22 東部中層にて4
短剣片手に駆け寄る僕に、青黒い男は炎の散弾を放って対処する。
大雑把にばら撒かれた炎を避ける位は何でもないが、それでも青黒い男の狙い通り、僕が突っ込む勢いは殺された。
しかもあろう事か、僕の勢いを止めた癖に、あちら側から駆け寄って来て剣を振るう。
青黒い男が腰から抜いた剣は、光を反射せぬ様にと黒く艶消しされている。
わざわざそんな事をするなんて、この青黒い男は余程後ろ暗い場所に生きる存在らしい。
僕は鋭く振るわれた黒い剣の一撃を、体捌きで躱しながら青黒い男の懐に潜り込む。
武器で受けるべきでないと、直感的に感じたのだ。
そして短剣を突き出すが、その突きは、青黒い男のマントと、服の下に仕込んだ鎖帷子に防がれた。
飛んで来る切り返しの一撃を僕は大きく後ろに飛んで避け、少しばかり距離を取る。
どうにも、本当に厄介な相手の様だ。
青黒い男自身の実力も、その身に付けた装備も。
まず第一に、詠唱がかなり早い。
詠唱する暇を与えない様に近接戦に持ち込む心算が、まさか魔術での足止めを喰らうとは思わなかった。
異様な速度の詠唱だったが、多分何らかの仕掛けがあるのだろう。
次に相手の装備だが、マントも糸状に加工した特殊な金属が格子状に張り巡らされているらしく、服の下に仕込んだ鎖帷子と合わせればかなり堅牢な防御力だ。
と言ってもそれは体幹部分の話で、狙いようは幾らでもあるが、他にも何か仕込んでる可能性は高い。
強敵との戦闘に、僕はそれを如何に殺すかと言う方向に傾きかける心を抑え、思考する。
爺ちゃんを呼べば一発で解決なのだが、残念ながら中層部のエルフの村を飛び回ってる爺ちゃんは、今は僕からの念話の魔術が届く範囲には居なかった。
あちら側から発信してくれるなら兎も角、こちらから今の状況を知らせるのは難しい。
まぁ爺ちゃんの事だから、或いは何も言わずとも僕の状況を把握してくれる可能性はゼロではないのだが、それでも今は自分でこの状況を打開する事を考えるべきだろう。
……となると、頼るのはやはり魔術か。
距離を取ったと同時に、僕と青黒い男は同時に詠唱を開始していた。
すると当然、先に詠唱を完成させるのは相手の方だ。
本当に、異様なまでに術の完成が速い。
恐らく炎に対する造詣が深く、更に本人自身も炎に対して強いこだわりを持ち、……例えば耐火の術を自分にかけて炎に包まれる事を趣味としてる様な人間なら、この術の完成速度もわからなくはないが。
でも因みに耐火の術を掛けていても、実際にそんな真似をすれば呼吸が出来なくて死ぬ。
「炎を泳ぐ蛇よ!」
青黒い男の術が発動し、螺旋状の炎が僕を取り囲んで、一気に飲み込んで来る。
だが当然そんな物に捕まって喰らってやる義理はない。
炎が僕を飲み込む瞬間、既に僕はそこには居なかった。
瞬間転移。
ひ弱で死に易い魔術師が、咄嗟の事態から逃げる為の魔術で、効果は歩幅にして十歩分程の距離を転移する。
瞬時に発動出来るが、本当にひ弱な魔術師が使えば平衡感覚を狂わされ、下手をすれば脅威から一度は逃れれてもその場で倒れてしまうと言う術だ。
しかし魔術師にしてはひ弱でない、戦闘訓練を積んでる僕は、その十歩分を前への移動に使って青黒い男の間近に飛ぶ。
まさかそうやって距離を詰められるとは思ってなかったのだろう。
現れた僕に青黒い男は僅かに表情を引き攣らせ、咄嗟に後ろに大きく跳んだ。
でもそれは大きな失敗である。
転移直後に僕は、短剣でなく、空いた左手を懐に突っ込んでナイフを数本取り出していた。
充分に体勢が整った状態で跳ぶなら兎も角、驚きに思わず跳んでしまったのでは、地に足が付かない状態だと回避手段が限られてしまう。
