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真心は必ずしも正しくはない その3

 今日の仕事が終わり、敷島に挨拶をしてから、琴子は鍋底神社を後にする。残っている胸のもやもやは、今日の小早川との一件だ。

 敷島はなんだかんだ言って祈祷客のことを考えている人だとそう思っていた。でも今回の一件で、いまいち自信がなくなってしまったのだ。


「はあ……」


 自然と溜め息が漏れる。

 夕焼けで赤々とした坂を下りながら、伸びる影を眺めていたところで。ひょっこりと新しい影が伸びてきたことに気付き、その影の方向に視線を移す。現れたのは稲穂だった。今日は白無垢を着ておらず、赤い小袖を着ている。あしらわれているのは蝶。


「稲穂さん……」

「あら、浮かない顔ですので。その顔は、達彦となにかありましたの?」

「……何度も何度も、稲穂さんは私に対してなにか伝えたがっていましたけど、結局それがなんなのか、察しの悪い私にはわかりませんでした。ただ、今日いろいろあって、敷島さんのことがよくわからなくなったんです」


 琴子はかいつまんで、今日の出来事を語る。

 祈祷が必ず成就する訳ではない。そのことは琴子も理解している。でもどうして敷島が必ず縁が切れる祈祷を、きちんとしてくれないのだろう。縁を切る。その力が本当に強いということは、会社との縁を切られた琴子は身を持って知っている。本当だったらこの力は、誰かを助けられるかもしれないのに。

 そのことに稲穂は黙って聞いてから、「ふう」と息を吐き出した。


「そうですわねえ……これは達彦も、もうちょっとはっきり言ってあげればよろしいのに。あの子も難儀ですのね。そこまでうだうだしてないで、早く私の眷属になってしまえばいいのに」


 後半部分はともかく、稲穂は稲穂なりにわかっているらしい。少しずつ夜に近づいていく空を眺めながら、稲穂は口を開く。


「そういえば、あの子がどうして縁を切れるかご存知?」

「え……?」


 それに琴子は目を瞬かせる。

 自分自身が縁の見える目を持っているのは生まれつきで、それに対して説明なんてできなかった。それと同じで、敷島が縁を切ることができるのに説明なんてできるものなのか知らなかった。

 琴子がぶんぶんと首を横に振ったら、稲穂は珍しく困ったように頬に手を当てた。


「あらまあ、あの子もそれくらいは琴子に教えてあげてもよろしいのに」

「あの、稲穂さんは……ご存知なんですか? 敷島さんがどうして縁を切れるのか。それと、あの人の縁切りに関するスタンスのことを」

「ええ、知ってますわよ。本当なら、あの子が縁を切る力を持つには、まだ早過ぎたんだとも思ってます。だからこそ、あの子は自分自身を律するために、決めたのでしょうね。祈祷客から望まれた縁しか切らないって」


 そのひと言で、琴子は目を丸く見開いた。

 稲穂が敷島のことを気に入っているのは知っていたし、なんだかんだ言って甘いと思っていた。だからばっさりと敷島を批判するとは思ってもみなかったのだ。

 稲穂は笑う。けざやかに笑う彼女には、妙な艶がある。


「少し昔話をしましょうか。でもここだとちょっと話しにくいですわね。そうですわねえ……駅でお話しましょう」

「ええ? そりゃ私はかまいませんが。稲穂さんは、その……」

「あら、私が目立つと?」


 琴子は思わず彼女の耳を見る。ただでさえ稲穂は人目を引くくらいには整った容姿をしているというのに、内緒話になるんだろうかと琴子は思うのだが、稲穂はただくすくすと笑うだけだ。


「気にする必要はありませんわ。さあ参りましょう。あ、ベビーカステラが食べたいんですの」

「え? そりゃそれくらいおごりますが」


 いつも駅前に出ているベビーカステラの屋台を思い浮かべながら、ふたりでゆるゆると坂を下りていった。


****


 十年ほど前は、まだネットもそこまでメジャーな媒体ではなかった。鍋底神社が縁切りで有名な神社だということも、ネットの口コミで広がったようなもので、ここが縁切り神社だと知っているのは、せいぜい地元民くらいだった。

 それでも歴史がある神社なため、フィールドワークや寺社巡りが趣味な人はたびたび足を運んでいたし、氏子も大勢いたので、今も昔も神社の維持に困ったことはない。

 ある日、この神社を女性が訪れ、当時の宮司が出迎えた。


「あの……ここは縁切りの神社と伺ったのですが」

「そのような歴史がありますね」


 女性はずいぶんとくたびれた顔をしていたのを見かねて、宮司はお茶を出して話を聞いた。

 彼女が縁切りの祈祷を行ってほしいと切羽詰まっていたがために、彼は慎重に話を聞きはじめたのだ。

 切ろうと思えば切れる。でも切ったものを元に戻すことは困難を極める。ハサミを入れれば、簡単に素人でも髪を切ることはできるが、切れるからと言って理想の髪形にすることができないのと同じだ。

 女性はぽつんぽつんと語りはじめた。


「最近、ずっと視線を感じるんです。それに、無言電話も。警察にも相談に行きましたが、実害がない限り、警察は動けないと言われてしまいました。どれくらいなのかと聞いたら……待ち伏せとか、尾行とか……そこまでされたら、もう手遅れじゃないですか……」


