19 東部中層にて1
魔の森で勢力図的に最も安定してるのは、間違いなく西部だろう。
あそこに君臨する白銀虎の一族は圧倒的で、他の魔物達を纏め上げてる。
その次に安定してるのは北部。
深層部の主、ギガントタートルは寝てばかりで、主に次ぐ高位の魔物達も比較的穏やかだ。
偶に現れる、主に挑んで眠りを覚まさせようとする跳ねっかえりの類は、主の眠りを覚ましたくない高位の魔物によって速やかに始末される。
そうやって緩やかな秩序らしきものが存在するのが、魔の森の北部だった。
深層部だけでなく中層部の主、数千年生きた大樹の樹精も、安定して中層部を支配してると言う。
当たり前の話だが、これ等は魔の森の中では比較的って話だ。
西部だって人間みたいな、身分制度がある訳じゃない。
虎種の魔物だって、実力がなければ他の魔物の餌になる。
無能な貴族でも他の優秀な人間を餌にして生きれる人間の世界とは違う。
勿論北部だって魔物同士の争いは当たり前の様に毎日起きるし、仮に外から人間が踏み込めば、余程の実力者でもないなら、餌になるまで幾許も時間は掛からない。
単に実力ある魔物達の動きが然程活発ではないってだけの話なのだ。
では続きだが東部は主のグランドワームが、君臨はしても統治はしないタイプの為、高位の魔物同士の勢力争いも結構起きてた。
ただその辺りの争いでグランドワームの縄張りをうっかり傷付けたり、自分の実力を勘違いして主の座に挑んだ魔物は、グランドワームに粉々に粉砕される。
つまりグランドワームが絶対者としての姿勢を崩さないので、その他の魔物がどれだけ野心を秘めていようが、全体的に大きな影響はないだろう。
最後に残るのは南部だが、ここは主が野心的で、機会があれば他へと攻め込みたいと考えているので、自らの配下を増やす事に熱心だ。
そして自分に従わない魔物を積極的に滅ぼしに行くので、少し観察しただけなら勢力的には安定しているように見える。
しかし主の気質に似ているのか、配下にも野心的な魔物が多くてしょっちゅう叛かれてるし、従わない魔物も次々に現れて尽きない。
なので南は、主は権力を求める志向にあるが、その権勢は未だ完成してないと言った所だろうか。
さてそんな状態が長く続いてる魔の森だが、今回東部に少しの変化が起きてしまう。
東部の中層部は、主を決める為の勢力争いがずっと続いている。
深層部で起きる勢力争いは、その結果がどうなろうとグランドワームが存在する限り大きな影響は出ない。
しかし中層部での出来事にグランドワームが関わる筈は無く、東の中層部での勢力争いには、爺ちゃんもずっと注目していた。
中層部での勢力争いに参加する魔物の中で、最も強い魔物は森巨人、ディープフォレストジャイアントだろう。
他の魔物よりも圧倒的にサイズが大きく、当然膂力も非常に強い。
苔の生えた身体は爪や牙に対して高い防御力を持つし、何より知能も高いのだ。
他にも有力な魔物は多く居るが、僕はディープフォレストジャイアントが勝つのは時間の問題、と言っても何年も、或いは何十年もかけて決着は付くだろうと思っていた。
……のだが、
「ラビよ。東の中層なんじゃが、お前の贔屓の森巨人、負けよったぞ」
ある日の朝食の席で、不意に爺ちゃんがそう言った。
べ、別に贔屓とかしてないし。
大きくて強いし賢いから、召喚獣になって欲しいなって思ってたのは確かだけれど、中層部の主になるならそんな事に関わらせたら迷惑かなって考えて自重したのだ。
つまり全く贔屓じゃない。
「負けて殺されたの? と言うか、森巨人に勝てそうな魔物って居たっけ?」
目玉焼きとハムを挟んだパンを齧りながら、爺ちゃんに問う。
一応対抗出来そうな魔物は何体か居たが、それ等が一時的に手を結んでディープフォレストジャイアントを排除したのだろうか。
