「見える」目と「切れる」ひと その2
階段を昇って行って、拝殿に上がる。神棚にはこの辺りでも有名な酒蔵の酒が樽ごと奉納されているのを横目に、女性は男性に「そちらにお座りください」と言う。
琴子は祈祷をしてもらえないため、拝殿に上がらずに脇で見守っている。
男性はおっとりとした物腰の人物だったが、宮司なのだろう。そのままなにか白い紙を広げて、それを読み上げはじめた。
琴子にはなにを言っているのかがわからない。でも女性も琴子と同じで住所と名前を宮司に渡したのだろう。彼が読み上げるもの……祝詞でいいんだろうか……の中に、彼女の名前や住所もあったような気がする。
あぁあと、琴子は思う。
せめて祈祷してもらったら、きっと気が晴れただろうに。相変わらず女性にはどろどろした根っこがついて見えるし、宮司のしっかりとした線も見える。
こんな訳のわからないもの、見えないほうがいい。気休めでもいいから、お祓いしてほしかった。琴子は祝詞が途切れたところで、帰ろうと思ったとき。
ふつん。
「え、ええ……?」
思わず声が漏れたところで、女性が怪訝な顔で琴子に顔を向けてきたので、琴子は慌てて、見なかったことにする。でも。
琴子はちらっと女性の頭をもう一度見る。あのねばねばしていた根っこが、祝詞が終わった途端に切れてしまったのだ。その根を取り払った彼女からは相変わらず根っこは出ているものの、それは白かったりがっちりとしたりと、少なくとも不快に見えるものではない。
女性は相変わらず顔色は優れてはいなかったものの、立ち上がると宮司のほうに何度も何度もお辞儀をしてから、大人しく神社を後にしていった。
それを琴子はポカンと見送る。
「祈祷は終わりましたが、まだ帰られないんですか?」
宮司に声をかけられ、思わず琴子は彼を見る。おっとりとした雰囲気をそのままに、彼はふしぎそうな顔で琴子の顔を眺めていた。
「あ、あの……さっき。私、目を治して欲しいと言いましたけれど」
「おっしゃってましたね。財布を取りに帰られるんですか?」
「そ、うじゃなくって……私、人から線が出ているように見えるんですよ。木の根っこみたいな……変でしょう?」
「根っこ、ですか?」
宮司は馬鹿にすることもなく、怪訝なものを見る目をすることもなく、ただ柔らかな物腰のまま、琴子の言葉を聞く体勢に入る。琴子はそのことにほっとしながら、ぽつんぽつんと言葉を続けた。
「私、就職決まるまでは、それが見えても特に気にしてなかったんですよ。私以外は見えてないみたいですけど、特にそれがごちゃごちゃついてる訳でもなかったんで。ただ……就職してこの辺りに出てきてからは……嫌に目につくようになったんです。腐った根っこをいっぱい付けている人とか、根っこでがんじがらめになっている人とか、乾いてかさかさな根っこをぶら下げている人とか……見なかったことにしていても、目に入ってしまって……それが、気持ち悪くって……」
「それはまあ、ずいぶんなものが見える体質なんですねえ」
宮司は感嘆の溜息をつくのに、琴子は髪を揺らす。
「いや、こんなの見えても困りますよ。訳がわかりませんもの」
「そうですねえ……恐らく、あなたが見えているものは、縁の糸なんだと思いますよ」
「……縁、ですか?」
琴子は、その言葉に拍子抜けして、目を丸くする。
彼女が家族やら友達やらから流されて読むマンガなんかでは「運命の赤い糸」と言われて、たびたび縁にまつわる話は出ていたような気がする。でも琴子が見ているものは、そんなロマンティックなものとは程遠い、なんかぐちゃぐちゃしている訳のわからないものだ。
それが「縁」と言われてしまっても、信じられないし、そもそも見た目が気持ち悪い。
琴子が怪訝な顔をするのに、宮司は緩やかに笑う。
「そうですねえ……フィクションでは「赤い糸」と例えられることが多いですから、一概に信じられないかもしれません。ですが、それはすごいことなんですよ?」
「すごいことと、言われても……」
それが縁なのかなんなのかはともかく、琴子は「見える」だけで、なにもすることができない。試しにこっそりと人の縁を触ってみようと試みたこともあるが、それは手が空ぶっただけでなんの感触もなかった。縁がただ「見える」だけで干渉することもできないんだし、むしろ見えてグロッキーになってしまっているんだから、迷惑極まりない。
琴子はうつむくが、わかっているのかわかっていないのか宮司は続ける。
「もしよかったら、うちでその目を使う気はありませんか?」
「……ええ?」
「うちは祈祷で縁切りを行っています。あなたの目が役に立つこともあるかと思いますが」
「そんなこと、急に言われましても……」
琴子はごにょごにょと口を動かす。
たしかにこの宮司は、祝詞でぶつんと女性の腐りきった根っこみたいな縁を切ってしまった。それはすごいことだとは思うが、でもそれは琴子がわざわざ見てどうにかできるものにも思えない。
ただ自分は、この訳のわからない目をどうにかしてほしかっただけなのに。
琴子は宮司の言葉に答えることはできず、ただ曖昧に「考えさせてください」とだけ言って、のろのろと帰ることにした。
「……ですが、今まで気にならなかった縁が、急に目に付くようになった理由はなんですか?」
宮司の言葉が背中に投げかけられたような気がするが、それに答える気力が琴子にはなかった。
祈祷してもらおうと思ったのに徒労に終わってしまい、せっかくの休みだったのにと、やる気が空回りしてしまったのが悲しい。せめて空回りした時間を惰眠に使いたいと、琴子はとぼとぼと元来た道を帰っていった。