投擲したナイフは三本で、うち二本は咄嗟に手で払われたり、角度が甘くて浅い切り傷を首に付けただけで弾かれるが、最後の一本は狙い違わずに青黒い男の頬へと突き刺さる。
これで大分と詠唱はし難くなっただろうし、ついでに言えば僕の攻撃はまだ終わりじゃない。
瞬間転移の間も、ナイフを投擲する間も、ブツブツと続けていた詠唱が今ようやく完成したのだ。
「飲み込め水牢」
完成した僕の魔術の効果により、青黒い男が後ろに向かって跳んだ先、つまりは背後に大量の水が出現する。
水は跳んで来た男を受け止め、飲み込み、自らの中へと閉じ込めた。
この水牢の魔術は、大量に出現させた水の中心に相手を浮かして捕らえる魔術だ。
当然そのままでは窒息して死んでしまうが、例え逃れようとしても手を伸ばせば手を伸ばした分だけ、水牢も少し形を変化させて中心部に捕らえた獲物を据えたままにする。
と言っても、優れた魔術師なら水中であろうとも詠唱する手段は幾つかあるので、水牢を突破するのは然して難しい事じゃ無い。
次の詠唱を完成させるまでの時間稼ぎと、ついでに相手の体力を削り取る目的で使用した。
……筈だったのだが。
水牢に取り込まれた青黒い男は、その途端から苦しみに表情を一変させてもがき出したのだ。
窒息するには幾ら何でも早すぎる。
そして水牢を構成するのは、多量に魔力を含むとは言え単なる水なのだが、男の身体はまるで強い酸にでも触れているかの様にグジグジと溶け出していく。
あまりの光景に絶句し、思わず詠唱を中断してしまう僕。
やがて青黒い男、否、もう肌がぐずぐずに溶けて色も良くわからないが、何にせよ男は完全にもがく事も止めて動きを止めてしまったので、僕は水牢を解除する。
流石にこれは想定外過ぎた。
水に触れたら死ぬ呪いでも受けていたのだろうか。
動揺も治まらぬままに、取り敢えず何とかして爺ちゃんに連絡を取らねばと思った僕。
男を放置して、念話の魔術を幾度も試みるが……。
しかしそれは完全なる油断で、大きな隙だった。
相手の無力化、或いは死を確認せずに注意を逸らすなんて、暗殺者ではないけれどその訓練を受けたものとしても、常に冷静でいなければならない魔術師としても失格の失敗だ。
不意に膨れ上がった魔力に振り向けば、ぐずぐずに溶けたままの男が、僕に向かって、多分最後の力を振り絞って渾身の魔力を込めた巨大な火球を放つ。
あんなのがまだ動けるなんて本当に想定外過ぎて、更に動揺も治まっていなかった僕は瞬間転移を発動させる事すら思い付かず、咄嗟に魔力を全身に込めて術への抵抗力を高めるのみ。
自分の未熟さに歯噛みするしかない無様な対処法だが、その時の僕には本当にそれしか出来なかったのだ。
戦いの途中までは、殺害への衝動にも支配されず、それなりに上手く組み立てれた気がするだけに、尚更情けない。
けれども炎は僕を襲わなかった。
その前に、大きな影が僕を覆う。
恐る恐る目を開けば、僕とぐずぐずの男の間には壁が出来ていて、その壁は良く見れば、ディープフォレストジャイアントの手だ。
確かに治癒魔術は施したけれど、まだ到底動けやしない筈なのに、ディープフォレストジャイアントは僕を庇ってくれたのである。
そして更に、
―OOoooooooo!―
雄叫びと共に振り下ろされたもう一本の手が、ぐずぐずの男が居た辺りを、ズシン地揺れが起きる程の威力で叩き潰す。
それはもう、どうしようもない一撃であった。
ぐずぐずの男は、もうぺしゃんこですらない、粉々の塵と化して死んだ。
事件の全容を聞き出す前に。
いやでもそんな事はどうでも良い。
どうせ素直に喋るとは思ってなかったし、そもそも水牢でぐずぐずになった時点でもう死んだと思ってたから。
それよりも急ぐべきは、僕の代わりにあの火球を受けたディープフォレストジャイアントの治療だった。