あまり好みの展開ではないが、魔物達とて中層部の主を目指して必死の戦いを繰り広げているのだから、文句を言える権利は僕には無い。
だが爺ちゃんは何故か少し困った様な顔で、首を横に振る。
「死んではおらんが、怪我を癒す為に休眠に入ったから、主争いに復帰出来るかは微妙じゃな。……それでの、勝利した魔物はハイオーガキングなんじゃ。それも最近、次々と他の有力な魔物を倒しておる」
ハイオーガキング。
その名を聞いて、爺ちゃんの困った顔の理由がわかった。
オーガと言うのは、一言で表現するなら人食いの鬼だ。
上位種でないオーガでも、人間より頭二つ分は高い上背と、それに見合った厚みのある体をしている。
当然並の人間では到底かなわず、フル装備の一人前の騎士なら、数人居れば何とか互角に戦えると言った魔物であった。
勿論熟練の騎士や、凄腕と言われる冒険者達なら、オーガ程度なら苦戦もしないであろうけれども。
まあ魔の森でも浅層部でなら、強い方の魔物に入るだろう。
しかしハイオーガにもなると、力も身体も更に大きくなり、更に武器を使う知恵を身に付ける。
尤も武器を作る知恵がある訳じゃないから、引き抜いた丸太を棍棒代わりにするのが精々だが、それでも脅威が大きく増す事には変わらない。
故にハイオーガは、中層部でも平均的な実力の魔物だった。
そしてそんなハイオーガに勝る力を持ち、集め、統率出来る能力を持っているのが、ハイオーガ達の王、ハイオーガキングなのだ。
つまり簡単に一言で纏めると、東部の森の中層を、凶悪な人食い鬼の王が支配する可能性が高いと言う話である。
もしそうなれば、他の魔物と一緒に、オーガやハイオーガの群れが、浅層部を通り抜けて人の世界へ侵攻して行く可能性は、多分物凄く高かった。
……だからと言って、僕や爺ちゃんが東の中層部での争いに関与する事はない。
僕や爺ちゃんは魔の森の住人ではあっても、魔の森の管理人ではないからだ。
魔物達の勢力争いの結果、そう決まってしまったなら、それは仕方の無い事である。
東部の浅層部にあるエルフ達の村には、北部の村への避難を呼び掛けたり、或いは強い魔物避けの結界を設置したりするだろう。
森の外、人里に関しても、国々に対して爺ちゃんが警告は出す筈だった。
でもそれが精一杯だ。
僕個人は、冒険都市ナルガンズで冒険者として依頼を受け、森から出て来た魔物と戦うかも知れない。
けれども爺ちゃんは、黙って結末を見守るだろう。
但しそれは、今回のハイオーガキングの躍進が、本当に単なる幸運や実力であったならばの話だ。
「爺ちゃん、流石におかしくない? そんな短期間に有力な魔物をハイオーガキングが次々に倒せるって」
確かにハイオーガを呼び集めて統率出来る能力は強力だが、中層部の主争いに参加する魔物を容易く倒せるほどじゃない。
そもそも群れとしてでは無いハイオーガキング個体能力は、他の主争いに参加する魔物よりも低かった。
僕はどうにも、何か誰かの別の意思の様な物をそこに感じる。
例えば、グランドワームが傷付いて狂乱していた時と同じ様な。
そう言えばあの時も、魔物が東の人里に向かって溢れ出しやしないかと心配した覚えがあった。
規模こそ違うが、今回も東に向かって魔物が溢れるかも知れない危機である。
僕には以前のグランドワームの件と、今回のハイオーガキングの件、その二つに妙な繋がりを感じてしまう。
「確かにのぅ。まぁ調べてみるとしようかの。ラビよ、すまんが少し手伝ってくれんじゃろうか」
爺ちゃんの言葉に僕は頷く。
決して贔屓の魔物が負けたからって訳じゃないけれど、大分と気になる件なので、寧ろ手伝わせてくれる方が嬉しい。
そうして僕と爺ちゃんは、魔の森で密かに動く何かを探して調査を始めた。