 一応口では、警察の見回りを強化するとは言ってくれたものの、視線が消えたことはないし、無言電話も終わらない。

 携帯電話を見ても非通知とか書かれていないし、着信拒否も意味がない。誰なのかわからない人から、なにかをされる訳でもなく、ずっと粘着質に付きまとわれている。実害がないからと、誰も助けてくれない。彼女の精神は少しずつ、紙やすりで擦られるようにして擦り減っていったのだ。

 縁切り神社について知ったのは本当に偶然で、弟が神道の勉強をしている関係で知った話を聞いたからだという。警察に相談しても動いてくれない、興信所に行っても具体的な解決法がない、藁にもすがる思いでここにやってきたのだという。

 宮司は女性と話をした。


「それで、その人には心当たりがないんですか?」

「わかりません……私は会社のクレーム係で、人から怒られるのが仕事ですから。どの人に粘着されてもしょうがないんです。逆恨みで怒鳴られることはいくらでもありましたけど、ここまで長いこと粘着されたことは今までありませんでした……」

「困りましたね……たしかに祈祷はできますが」


 祈祷を行えば、たしかにその粘着質なクレーマーとの縁は切れる。だが、彼女がクレーム係から離れなければ、相手が変わるだけで粘着されることから逃れるのは不可能ではないだろうか。

 そのことを伝えてみると、女性は首を振る。


「私も会社のほうに、別の部署に異動したい旨を伝えましたが、受理されなくって……」

「そうですね……本当に気休めになりますが」


 結果として、宮司は祈祷を行わなかった。代わりに絵馬を書かせてあげ、それを吊るすことでひとまずは落ち着いた。

 それが結果として、最悪の結末を迎えたのだ。


 それから数日後。

 その日はずいぶんと空が暗い日であった。それでいて、雨が降りそうで降らない黒い雲。これはいったいなんだろうと宮司が空を仰いでいるときに。

 鍋底神社にひとりの青年がやってきた。それに宮司は目を細める。


「敷島くん。どうかしましたか?」

「先生、どうして縁を切ってくれなかったんですか? 先生だったらできたのではないのですか?」


 元々彼が神道に興味を持ったのは、自分の学校に非常勤で来た教師が、本職は宮司だからということだった。あちこちの神社に転勤しながらも宮司だけでは食べることができないからと、教師も兼任している人。

 それからも同じ仕事をしているからと、次の神社に転勤してからも連絡を取り合っていた。

 仲がよかった彼が、こんなに冷ややかな声を上げたのを宮司は初めて聞いた。


「いったいなんの話ですか?」

「姉が死にました……ストーカーに殺されて」


 それに宮司は目を見開いた。

 彼女がクレーム係にいたがために、クレームを入れに来た人間に粘着質に付きまとわれていたという話を聞いていたが、彼女も覚えていない話があったのである。

 クレーム係に来るのは、本当のクレーマーだけではない。ただ誰かと話をしたい人間もやってくる。彼女は仕事として接していただけにも関わらず、その相手がどんどん勝手に思いを募らせていったのだ。

 結果として、彼はストーカーへと変貌したが、彼女の中では客のひとりな上に、仕事が仕事だ。彼からいい思いをしたこともない代わりに嫌な思いもしていないために、記憶の片隅に追いやられてしまった彼のことを、覚えていなかった。

 地元では有名な縁切り神社に足を運び、絵馬に【クレーマーとの縁が切れますように】と書いたがために──逆上したのである。

 青年は苦々しく吐き出す。


「先生は縁を切れたのなら、切ってしまったらよかったのではないですか?」

「敷島くん……たしかに、このことは私が悪かったと思います、ですが」

「あなたは縁ばかり気にして、人が本当に困り果てて神頼みに来たというのを、わかってはないのではないですか?」


 それに宮司は返す言葉も見つからなかった。

 失われた命は戻らない。彼の姉が死んだという事実は消えない。だが。

 縁を切るというのを、請われたら簡単にしていいものなのか。

 それを言葉にする前に、バチンと音がしたのが見えた。

 青年は目を鋭くして、宮司を睨んでいる。


「あなたには、その力は過ぎたものだったんです」

「敷島くん、君はいったいなにを」

現人神あらひとがみとしての力を奪いに来ました……自分は、あなたのようにはならない」


 バチン、バチン。

 雷は雷を引き寄せる。鳴神は鳴神を引き寄せる。

 現人神の力を引き寄せるために、青年が連れてきたのは、この神社の付近に現れる雷獣らいじゅうであった。

 雷が、拝殿に落ちた。最初はブスブスと歪な音を立てるだけだったのが、やがて赤々とした炎に変わり、音を立てて神社を燃やす。


「君は、なにをやっているのかわかっているんですか!?」

「……わかっています。同時にこれは、自分に対する禊です」

「君は……」

「自分は人間としての情を捨てます。替わりにこの社を訪れる人を見離しません。自分は、あなたにはなりません」


 鍋底神社に残されている話。

 黄泉の国にさらわれた女子供を自身の社にかくまった神は、黄泉の国にも現世にも、居場所が失われた。

 社から出られなくなった神は、困り果てて社を訪れる人が自由になれるようにと、がんじがらめになった縁を切る力だけを持っていた。

 かくして、この社の宮司は、ここを祀るのと同時に、その神の力を受け継いだ。

 それがこの社における現人神である。

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