友達の距離感 その3
通勤用のカットソーとパンツルックになって、初穂料を封筒に入れて鞄に仕舞い込むと、急いで坂を下っていく。スマホで住所の検索をかけて、そのまま歩いていく。
初穂料を返すとは言ったものの、どうやって説明しよう?
まさか初穂料を返しに来たなんてことをそっくりそのまま言っても、説明できないし、日名子も縁切りの祈祷に行っていたことなんて家族に知られたくはないだろう。
自分の考えなしな行動に自己嫌悪に陥っていたところで、「渡辺さん?」と声をかけられる。
思わず振り返ると、それは布山だった。それに琴子はぺこりと頭を下げる。
「今帰りですか?」
「いえ……ちょっと用事でして。布山さんはどうされたんですか?」
「補習ですね」
非常勤講師の仕事内容はあまり把握していないが、こういうこともするんだろうか。琴子はそのままスマホの地図と睨めっこしながら、住宅街の方向へと歩いていく。
普段の閑静な街並みを知っていると、高校生の笑い声やしゃべる声が響き渡る道が不思議に思える。
「あの……布山さんは非常勤だとお聞きしましたけど、今の高校生ってどうなんでしょうか?」
「どうなんでしょうとは?」
「変な質問ですみません。ちょっと……高校生の子を怒らせてしまって。今の友人関係のために、他を切り捨てようとするのに口出ししてしまって」
「うーん。そうですねえ。高校生というよりも、小中高、でしょうか。逃げ場がありませんからねえ。人間関係がそこにしかないと、どうしてもそこを大事にしようとするところはあるのかもしれません。今はSNSやアプリで四六時中相手のことを知れるようになりましたから、余計に間合いの詰め方について考えないといけないのかもしれませんね」
それに思わず琴子は喉を詰まらせる。
それは今ちょうど悩んでいる、大学時代の友達のことと同じだった。
自分の大学生のときと、今の高校生のとき。全部イコールで考えることはできないけれど、全部を全部許容できないということは同じなのではないか。
琴子は思わずうつむいてしまったのに、布山は優し気に言葉を続ける。
「いつでも繋がっているというのは、たしかに寂しくはないのかもしれません。でもそれイコール相手のことをなんでも知っているわかっていると思い込むのは危険だと、自分は思います。で、渡辺さんの用事というのはその高校生ですか?」
「はい……」
「さしずめ、その子が縁を切りたいと願ったのに、思わず口出ししてしまったというところでしょうか」
それに、思わず琴子は布山の顔を見てしまう。
鍋底神社が縁切り神社であるとはネットではいくらでも流れてはいるが、鍋底神社がそれを公表したことは一度もない。でも、あそこには縁を切れる宮司が滞在しているし、実際に縁切りの祈祷は執り行われている。
敷島と布山は知り合いらしいが、このふたりの関係については未だに琴子も知らない。
「どうして、それを……」
琴子がそう言おうとしたとき、学校を取り囲む柵が見えてきた。柵越しに見えてきたのは、体育館。その体育館からは、キュッキュという足音とボールが弾む音が響いてくる。
そこを何気なく見たとき、思わず琴子は足を止めてしまった。それに布山は不思議そうに声をかける。
「渡辺さん?」
「あの……あの子なんですが。私の探していた子は」
彼女は髪を揺らしながら、額に汗をかきながら、ひとりでゴール目掛けてボールを投げ入れている。彼女が負けたと言っていた大会がバスケのものだとは、ようやく思い至った話だ。
でも……。日名子は体育館で練習しているが、ひとりだ。他の選手はどうしたんだろうかと、琴子は首を捻る。
しばらく琴子が眺めているのに、布山は首を傾げる。
「詳しいことはわかりませんが。彼女と話ができればいいんですか?」
「あ、はい……でもどうしましょう。私は部外者ですから、学校には入れませんし」
いくら柵越しとは言えど、声をかけていいものか。そもそも柵越しに祈祷料を返却というのも。そう琴子が迷っていたら、布山は穏やかに言う。
「もうちょっと柵越しに歩いてみてください。うちの高校の裏口になりますから。体育館の出入り口もそこになります」
「あの?」
琴子は布山の意図がわからず髪を揺らすと、布山はくたびれた顔に柔らかい笑みを浮かべる。
「真壁さんは自分の生徒ですので」
そう言ってゆったりと布山は歩いて行った。
琴子は思わずぽかんとしながら、くたびれたスーツの布山の背中を眺めつつ、ふと気付く。年齢や職業、雰囲気は若干違うとはいえど、布山は敷島と似ていることに。ふたりは知り合いらしいということ以外になにかあるんだろうか。
でも……敷島は決定的になにかが抜け落ちているような気がするし、布山もなにかが足りない気がする。それがなにかは琴子にはわからなかったが。
それはさておき、日名子に会わせてもらえるなら、ちゃんと謝って祈祷料を返却しなければ。そう思って、琴子も柵越しに歩いて行った。
柵の途切れた場所は、たしかに裏口らしく、車の出入り口用に大きく道が開けていた。そこから琴子は不審者と思われない程度に学校を覗き込んでいたところで、先程別れた日名子が、首にタオルをかけて出てきた。先程別れたときと同じく、顔には不機嫌の色を貼り付けている。
「なんですか、こんなところまで追いかけてきて。布山先生が呼びに来なかったら無視するところでした」
「ごめんなさい、いきなり変なこと言ってしまって……真壁さん、バスケ部だったんですね」
「そうですよ。あたし、キャプテンだったんです……負けちゃいましたけど」
そう言ってそっぽを向く日名子に、琴子は思わず口を噤む。
