真心は必ずしも正しくはない その1
お祭りが終わり、屋台も業者が撤去していった。
日常が戻ってから一転、琴子は車を運転していた。勤務中は巫女服がほとんどなのだが、今日は動きやすいようにトレーナーにジーンズ姿である。隣で敷島は宮司の格好をしているが。そういえば琴子は敷島の私服を見たことがない。
「今日は地鎮祭、でしたっけ? うちって祈祷以外にもこんなことしてたんですねえ……」
家やビルを建てたり、壊したり、建て替えたり。その前に宮司を読んで祈祷をしてもらうというのは聞いたことがあったが、実際に依頼されて出かけるのは琴子は初めてだった。
それに敷島はおっとりとした様子で頷く。
「時期によっては引っ張りだこですけれど、このところは地元では工事がありませんでしたからねえ。彼岸の時期は寺が忙しいでしょう? それと同じように、神社にも忙しいときはありますよ」
「神社で忙しいというと、三が日と七五三くらいしか思いつきませんでしたけど」
「それ以外でも祈祷は行いますから。別にいつも縁切りの祈祷を行っているわけではありませんよ」
「そりゃそうなんでしょうが」
神社で働きながらも、意外と神社の仕事の様子は知らないなと思う琴子。神社の宮司の資格は既定の大学や学校に通わなければ取得できないものだが、巫女や神社内勤は意外と資格なしで募集されているものだから、余計にぴんと来ないのかもしれない。
呼ばれた場所は、既に真っさらになっていて、車を停めると、いそいそと折り畳み机に簡易的な神棚を持ってくる。
「今日はよろしくお願いします」
今回の依頼者の男性は、ここに家を建てる人に、工事関係者の人たちらしい。人のよさそうな白髪の男性の後ろには、おっとりとしたトレーナーの女性に、訳のわかっていない顔の男の子。つなぎにヘルメットの作業員たちだった。
依頼者の人たちの用意した奉納品を神棚に飾り、玉串料をいただいたら、敷島はしゃんしゃんと御幣を振りながら祝詞を唱えはじめた。
皆が厳かな顔をしているのを、琴子は片付けながら眺めていると。スマホのバイブが反応していることに気付く。
琴子の私用ではなく、神社を留守にしているときに電話がかかってきたときの転送用だ。神社にまた依頼だろうか。そう訝しがりながら、琴子はそろっと祈祷の人々から離れて、電話を取った。
「はい、鍋底神社でございます」
『すみません、祈祷の予約をしたいのですが』
電話越しに聞こえたずいぶんとか細い声に、琴子はきょとんとする。パンツからメモとペンを取り出し、メモに貼り付けてあるカレンダーを確認する。
名前を聞き、日時のやり取りをしてから、電話を切ったところで、滞りなく地鎮祭が終わったのを確認する。
お供え物や玉串料のやり取りが終わってから、敷島と共に車に乗り込むときに、話をする。
「お疲れ様です、敷島さん」
「いえ、渡辺さんこそ車を出してくださりありがとうございます。電話がありましたけれど、なにかありましたか?」
「えっと、祈祷の予約がありました。明日の正午はなにも予定は入ってなかったはずですが、よろしいですか?」
「本当に急ですね。かまいませんよ。……ああ、今日は休日でしたのに呼び出してすみませんでしたね。お詫びと言ってはなんですが、昼食くらいおごりたいのですが」
それに琴子は驚いて目を丸くする。
仕事によっては上司が部下におごってくれたり、先輩が後輩におごったりすることはあるらしいが、残念ながら琴子が働いていた会社はブラックだったがために、そんな昔ながらの文化とは無縁だった。
お金で解決できることはケチらずにそれで解決したほうがいいとは人からも聞いたことだが、休日出勤をこんな形で返されることになるとは思わなかった。琴子は「敷島さんがよろしいんでしたら」と言って、彼の指示通りに運転していく。
