40 グランザースの滅亡2
やると決めれば即座に行動あるのみだ。
僕はグランザースを目指す旨の書置きを残し、動き易く収納も設けられた戦闘服と、正体を隠す為の外套を身に纏って館を出た。
多分爺ちゃんは僕が動くと言えば反対するが、勝手に動き出した場合は呆れはしても止めはしない。
頭で考えるだけじゃなく、実際に自分で決めて行動する事は、今の限界を越えて成長する為には必須だと、爺ちゃんは良く語っていたから。
もし仮に、既に爺ちゃんに妙案があって僕がその邪魔になるなら、穏便に排除を喰らうだけなのだ。
大きく呼吸を繰り返し、僕は転移魔術の詠唱を始める。
爺ちゃんの領域からグランザースまで旅をする場合、最も大きな難関は魔の森の深層部を抜ける事だろう。
ここから中層部、浅層部、或いは森の外まで転移魔術で飛ぶには、大国を二つ三つ軽く跨げる程度の移動距離が必要だ。
到底僕に出せる移動距離ではないのだけれど、しかし一度の転移魔術で飛べぬのならば、二度三度、十度二十度と回数を重ねれば良い。
因みに僕が魔の森を抜けるには、合計で三十度の転移が必要となる。
北と東に限った話だが、僕はいざと言う時には自力で森を抜けれる様、爺ちゃんから転移のポイントを記憶させられていた。
ただ転移のポイントと言っても、少し覚えやすい特徴的な地形をしているだけで、別段確実な安全が確保されている訳ではない。
だから当然、転移直後に深層部の魔物と出くわしてしまう可能性はあるのだ。
深層部でも中心部近くに棲む魔物は僕の事を知っていて、突然の遭遇にも敵対行動を取らない場合がそれなりにある。
特に北部に関しては、顔役とも言うべき高位の魔物と親しく付き合いがある事もあって、こちらが妙な動きを取りさえしなければ見て見ぬふり位はしてくれるだろう。
けれども流石に、広大な深層部に棲む全ての魔物が僕を知ってる訳じゃない。
転移を繰り返して二十一度目、魔力回復薬を使いながらもそれなりに消耗が激しく、重い疲れを自覚し始めた丁度その時、転移直後の僕に向かって巨大な腕が振るわれた。
咄嗟に発動させた瞬間転移で僕は振るわれた巨腕と、その先に光る鋭い爪から何とか逃れる。
後一瞬、判断が遅れたらアウトだっただろう。
連続しての転移は僕の平衡感覚を揺さぶり、胸の中にグラグラとした不快感を生じさせるが、それを吐き出している暇もない。
僕に対して爪を向けたのは、六ツ手鬼熊と言う名前の、深層部では大体中堅に位置する実力の魔物であった。
勿論魔の森の、しかも深層部の中堅と言う事は、外の世界で言えば軍を派遣して討伐せねばならないレベルの魔物である。
今の僕が全力で戦ったとしても、苦戦は免れないであろう相手だ。
当然だが、転移魔術で逃げる隙は与えてくれる筈もない。
「はぁ……」
思わず溜息が一つ零れた。
六ツ手鬼熊とは言うが、実は腕が四本、四ツ手の場合や、或いは八本、八ツ手の場合もある。
体躯次第だが、基本的には腕が多い個体の方が強い。
今目の前に居る個体は腕が六本で、大きさもまあ普通だろう。
つまり森の木々と同程度の背の高さだ。
消耗している今の状態で戦いたい相手ではないし、そうでなくても消耗を強いられるから矢張り戦いたくなんてない。
でも六ツ手鬼熊の方はやる気満々と言った感じに見受けられるので、
「まぁ、仕方ないかな」
僕は短剣を引き抜き、魔術の詠唱を開始した。
避ける僕を追って六つの腕が降り注ぎ、ドドドンと発生した衝撃で地が揺れる。
六ツ手鬼熊の得意とする距離は中距離だ。
と言うよりも、それ以外では戦えないだろう。
尤も当の六ツ手鬼熊からしたら近接戦闘を行っている心算だろうけれど、サイズとリーチの問題で僕からすれば中距離攻撃である。
手数の多さと怪力、その体躯に見合った分厚い毛皮と生命力は、攻守ともに隙がない。
ついでに言えば些か好戦的過ぎるきらいはあるが、頭も決して悪くはなかった。
多少強くても、頭の悪い魔物はこの深層部では生きられないから当然なのだが。
六ツ手鬼熊はその頭で、闇雲に腕を振るうだけでは僕を捉えられないと悟ったのだろう。
右側の、三本の腕を揃えて横薙ぎに大きく振る。
束ねられた腕は面積が大きく、僕の逃げ場は失われていた。
全く以って本当に、嫌な頭の使い方をしてくれる。
唯一つ残念な事は、どうやら六ツ手鬼熊は僕が最初の一撃をどうやって避けたかが、既に頭に無いらしい。
僕は詠唱を維持したまま、振るわれる腕の方に向かって数歩分だけ瞬間転移を行う。
もし今の瞬間を誰かが傍から見ていたならば、恐らく僕が六ツ手鬼熊の腕をすり抜けた様に見える筈だ。
思い切り腕を振って体勢を崩した六ツ手鬼熊の懐へ、僕は地を駆けて潜り込む。
先程も言ったが、六ツ手鬼熊が攻撃できる範囲は中距離のみ。
人間サイズの小さな敵に懐に潜り込まれてしまえば、この魔物の長所である筈の腕の多さが災いし、互いに邪魔し合って至近距離への攻撃は行い辛いのだ。
手の短剣を真っ直ぐに、僕は六ツ手鬼熊へと突き入れる。
決して長い刃物じゃない。
毛皮を貫通する事は可能だが、与えられる損傷は人が針で突かれた程度の物だろう。
だが僕にとってはそれで充分だ。
突き刺した短剣の切っ先が毛皮を貫通し、六ツ手鬼熊の肉へ届くと同時に、僕は魔術を完成させて強力な雷撃を、短剣を通じて放つ。
普通に放てば毛皮と肉の幾許かを焼くだけに終わるだろう雷撃も、短剣を通して直接体内で暴れさせれば話は別だった。
巨大な体躯とそれに見合った生命力があるので、死ぬ事は無いだろうが、それでも直ぐには動けないだけのダメージと痺れは与えた筈だ。
僕は刺した短剣を引き抜いて、鞘に納めて詠唱を始める。
『殺せ、隙だらけだ。殺せ、手の内を一つ晒した相手だぞ。万が一再戦でもする事になったら、そのせいで不覚を取る』
なんて風に、僕の中で幼い頃に聞かされた言葉が駆け巡るのが煩わしい。
もう僕は勝利した。
生かすか殺すかは、魔の森が決める事だ。
痺れが抜ける前に他の魔物がやって来たなら、六ツ手鬼熊は死ぬだろうし、そうで無ければ助かる。
それに万一再戦しても、そのせいで不覚を取ったりなんて、僕はしない。
一つ手の内を晒したならば、他に十、二十、或いは百の手を用意すれば良いだけだろう。
そうやって前に進みもせずに、手の内を隠す事ばかりに躍起になっていたから、暗部としてのキュービス家は滅んだのだ。
僕は同じ轍を踏む心算はなかった。
何時か力尽きるとしても、それは停滞の末にではなく前に進んだ結果として。
そうして転移魔術の準備は整い、僕は二十二回目の転移を行う。




