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ひとりぼっちの神様へ その1

 すっかりと茜色はなりを潜め、一番星がぽつんと見える。

 焼き立てで甘い匂いが立ち上っているベビーカステラの味も、今の琴子にはわからない。

 稲穂の口から語られた話はあまりにも現実味がなく、現人神とか雷獣とか、まったくもって聞き馴染みのない言葉の羅列で、ただ呆気に取られるしかなかったのだ。

 話し終えた稲穂はというと、琴子のぽかんとした顔をよそに、彼女のおごったベビーカステラをおいしそうに頬張っていた。雑食と言われていただけあり、彼女はなんでもおいしそうに食べる。


「あの……この話だと、敷島さんはまるで、先代の宮司さんを……」

「恨んでますわ。あの子、お姉さん大好きでしたから。あの事件は時期が時期でしたら、もっと新聞屋も取り上げてくれたでしょうに、他の事件で流されて、大したことにはならなかったんですわ。達彦も無念だったでしょうが」

「でも、十年前の敷島さんはまるで……」


 琴子は手元のベビーカステラの紙袋に視線を落としながら、どうにか稲穂から聞いた話を頭の中でリピートさせて考え込む。

 十年前の話だ。十年前なんて琴子はまだ中学生だし、今の自分と一緒にされても困るが。稲穂の語る敷島と、琴子が知っている敷島が同一人物だとは思えなかったのだ。

 黙り込んでいる琴子を眺めながら、稲穂はぽーんとベビーカステラを口に放り込む。

 これだけの美人が駅前でベビーカステラの屋台の前で食べていたら、誰もかれもが見とれそうなものだが、誰も彼女のほうを見向きもしない。まるで透明人間だ。でも彼女は人の姿に化けることもできるし、耳だって琴子以外は気にしないから、なにやらよくわからない術でも使っているのかもしれない。

 稲穂は笑いながら、琴子に言葉を投げかけた。


「あの子はねえ、雄一郎から現人神の力を無理矢理引き継ぐ際に、対価を支払いましたの。正式な方法で引き継いだ訳ではなく、この当たりにいる雷獣の力を使って無理矢理雄一郎から力を引き剥がしましたもの。その対価は尋常じゃありませんわ」

「それって……」

「達彦は、人間性を失いましたの」


 それに、琴子は目を剥いて稲穂を見つめた。

 敷島のことを思い返す。彼は柔和な態度で、祈祷客に対して親切だったと思う。だが。

 彼の端々で見え隠れする不穏な言動。人の生き死にに関して嫌に淡泊な部分。ときおり見せる妙に達観した態度……。

 稲穂に言われてから振り返ってみると、心当たりがあった。いや、あり過ぎた。


「ですけど、敷島さん。それで別に人のことを」

「あの子はね。雄一郎を許していません。あの子が唯一残された人間性があるとすれば、それは雄一郎に対する嫌悪です。そして今、達彦のことを琴子は優しいと思ったでしょう?」


 首を縦に振ると、稲穂はゆっくりと首を横に振る。


「あれはね、雄一郎の真似です。あの子にとって雄一郎は許せない相手でも、宮司としての態度は間違っていませんでしたから。あの子は今、空っぽな中で必死で人間の真似をしているだけです。縁を切るために」

「そんな……そこまでして、現人神に?」

「あの子のお姉さん。あのとき雄一郎が話を全部聞かず、絵馬を書かせず、さっさと縁を切ってしまえば、死ぬことはありませんでした。他の祈祷客も一緒。わざわざ絵馬や参拝で済まさずに祈祷に来ているとは、もう詰んでしまっているからですわ……たとえ、縁を切る以外にやるべきことがあったとしても」


 それに、琴子は喉を詰まらせる。

 今まで来た祈祷客を思い返す。

 地元に帰りたくない一心で不倫相手に依存していた間御門。学校の中というコミュニティーの中であがいていた日名子。子供の延命を必死で願っていた小早川……。

 端から見てみれば、大したことないという願いだったとしても、本人たちは必死だった。その願いの重さに優劣が付けられるとしたら、それこそ神だけだろう。


「その願いはもしかしたら間違っているのかもしれない、誰かを不幸にするのかもしれない、それでも。願いは願いで、等しく叶えたいとそうあの子は思ったんですわ」

「でも……それは、敷島さんは……幸せなんですか?」

「あの子は残りの人生を、全て誰かの願いを叶えるために使うと言いました。だからこそ、あの子は対価として人間性を失うだけで済みましたのよ?」


 稲穂は困ったように目尻を下げながら笑う。


「あの子が憐れでならないから、私は何度も何度も私と結婚して眷属にならないかと言いましたが、いつだって突っぱねますのよ? 人間をやめてしまっているのはおんなじなんだから、さっさと私のものになればいいのに」

