祭囃子の隠し事 その3
稲穂にリンゴ飴を買って社務所に戻ってみれば、稲穂は見事にお守りやら絵馬やらを売りさばいていた。天狐ってどんな狐なのかは、そういえば調べてないなと琴子はぼんやりと思いながら、人がはけたタイミングで「ただいま」と社務所に入っていった。
琴子のふりをしていた稲穂は、くるっと回ると元の浴衣姿へと戻る。
「あら、思っているより早かったんですのね」
「いえ……上で敷島さんとお話をしてきただけなんですけど。あの……上にいた女の人って、どなたですか? その、幽霊だったんですけど」
「あらあら、やっぱり琴子は見えましたのね。達彦ったら見えているのか見えてないのかはっきりしませんのに」
「混ぜっ返さないでください……あの人、誰ですか?」
稲穂がころころ笑うのに、琴子は憮然としながら「お土産です」とリンゴ飴を手渡すと、稲穂はころころ笑いながら、リンゴ飴を砕いて齧りはじめた。
しゃくしゃくとリンゴ飴を齧ったあと「あの子、見えてるか私にも本当にわかりませんのよ」とひと言伝えてから、じっと琴子を見返す。
「もちろん私は答えを知っているけれど、琴子の覚悟が定まってからじゃないと教えてあげられませんわ」
「覚悟って……私はただ、ここで働いているだけで……」
「あら。あなたただ働くだけでしたら、達彦の祈祷に口答えせず、見て見ぬふりをすればいいだけでしょう? 口出しするのは何故? 縁が見えるから? 縁が見えたら、達彦の祈祷にあれこれ口出ししてもよろしいの?」
「わかってますけど……でも」
敷島にも「今回だけにしてください」とは何度も言われている。見過ごされているだけで、琴子が口出ししていいものではないんだろうと思う。だが。
無理矢理切られてしまった縁は、どうなってしまうのか。
既に根腐れを起こしてしまっている悪縁は断ち切らなければいけないが、良縁まで切られてしまうのを見過ごしてしまっていいのか。
……見えなかったらこんなに悩まなくてよかっただろうに、見えてしまうものだから、ずっと悩んでしまっている。
「敷島さんもおっしゃってましたから……良縁だけ残して縁を切ることができないと。悪縁に絡んでいる良縁も巻き込んで切ってしまうと……その人が将来のパートナーだったらどうするんですか? 生涯の友達だったらどうなんですか? そんなの……勝手過ぎますよ」
「そうですわね、今のところ、琴子はそんな縁しか見てないから、そう思ってしまうのも仕方ありませんわね」
稲穂がそう言うのに、琴子はなおも言い募る。
「あの……前から思ってましたけど、稲穂さんも、敷島さんと同じ意見なんですか? 縁切りの依頼があったら、それが悪縁良縁問わず切るべきだと」
「それが私には不思議ですのよね。悪縁か良縁かって、どうやって決めますの? 縁は縁でしょうが」
「たしかにそうなんですけれど、そうじゃなくって……」
「……あなたと同じことをおっしゃった人がいましたのよ」
そう言い出す稲穂に、琴子は目を瞬かせる。ここで働いていた巫女か宮司なんだろうか。ここで行われている縁切り祈祷のことを、知っている人間ということだが。
稲穂は少しだけ段上を見てから、再び琴子に視線を向ける。
「もちろん琴子もそれも、考えや気持ちは尊いものでしょうね。良縁を残すために、できる限り縁切り祈祷を行わない方向で話を進めようとするのは。きちんと行えばそりゃ素晴らしいことでしょう。でも、感情ってものは、ときどき致命的な欠陥を見落とす」
稲穂はなにかを思い出すように滑らかな口調で言うのに、琴子はますます訳がわからなくなって、ただ稲穂の顔を見る。
造形の整った顔から感情が消えたら、それはぞっとさせる無機質なものに見えるのだから、怖い。でもそれは一瞬、すぐに稲穂はころころとした笑みに戻った。
「何度も忠告はしたでしょう? お気を付けあそばせ。あなたが見なければいけないのは、縁ではありませんのよ。人間なのだから」
そう言って、彼女は社務所に踊るように出ていき、ひらりと袖を揺らす。
