祭囃子の隠し事 その1
琴子はハガキに定規で線を入れながら、さらさらと書く。結局消したのは【欠席】の文字で、出席することを決めたのは、日名子とのやり取りが大きかった。
意固地になって、大事な縁を切るところだった彼女。彼女の身に降りかかったことは、「残念だったね」のひと言で済まされるものではないが、それでも彼女が残りの高校生活を棒に振ってしまわないよう、友達との縁を切りたくはなかった。
琴子はハガキの名前を見る。
大学で気まずくなって以来、本当に一度も連絡を取っていない。自分が出席して彼女が迷惑じゃないといいけれど。彼女だけでなく、大学時代の友達とは仕事の関係でなかなか時間が合わず、卒業してから疎遠になってしまっている。
アプリを見れば元気で過ごしているだろうこともわかるんだろうけれど、琴子と彼女が気まずくなって以来は、なんとなく当たり障りのない付き合いにシフトしてしまっていた。
琴子は「ふう……」とハガキを玄関の靴箱の前に置く。明日はお祭りで、一日神社で走り回らないといけない。ハガキをポストに入れるのを忘れないようにしようと思ってから、風呂の掃除に向かった。
風呂を掃除して、湯を張ってから思い返すのは、敷島と布山のことである。あのふたりの関係って結局なんなんだろう。
ふたりの言動はよく似ている。でも敷島のほうが縁を切ることに固執していて、布山のほうは縁を切らずに済む方法を探しているような気がした。
琴子だって、いい加減鍋底神社で働きはじめて二ヵ月は経っているのだ。縁切り祈願にやってくる人たちが全員が全員、己の欲のためだけに縁切りを願いにやってくる人だけではないことはわかっているが。敷島みたいに問答無用で縁を切ってしまうことには、やっぱり反対だった。
なによりも気になる、稲穂の忠告。
敷島は、布山を「いらない」と思ったから、彼と鍋底神社の縁を切ってしまったんだろうか。
なんで、どうして。
縁を切ることは剪定だと言っている人の行動にしては、ずいぶんと短絡的なことが、どうしても引っかかった。
でもこれは、直接敷島に聞いてしまってもいいものなんだろうか。稲穂の忠告があるせいで、彼に直接聞くのは迷ってしまう。稲穂は気まぐれだから、次はいつ現れるのかはわからない。
結局のところ、今の琴子にできることは、このふたりの関係について疑問に持つことと、敷島の過激すぎる縁切りを止めること以外はできないのだ。
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ぽんぽんぽんと太鼓の音が響く。
ソースの焦げる香ばしい匂いが漂い、金魚の尾のような浴衣の帯を閃かせた子供たちが、わぁーっと境内へ下駄を転がして向かっていく様が見えている。
それらを見ながら、琴子はお札やお守り、絵馬におみくじを売っていた。普段は本当に人が来ない神社なのが一転、お祭りになった途端に人が集まり、飛ぶようにお札やお守り、絵馬が売れていくので、琴子は目を回しながらそれらをさばいていた。
敷島は敷島で、境内のほうに上がって、氏子たちに挨拶をして回ったり、神楽を踊る巫女たちと話をして回っているのだから、社務所でのもろもろの販売は琴子ひとりで賄わないといけなかった。
やがて、神楽の音が響きはじめる。拝殿のほうで巫女の神楽がはじまったために、それらの見物のおかげでようやく客が引いたので、琴子はげっそりと息を吐いて、ペットボトルを傾けた。
神社なんて縁日と初詣、それも一番人の多い時期を避けての参拝しかしなかったものだから、ここまで社務所が忙しくなるとは思っていなかった。ようやく飲めた麦茶が異様に美味く感じたところで、プンと鰹節とソース、マヨネーズの匂いがすることに気付いて、琴子は顔を上げた。
「巫女さーん、お疲れ様ー。今日も忙しいんですかー?」
そう声をかけてきた子を見て、琴子は目を瞬かせた。今日は高校の制服を着た日名子が、同じ制服の女の子たちと一緒に境内から降りてきたのだ。それに琴子は思わず彼女たちの頭を見る。
どれもみずみずしい縁が伸びて繋がっているのに、間違いないと琴子は思う。悩み過ぎて縁が切れそうになっていた子たちだ。
琴子は笑顔で日名子に「こんにちは」と挨拶をしてから、口を開く。
「ようやくひと息ついたところですよ。お友達?」
「うん。ようやく引退したから、皆で追い出し会。追い出されるのはあたしたちなんですけど」
「そうなんですね。あ、社務所に来たってことはおみくじですか?」
「うーんと、それじゃあおみくじしたい人ー」
パラパラと手が上がり、挙げた子たちがおみくじを次々引いていく。
吉がひとりに、中吉がふたり。最後に日名子は半吉を引き当てて、皆で笑っていた。それらを紐に括り付けて、最後に日名子は持っていたたこ焼きを琴子に差し出した。それに琴子は目をぱちぱちさせる。
「あの、これはあなたのじゃ……?」
「お礼。あたしも馬鹿なことして、絶交するところだったから。普通に引退しちゃえば、ややこしいことになんてならなかったのにね」
それに琴子はじんわりとした熱が胸に広がるのを感じた。
彼女がしたことは大したことではない。話を聞いたことと、縁切り祈祷を止めたことだけ。悪縁を切ったのは敷島だし、怒って帰った日名子と会わせてくれたのは布山だ。それでも、日名子が吹っ切れた顔をして笑っていることが、琴子には嬉しかった。