辿り着いたのは、こじんまりとした店だった。宮司が来ても驚くこともなく、「おふたり様ですね」と案内してくれたことからして、ここは寺社関係の人間が出入りしてもおかしくないらしい。
頼んでくれたのは蕎麦で、歯ごたえがシャリシャリするのに不思議がっていたら、敷島は「蕎麦は一番粉を使ったら、歯ごたえがシャリシャリすることがあるんです。香りは一番強いんですが」と教えてくれた。
言われてから飲み込むと、たしかに鼻を通っていく蕎麦の香りは、市販の蕎麦よりも強いような感じがする。でも歯ごたえが気になって仕方ないが。
「意外です。敷島さん休みの日は食べ歩きとかなさっているんですか?」
「そうですねえ……数少ない趣味ですから」
薄く笑う敷島に、琴子はますます不思議なものを見る目で見てしまう。思えば敷島とは神社で会うばかりで、オフはどうしているのかとか、そもそも宮司姿以外の彼を見たことがないとか、不思議なことがいっぱいあった。
働きはじめてから結構立つが、本当に雇い主のことをなにも知らないなと琴子は思いながら、蕎麦をすする。
「そういえば、敷島さんオフはどうなさっているんですか? 食べ歩きが趣味とはおっしゃっていますが」
「あんまり趣味はないですからねえ。それに食べ歩きが趣味とはいえど、休みの日のたびに食べている訳ではないですよ。氏子さんとの打ち合わせや今日みたいに地鎮祭の際に、ちょこちょこと食べて回って、おいしかった店を覚えているだけです」
「それって……あんまり休めてないことでは?」
「いうほど忙しくもありませんよ。さすがに、年末年始や七五三、この間みたいなお祭りのときは、各方面から問い合わせがたくさん来ますから目まぐるしく忙しくなりますが」
「そりゃそうかもしれないですけど」
「うちはギリギリ巫女さんを雇えるくらいですが、ほとんどの神社は兼業ですからね。教員免許をあらかじめ取っておいて、繁忙期以外は非常勤講師の枠を取っているのがほとんどですよ」
何気ない敷島の言い方に、琴子はズルっと蕎麦をすすりながら思う。
非常勤講師の枠を取っている知人が、ちょうどひとりいたと思い出したのだ。
ただ、彼の名前は敷島にとっては地雷だとも聞いていたから、それを口にすることもなく、琴子が黙って蕎麦をずるずるすすっていたら、敷島はおっとりと笑う。
「すみません、自分ばかりしゃべってしまって。渡辺さんのほうこそ、こんな不定期な休みの仕事に付き合わせてしまってすみませんね」
「いえ。私は別に。むしろ渡りに船でしたから」
「そう言ってくださって嬉しいです」
敷島がそうしみじみと言うのに、琴子は黙って蕎麦を食べ終えた。
神社に帰ってから、祈祷の予約客に連絡を入れて、予約の確認をし終えて、今日の仕事は終わる。
敷島に挨拶を済ませて、そのまま神社を出ようとしたとき。
空がどうにも鈍い色をしていることに気付く。雨こそギリギリ降らないだろうが、ゴロゴロと雷の音が聞こえるし、ときどき雲の向こうが光って見える。このまま雷が落ちたら困るなと、足早に駅まで向かおうとするとき。
ふと琴子がさっきまでいたプレハブ小屋を視界に入れる。
前に拝殿と社務所に雷が落ちたとは、氏子の人たちが言っていた。社務所は未だに建て直しをせず、明らかに浮いたトタン屋根の建物のままだ。
敷島の存在は謎めいているし、布山となにかあったらしいことも、未だに聞けずじまいだ。稲穂はなにかを伝えたがっているが、直接言ってしまったら敷島に縁を切られてしまうと思ってか、間接的にしか教えてくれないから、全貌は未だにわからないままだ。
知ってどうするんだろう。知ってなにかできるんだろうか。琴子は縁が見える以外は、なにもできない、巫女という身分ではあるものの、ただのサラリーマンだ。
ただ。ここで働くのは居心地がいいとだけは思っている。
どうやったら知ることができるんだろう。
琴子は視線を道に戻して、坂を下りはじめる。できることをひとつひとつクリアすることしか、今の琴子にはできない。