「それじゃ、リンゴ飴をご馳走様。また遊びに来ますわね」
「あ、はい。稲穂さん。お気を付けて」
琴子がぺこりと頭を下げたら、稲穂はそのまま宵闇に溶け込んで、すっかりと見えなくなってしまった。
祭囃子は未だに見え、そこで人がやんややんやと屋台に群がっているが、もうそろそろ駅へと、町へと、散っていく頃合いだろう。
琴子は夜の湿気を顔に受けながら、ぼんやりと段上の提灯を見上げる。
パズルのピースは集まっているものの、未だにそこから浮かんでくる絵がわからない。
思えば。ここで働きはじめたのだって成り行きだったのに、今はこうして縁について向き合うようになったんだから、おかしな話だとは思う。
縁を見るんじゃない。人間を見ろ。
それは稲穂だけでなく敷島も言っていたことだ。
この言葉にこだわるのは、いったいどういうことなんだろう。
ようやく片付けて帰路につくとき、琴子はしきりに首を傾げていた。
****
電車で帰り、ようやくアパートに着いてから、スマホを確認する。
知らないアドレスからメールが届いていることに気付き、それを何気なく確認して、琴子は「あ」と呟いた。
ついこの間、招待状に出席と返事した友達の光海からだったのだ。
【琴子久しぶり、本当に久しぶりに連絡取れてよかった。
気まずくなってから、ずっと連絡切っていたから、もう駄目かもしれないって思ってたの。
ガキで全然気の付かないやつでごめんね。あの頃一方的に怒ってごめん。
結婚式に来てくれて本当にありがとう。待ってるからね。】
元々気遣いの友達だ。彼女は彼女でずっと気に病んでいてくれたんだろう。琴子は思わず笑いながらも、自分もメールを打った。
【光海久しぶり、こっちこそ私が行っていいのか大丈夫かずっと気にしてた。
変わらないみたいでびっくりした。結婚式行くからね。
あ、これアプリのID。変えたの】
新しく取ったアプリのIDも添えてメールしたら、早速アプリがピコンと反応した。
そこに流れてくる光海の写真や近況報告に、思わず琴子は笑いながら、返事をする。
光海は地元に戻って働いていたところ、主人と出会ったことを教えてくれたので、琴子はブラック企業をクビになって神社で厄介になっている話を返したら、大量にスタンプを押されてしまった。どういう意味か。
最近の休みの過ごし方とか、結婚祝いのプレゼントでなにが欲しいとか、今度の休みに会えないかとか、そんな話をしていたら、すぐに時間は過ぎていく。
思えば、就職してから。
こんなに笑いながらスマホでやり取りしたことないし、こんなにリラックスした気分なのも久しぶりだ。
てっきりもう縁なんて切れてしまっていたと、そう思っていた。琴子は自分自身の縁は見えないのだから、光海と縁が残っているなんて、招待状が届くまで思ってもいなかったんだから。
そこで、何度も何度も聞かされた言葉が、ようやく胸に染みていくのがわかった。
縁を見るんじゃない、人間を見ろ。
たしかに縁が伸びていたら楽なのだ、それの具合でその縁を切る切らないを決められるのだから。でも、感情がそこに追いついているのか。
前にやってきた間御門は、そもそも切らないといけない縁は不倫相手の妻の縁じゃない、不倫関係そのものだった。
日名子だって、部活を辞めてしまえばよかっただけで、友達との縁を切る必要なんて一ミクロンもなかったのだ。それらは、ただ縁だけ眺めていてもわからない、話を聞かなかったら理解の及ばないことだった。
でも……。
そこまで考えて疑問に思う。
敷島にしろ稲穂にしろ、それでもなお、縁を切らないといけないと主張していた。縁を見ずに人間を見て、それでも縁を切らないといけないことって、いったいなんなんだろう。
そもそも、布山の存在はいったいなんなのか。あの敷島を心配して見守っていた幽霊の女性は。
琴子はまだ理解していない。鍋底神社であった出来事を。
まだそれらは、祭囃子に隠されたままなのだ。