なによりも、ずっと社務所でばたばたし続けている琴子には、たこ焼きはあまりにも魅惑的な食べ物に見えるのだ。今だったら、神楽のほうに人が集まっているから、休憩もできる。
琴子は日名子からそれをありがたく受け取った。
「ありがとうございます。あなたも友達と仲良くね」
「うん! 巫女さんも本当にありがとうございます!」
そう言って手を振って、もう一度バスケ部の子たちは帰っていった。
「日名子、巫女さんと仲いいね。どしたの?」
「人生相談した仲だよ」
「ふうん」
好ましい会話をしながら、女の子たちが階段を昇っていく背中を、琴子はまぶしく思いながら見送った。
それを見送っていると同時に「すみませーん、お守りいただけます?」と声をかけられる。
「ああ、いらっしゃいませ、どのお守り……あれ?」
慌てて向き合った先にいた姿を見て、琴子はきょとんとする。
いるのは、青い地に白い蝶の模様が抜かれた浴衣をまとっている稲穂だったのだ。今日は角隠しだって被っていないのだから、耳だって丸見えだ。
「あの……稲穂さん、ですよね?」
「そうですわよ。この間会ったばかりだというのに、琴子はもう私のことを忘れて?」
「いや、忘れてなんかいませんよ。覚えて……そうじゃなくって。今日は別に、狐の嫁入りなんて降ってませんよね……?」
思わずプレハブ小屋の社務所から身を乗り出すものの、今日は祭り日和。少々湿気てはいるものの、雨の降る気配は微塵もない。
それに稲穂はころころと笑う。
「あら、お祭りだから、私が来ちゃ駄目かしら?」
「駄目ではないんですけど……稲穂さん、人に見られて困りませんか? その、耳……」
琴子からしてみれば、ぴくぴくと動く彼女の狐耳が気になって仕方がないが、稲穂はどこ吹く風だ。
「誰も気にしませんわ。むしろ琴子が見えるほうだから、気になるのでしょうね」
「そうなんでしょうか……? 私、別に縁が見える以外、霊感らしいものはないと思って生きてきましたけど」
「あら。ここは鍋底神社ですのよ。黄泉の底の神社ですわ。あの世とこの世が曖昧な場所だからこそ、見える力も強くなるものでしょう?」
「そうなんですか……?」
いちいち稲穂の言葉は大袈裟な上に、説明が足りないような気がする。琴子はただただ稲穂の言葉に困って首を捻っていたら「まあ、世間話はこの辺にしておいて」と稲穂はクンクンと鼻を動かす。
「あらまあ……あなた、まだ会ってますのねえ、雄一郎に。達彦が怒らないといいのですけど」
そう言うのに、琴子は思わずびくんと肩を跳ねさせる。雄一郎という名前は聞き覚えがないが、最近琴子が会って挨拶以外の会話をしたことのある男性なんて、布山以外にいない。
そういえば、前に稲穂は彼のことを気を付けろと言っていたし、敷島は布山のことを避けているみたいだが、彼女はこのふたりに起こったことを知っているんだろうか。
「あの、稲穂さん。布山さんのことをご存知なんですか?」
それに稲穂は髪を揺らす。そして「そうですわねえ」と人差し指で唇を押し当てる。
「達彦は、あなたにどこまで教えたのかしら? それを知ってからじゃないと、私も達彦に怒られちゃうわねえ」
「あ、の。稲穂さんはここのご意見番なんでしょう? 敷島さんを怒らせたら、やっぱり縁を切られてしまうんですか?」
縁を切るなんて言葉は、子供の喧嘩にありがちだし、大人の場合は疎遠になるという言葉とイコールだが。敷島に使えば、それは物理的に円を切られることとイコールだ。
その意味で琴子は聞いたのだが。それに稲穂は頷く。
「あの子は祈祷に来た子以外の縁は切りませんわよ。今は」
「今はって……それじゃ前は切ってたみたいなこと言いますね」
「今日は琴子もずいぶんしつこいんですわねえ……まあ、いいですわ。今日は一日ヘロヘロになっていた琴子にご褒美をあげに来ましたのよ、私は」
「え?」
「せっかくのお祭りなんですもの、お祭りに行ってらっしゃいな」
そう言って、稲穂はくるんと回った。再び振り返った稲穂の姿を見て、琴子は目を疑った。稲穂は何故か、巫女服の琴子そっくりそのままの姿になってしまったのだ。
「ええ……? でも、私は今日は仕事で……」
「もちろん、普段は私もそんなことしませんのよ? でもあなたは最近雄一郎の匂いがちらついている。その内達彦のことを大きく傷付けそうだから、もうちょっと達彦のことを知ってからしゃべりなさいなと思っただけですの。達彦もさっさと見切りを付けて婿入りしてくれたら、私がお節介を焼く必要もないんですけどねえ……」
ふう、と琴子の姿と声で、やや物騒なことを言う稲穂。それに琴子は呆気に取られつつも、段上を見た。
相変わらず敷島は戻ってこられないのは、氏子たちや他社の宮司や巫女に対する接待のせいだろう。でも祭りに行ってどうして敷島のことがわかるようになるんだろう。そうは思うものの、もらったたこ焼きだって未だに手付かずのままなんだ。そう思った琴子は「稲穂さん、ありがとうございます」と頭を下げてから、たこ焼きを頬張り、着替えに向かった。
浴衣も甚兵衛もなく、ただのTシャツとジーンズ姿だが、祭りにはふさわしい姿だろう。




