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「見える」目と「切れる」ひと その3

 いつもは睡眠が浅く、スマホが鳴ったらすぐに出ないといけないという脅迫概念が琴子を襲うが、会社をクビになったせいか、それが琴子を襲うことはなく、久しぶりに体がひどく軽かった。

 そのせいで、昨日鍋底神社に着いたときは不安が付きまとっていたのに、それはちっとも訪れることなく、彼女は例の長い階段の下に立っていた。

 久々にモノクロのスーツじゃなく、ジーンズにTシャツというラフ過ぎる格好だが、仕方がない。洗濯がなかなかできなかったせいで、着られる服が限られていたのだから。

 社務所を覗いてみると、あの宮司はいない。

 やっぱり先に拝殿の辺りを見たほうがよかったかと琴子が考えていたところで、階段を降りる音が聞こえたので振り返ると、右手に桶、左手に竹箒を持った宮司だった。桶には雑巾がかかっている。恐らくは拝殿の辺りの掃除をしていたのだろう。


「おはようございます。昨日の方ですよね? 今日はまだ、祈祷の時間まで時間がありますが」

「おはようございます……あの、ここでは縁切りを行っているんですよね?」

「一応言っておきますが、祈祷は行っています。ですが縁切りの祈祷でない限りは縁切りは行っておりません」

「屁理屈じゃないですか。あの、私、会社をクビになったんですよ……」


 そう言うと、宮司は目をパチパチとさせる。


「おめでとうございます」

「どこがですか!? あの、本当に困るんですけれど! 今月分の家賃はどうにかなるにしても、次の引き落とし日までに仕事決めないと、私宿なしになるんですけれど!」

「昨日も申しましたが、あなたの目はここでだったら活かせると思いますが」

「あの……昨日から思ってたんですけれど、言ってもいいですか」

「どうぞ」


 この宮司……と琴子は思う。

 メガネの優男だし、物腰が柔らかいし、おっとりした言動だから油断していたが、実は相当食わせ者じゃないだろうか。そう琴子には思えてならない。

 これでも物腰柔らかい言動で油断させて、ひどい取引を繰り返す先輩を見ていたのだから、優しい言動が必ずしも誰に対しても優しい訳ではないことはわきまえている。

 琴子が気を引き締めながらも、宮司に対して口を開く。


「私と会社の縁を切ったのって、あなたですよね?」

「……ふしぎなことをおっしゃいますね、あなたも」

「なにがですか!? いきなりクビになった身にもなってくださいよ!」

「あなたは昨日、言葉が詰まっていましたし、どもっていました。今はそうじゃありません」


 そう言われてしまい、琴子は思わず口元を抑える。営業をやっていたのに、どうしてそこまで滑舌が悪くなっていたのだろう。

 思わず黙る琴子に、重ねるようにして宮司は言葉を続ける。


「人は緊張しすぎると、呂律が回らなくなることがあります。今のあなたは、緊張する要因がないんじゃないですか?」

「な、にを……」

「昨日あなたが訪れたとき、驚いたんですよ。化粧していても顔色が悪いし、ずっとうつむいていましたし、おまけに「久しぶりの休み」なんて。そもそもあなたは、縁が見えていたのは今にはじまったことじゃありませんのに、今になって気になってその目をなんとかしたいなんて、祈祷にまで話が飛躍するのに」


 そういえば……。

 彼の並べる言葉は、全部思い当たることがある。

 自分が見える縁について八つ当たりするようになってきたのは、就職してからだった。会社が忙しすぎて、高校時代からの友達の連絡に応じる暇がなくって、この一年はほとんどメールひとつ送っていない。

 目の前のぐちゃぐちゃした黒い縁も、綺麗に繋がっている白い縁も、古い樹のようにがっちりとした縁も、見えるもの全てが勘に障った。だからこそ、見えなくしてしまいたかったのだ。