「お、同じじゃ……ないですよ」


 思わず琴子は稲穂に噛みついた。だが稲穂は呆れる素振りも見せずに笑う。


「なら、あなたはあの子を助けられますの? あなたは縁が見えるだけ。もちろん、それ以外も人よりはちょーっとだけ見えるだけで、なにかを変える力は持ち合わせていませんわ。それで、あの子のことを助けられると、そうお思い?」

「それは……」


 そう言われてしまっても、琴子と敷島の関係なんて、ただの従業員と雇い主という関係だ。それ以上でもなければ、それ以下でもない。稲穂みたいに愛情こめてさらうような力も思いも持ち合わせてはいない。

 だが。

 自分に居場所をくれたのは、敷島だった。ブラック企業を辞められたのも、地元に戻らずに済んだのも、彼のおかげだった。

 名前の付けようもない情だけれど、たしかに琴子には敷島に向けての情がある。


「……敷島さんは、もしかしたらなにも感じてないのかもしれませんが、あの人はそれでも、人間の中でいたほうが、幸せだと思いますから」


 琴子は、つっかえつっかえ、自分の意見を絞り出した。稲穂は茶化すこともなく、それを黙って聞き届けた。


「そう……なら、あなたに達彦はお任せします。あなたはできないことが多くって、できることは少ないけれど。それでもあの子を助けたいっていうんだったら、問題なさそうですわね」


 思っている以上にあっさりと引いた稲穂に、琴子は思わず拍子抜けして彼女を見た。彼女は最後のベビーカステラを頬張ると、ぺろぺろと自分の手を舐めた。


「嫌ですわねえ、私、そりゃ達彦のことは大好きですけど、あの子が嫌がることはしませんわあ」

「は、はあ……」

「あの子、せめて誰か話し相手でもいないと息詰まるんじゃないかと心配していたけれど、琴子がいるなら安心、ですわね。あー、安心しましたわ」


 あまりにあっけらかんとしているので、琴子は口を開けていたら、稲穂は「さあ!」と坂道の方へと歩き出す。


「私はそろそろ帰りますわ。それでは琴子。達彦のことはよろしくお願いしますわね」

「あ、あのう…稲穂さん。結局あなたはいったい……?」


 敷島のことを好きと言ったり眷属にしたいと言ったり、挙げ句の果てにさらいたいと言ったりしているくせに、琴子に全部任せると言ってのける。その言動の支離滅裂さに呆然としていたら、稲穂はふふりと流し目をする。


「決まっていますわ、私は鍋底神社のご意見番ですのよ? 現人神が正しく使命を全うできるよう、見守るのがお仕事ですから」


 そのまま宵闇にふいに溶け込んでいなくなってしまった。残されたのは、焼き立てのベビーカステラの放つ、甘い匂いだけだ。

 売り言葉に買い言葉で、とんでもない約束をしたような気がする。琴子は残った自分のぶんのベビーカステラを食べ終えてから、指先を舐め取る。

 ただ。あの人がこのままでもいけないと、琴子は思った。

 縁を切るのが使命なら、それは全うすべきだろう。だが、あの人はこうも言っていたじゃないか。

 縁を育てるのも、枯らすのも、自分次第だと。

 敷島がどうして、縁が見えるだけの自分を手元に置いているのかはわからないが、自分と敷島がもう会ってしまっていて、その事実だけは変えることはできない。

 縁は、切ってしまえば、切らずに放置していれば、それでいいものでもあるまい。

 琴子は思わず自分の頭を見た。自分と敷島はいったいどんな縁で結ばれているのだろうと。そして、思わず首を振った。

 どんな良縁だろうが悪縁だろうが、手入れしなければ枯れるし、構い過ぎても腐り落ちる。本当の悪縁は自分自身で断ち切れてしまうのだから、きっとそれなりの縁で結ばれているはずだ。

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