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「ただいまー」
そう言いながら、琴子はアパートに入っていった。家に入ると、薬用アルコールのペットボトルが並んでいるのが目に入る。その隣に詰まれているのは、業務用ガーゼの箱に、業務用脱脂綿の箱。
個人で使い切れないとはわかっているものの、買わないとノルマが達成できないために、帳尻合わせで買い込んでいたら、だんだん置く場所もなくなってきて、廊下まで並ぶようになってしまっていた。
琴子はのろのろと業務用脱脂綿の箱をひと箱乱雑に取ると、洗面所まで持っていく。拭き取り式クレンジングを脱脂綿にたっぷりつけて、それで化粧を落としていく。洗面所には化粧品以外に薬用グリセリンまで箱から出さずに積まれている。
縁切り神社と有名な場所に行ってきて、この目をどうにかしてほしかったのに、とんだ空回りだったと、あの人のよさそうな宮司に八つ当たりしてしまう自分に嫌気が差していた。久々の休日だったのに、体力回復のために惰眠をむさぼることだってできなかった。
琴子は就職のために都会まで出てきて、嫌というほど、ぐちゃぐちゃの黒い根っこに絡みつかれている人たちを見てきた。
彼女の努める会社は医療品の販売会社で、大手病院から個人病院まで様々な病院と取引をしている。琴子の担当は個人病院での販売業務だが、最近はコストのことを考えて通販に押され気味だ。
先輩がにこにこしながら、顧客の個人病院の院長を口八丁で丸め込んでいるとき、その先輩から黒いものが出てきて、院長を篭絡していく様を見てしまい、ぞっとした。既に廃盤になっている在庫の処分のために利用される年寄りが可哀想だが、ノルマが課せられているために「そこのメーカーの品は既に廃盤になっているから」と教えてあげられない自分がみじめだった。
会社の業績悪化が原因なのか、ノルマが厳しいのが原因なのか、琴子の同期も次から次へといなくなっていった。そのたびにぷつん。ぶつんと切れていく縁を見てきて、ひとりぞっとしていた。
皆がこの黒いドロドロとした根っこから逃れていく。自分だってできることならさっさと会社を辞めてしまいたい。でも。
化粧の落ちた顔を見ながら、琴子は自分の情けない顔を見る。
目尻が垂れさがって、今にも涙がこぼれ落ちそうだった。
就職して、家から出たかった。家に帰りたくない。でも、琴子はノルマ達成のために、家賃やわずかな生活費を除いて貯金がない。就職活動する暇もないため、逃げ出すことも、突発的に会社を辞めることもできなかった。
せめて、このドロドロの見える目さえなんとかなれば、もうちょっと仕事を耐えられそうなのに。
宮司は悪くない。自分が事情を100%話していないからだ。それに八つ当たりしそうになる自分が嫌になる。
琴子は目をぐしぐしと手の甲を擦り付けて、涙を堪えたとき。
スマホが鳴った。
見てみると会社からだったことにぎょっとして、琴子はスマホを取る。化粧を落としたばかりで呼び出しだったら、少し怖い。
「もしもし」
『渡辺さん!?』
部長からだったことに、思わず肩が竦む。
褒めることは滅多になく、怒ることと八つ当たりすること、偉い人にこびへつらうのが得意という、典型的なブラック上司だ。
「あの、なにかありましたか……?」
『君、この間の売上、ノルマから全然足りないんだけど!?』
「えっ!? たしかに足りたはずですが……」
『佐藤くんから「この売上、自分のぶんだけれど」と申告があったんだよ! 君、先輩の売上を自分のものとして計上するなんて恥ずかしいこと、よくできるね!?』
自分のぶんが先輩のぶんの売上って、そんな馬鹿な……。ちゃんと提出していたはずなのに……そう思って気が付いた。ふたりとも同じ病院の違う医師にそれぞれ営業に行った日があったことを思い出す。二世帯病院だと、親と子で担当する分野が違うことがあるために、それぞれ欲しいものが違うことがあるからどちらからも注文を聞くのだ。たしか自分は息子先生から注文を取り付け、先輩は院長先生から注文がなかったはずだ。
「ちょっと待ってください! 日誌のほうにはたしかに……!」
『今佐藤くんからメールもらったけど、君これでも言い逃れするのかい!?』
あの先輩。
琴子はイラリとする。やり口が汚い人だけれど、少なくとも同僚や後輩の売上を奪うような真似はしなかったはずなのに。とうとうそこまでいったのか。
日誌をねつ造って、しかも売上を提出した上で人の売上奪うって。
琴子がイライラしている中。『それとね』と上司が続ける。
『うちに面接が来たから。佐藤くんの口利きでね。役に立つ部下と役立たずの部下と、どっちが会社に必要だろうね?』
「……それって」
『ちゃんと自主退職するんだよ? 間違っても、会社都合って言わないで』
なんなんだ。自分がなにをしたって言うんだ。なんで卑怯な先輩が会社に残って、自分が追い出されるんだ。
こんな会社なんて、こんな会社なんて……。
「……わかりました。今までお世話になりました」
くたばっちまえ。
そう琴子は口に出すことはできなかった。
でも。琴子は首を捻る。
縁切り神社として有名な鍋底神社に行った途端に、会社をクビになるなんて、いくらなんでも出来過ぎじゃないだろうか?
そこまで考えて、祈祷のことを思い出す。
女性の黒い縁が、祈祷終了と同時に綺麗に切れてしまったことを。
琴子は自分の頭を思わず触ってみる。人の縁を見ることはできても、自分の縁だけは何故か見ることができない。
まさか……と、琴子は思った。