 ……ブラックな会社でブラックな人たちに囲まれていて、本当だったら辞めてしまいたくっても、転職先を探す暇もない。会社を辞めたとしても実家にも帰りたくない。実家に帰りたくとも、両親と一緒に兄夫婦が住んでいるんだから、帰る場所なんてない。八方塞がりだったのだ。

 琴子はぽろっと涙が目尻をこぼれていくのを感じた。


「なら、どうすればよかったんですか……私、帰りたくっても帰る場所なんてないんですもん。いたくなくっても、会社で働くしかなかった。だから、辞めたくなんてなかったのに……」

「……緊張がほぐれたようですね。涙が出るのはいいことです」


 そう宮司に言われてしまっても、嬉しくもなんともない。

 琴子は久しぶりに、子供のようにわんわんと泣き出してしまうが、宮司はうろたえることも慰めることもなく、ただ彼女の傍にいるだけだった。

 化粧が落ちてみっともなくなる中、ようやく泣き止んだ琴子に対して、宮司はゆったりと声をかける。


「先程も申しましたが。うちであなたの目を、役立てませんか?」

「……縁が見える目、ですか?」

「はい」

「あの、私のこの目。本当に見えるだけですよ? 縁を触ることも、ましてや切ることも、結ぶことだって、できませんよ?」

「見えるだけで充分です。自分には、切ることはできても見ることはできませんから」


 そうあっさりと言われてしまったので、琴子は思わず拍子抜けしてしまった。

 縁が見えるだけで、役に立つことなんてできるんだろうか?

 そもそも縁が見えないのに切れるってどういうことなんだろうか?

 でも……。考えていても、来月からの家賃はタダではやってきてはくれない。


「あの、ここで働くってことは、私巫女になるんでしょうか? 私、資格とかなんにも持ってないんですけれど、なれますか?」

「充分ですよ。ようこそ、鍋底神社へ。自分はここの宮司を務めている敷島しきじま達彦たつひこと申します。向こうで履歴書をつくりましょう」

「はい……渡辺琴子です。どうぞ、よろしくお願いします……?」


 男は度胸、女も度胸。

 働かざる者、食うべからずだ。琴子はそう思って、腹を括ることにした。


 まさか縁切り神社で縁を切られた上に、再就職だなんて。人生どこでどうなるのかなんて、わかったものじゃない。


****


 履歴書を書いて、写真は明日にでも渡すことにして、ひとまず家に帰ることにした。

 家にごろごろと転がっている薬用アルコールを見ながら、鍋底神社に掃除に使うために一部持って行ってもいいか聞いてみようと琴子は思った。売上のノルマ達成に買い込んでみたものの、いくらなんでもこんなにたくさんひとりで使い切ることは難しい。脱脂綿やガーゼだって、ひとりで使い切るのは難しいから、せめてひと箱ずつ、神社に持っていかせてもらおう。

 琴子はそう思いながら洗濯機を回す。明日からまた仕事がはじまるんだから、今日中にできる限り洗濯物を片付けておきたい。ついでに掃除もしてしまおう。

 洗濯機が回っている間に、あれこれと片付けつつ、BGMとしてテレビを付けたところで。ニュースのテロップが入った。


『株式会社佐倉ビジネス、業務停止命令』


 それに思わず、琴子は口をポカンと開いた。それはつい昨日まで所属していて、クビにされてしまったブラックな会社であった。そのあと、お昼のニュースでひょろっと流れるものを流し見している限り、会社の上層部でやばいことをやっていたらしかった。自分の先輩も部長もいい人ではなかったが、上層部もそこまで悪いとは思いもしなかったため、思わず琴子は震える。

 さっさとクビになってよかったと感謝する日が来るなんて、思ってもみなかった。


「さすがに、縁切りはできたとしても、会社を潰す力なんてできないよね……」


 琴子はあの人がいいのか悪いのかさっぱりわからない敷島の顔を思い浮かべながら、そうつぶやく。

 あのいい人なのか悪い人なのかわからない宮司がどうして縁が切れるのかは、考えてもしょうがないので放っておくことにした。自分だって、どうして縁が見えるのかなんてわからないのだから。

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