乏しいミュースでは、前衛のエント達が突破された時点で捕まって食われる可能性が高かった。
幾ら依頼だと言っても、僕がファイアドレイク達に親近感を持っていると言っても、ミュースの身には変えられない。
エント達が突破されそうになったなら、僕はファイアドレイクの卵を見捨ててでも、ミュースの身柄の確保に走る心算だ。
……しかし、どうやらその心配は僕の杞憂の様だった。
ゴウッと、音を立てて振るわれたハングリートロールの巨腕を、並んだ三体の樹木、エント達が受け止める。
木々等簡単に打ち砕く筈の怪力を受け止められ、ハングリートロールに驚きの表情が浮かぶ。
年を経た巨木のエントなら兎も角、ここに居る若いエント達では、本来の実力差から言えばハングリートロールの相手は難しい。
でもそれはあくまで本来ならば、エントとハングリートロールが他からの影響なくぶつかった場合の話であり、今のエント達の後ろにはミュースが居るのだ。
ハングリートロールの巨腕を受け止めたまま、枝や根を絡み付かせて敵の動きを封じようとするエント達の身体は、薄っすらとした光を発していた。
そう、それは魔力の光。
ミュースが施した防御と、更に力を倍化させる魔術がエント達に掛かっている証左である。
そしてその魔術が施されているのは、ハングリートロールと組み合うエント達だけではない。
何時の間にか周囲を包囲し、逃げ場を無くしてから戦いに参加しようとしている全てのエント達が、その身体から魔術が施された魔力の光を発していた。
魔力の豊富なミュースだからこそ出来る芸当であり、その効果は絶大だ。
あの全てに襲い掛かられれば、いかに怪力を誇るハングリートロールと言えども逃れられないだろう。
何せハングリートロールは、怪力と巨躯以外には特殊な攻撃方法は持っていないのだから。
それを封じられてしまったならば、文字通りに手も足も出やしない。
ハングリートロールはもう一つ、強大な再生能力も持っているが、ああやって捕まって封じられてしまえばそれももう関係がなかった。
束縛から逃れようと足掻き、体力を消耗し尽した時には、ミュースが魔術で眠らせるなり何なりして無力化するだろう。
つまり彼女達の戦いは、既に勝利を目前としている。
だったら次は、僕の番だ。