ここですぐに初穂料を返してしまえば、用事は終わる。それが一番正しいことだとはわかっているが、琴子はなにげなく見た日名子の縁を見て、思わず鞄に入れた手を止めてしまったのだ。
彼女から伸びている縁。さっきまではたしかに綺麗な縁しか見えなかったはずなのに、彼女に黒い縁がまとわりついてしまっていることに気付いてしまったのだ。その黒い縁は、体育館から伸びている。
敷島も働いている鍋底神社と縁が繋がっていたし、琴子も敷島の行った縁切りの祈祷のせいで会社との縁が切れた。日名子もバスケ部なのだから体育館と縁が繋がっていてもおかしくはないが。どうしてこんなに変色してしまっているのだろうか。
「あの……真壁さん。祈祷を執り行ってないから、初穂料を返却に来たんですが」
「別にいいですよ、もう」
日名子はなおも拗ねたような声を上げるのに、琴子は思わず眉を下げて困りつつも、尋ねてみる。
彼女の中学時代の友達との縁や、今の友達との縁。それを切らずに彼女の気が済む方法は、他にあるんじゃないかと思い至ったのだ。
たしかに、敷島の言ったとおりだと琴子は思う。
あくまで鍋底神社で行っているのは、祈祷だけだ。そして、本当に縁切りができてしまう。見えてしまうからと言って、口を挟んでいいことではないとは思う。でも。
見えないからといってないがしろにされてしまった縁が、可哀想だと思ってしまったのだ。
そう琴子は頭に浮かべながら、口を開く。
「でも、部活をやっていたのならバイトできないでしょう? だから初穂料は返却したほうがいいかと思って」
「……でもあたし、引退したんです。負けたんで」
「あれ?」
そのひと言に、琴子はますます困惑する。
さっき柵越しに見た体育館。あそこでボールをゴールに投げ入れていたのは、日名子だけだった。気まずくなったのが友達だけなら、同学年だけだ。学校にも寄るだろうが、体育会系の部活はどこもここも上下が厳しかったような気がする。下級生はどうしたんだろうと琴子は思う。
それに日名子はぽつんと言う。
「後輩たち、はじめての試合だったんです。うち、部員がカツカツなんで、後輩も含めないと大会には出られないんですよ」
「ああ……」
「でも。負けちゃったときに、後輩たちが全然部活に来なくなったんです。一回負けただけでって思うかもしれないですけど。それで嫌になってしまうことだってあります。バスケだけが人生の全てじゃないんで」
そのとき、ふと琴子は気が付いた。
日名子から伸びている体育館に繋がっている縁が、また少し色がくすんだように見えたのだ。
いや、これは違うのかもしれない。琴子は最初、体育館と日名子が縁があるものだと思っていたが、単純に。
これはバスケ部に繋がっている縁ではないだろうか。でも。彼女は他から伸びている縁は相変わらず綺麗なものだ。
これは……キャプテンとしての責任感で圧迫されかけているんじゃないだろうか。それはもう、代替わりしなくてはいけないにも関わらず、代替わりが上手くいかないせいで、彼女は他の縁をないがしろにせざるを得なくなっている。
これは彼女の責任感が原因で話がややこしくなっているだけで、実はもっとシンプルなんじゃないだろうか。
「ねえ、真壁さん。バスケは好きですか?」
琴子がゆっくりと尋ねた言葉に、日名子はビクンと肩を跳ねさせた。そして反発したような、拗ねたような声を上げる。
「好きとか、嫌いとか……そういうのじゃないです。ただ任されたから……ちゃんと責任を持たないといけないんで」
「説教じみたことを言ってごめんなさいね。あなたも既に言っているように、バスケだけが人生の全てじゃないです。あなたが切らないといけない縁って、友達じゃないんじゃないですか? 本当に切らないといけないのは、もっと単純な話」
琴子はそう言いながら、封筒を差し出す。
「初穂料はたしかにお返ししますね。本当に切りたい縁ができたら、また来てくださ……」
「……あの、受け取れないです」
日名子の口調は硬い。だが、さっきみたいな不貞腐れた態度ではなく、最初に琴子が好ましいと思った、凛とした態度になっていた。
「あの、まだ祈祷ってできますか!?」
****
プレハブ小屋に、宮司がしゃんしゃんと御幣の振る音が響く。朗々とした敷島の祝詞の声が響く中、日名子はしゃんと背筋を伸ばして正座している。
琴子はちらりと彼女の頭の縁を見る。祝詞が終わったあとも、彼女の友達との縁は綺麗なまま残ったことに、心底ほっとした。
女友達だったらよくある話なのだ。断り切れなくって友達で一緒に部活に入って、一緒に部活を辞めてしまうということが。
日名子の場合は責任感が強かったせいで、友達にも後輩にも気を遣い過ぎたのが原因で、思い詰めてしまった。
簡単な話だったのだ、さっさと部活を辞めてしまえばいいと。
「終わりましたよ」
「えっと、本当にありがとうございます!」
日名子はぺこんと笑うのに、敷島は穏やかに頷く。
「こちらこそ本当にすみません。お客様に不快な思いをさせてしまって」
「いえ、巫女さんが話を聞いてくれなかったら、あたしも思い切れなかったんで。本当にありがとうございます!」
何度も何度も頭を下げてから、彼女は去っていった。
日名子を見送りながら、琴子はプレハブ小屋の片付けをはじめる。
「本当に今回はすみませんでした。私のせいでぐだぐだになってしまって」
「渡辺さん。あなたはたしかに縁を守りたい、それは尊いことだと思います。ただ、前も申しましたが、どうかお客様に寄り添ってくださいね。絵馬を書く、拝殿で祈るくらいでしたら、放っておいてもいいんです。ただ祈祷にまで訪れるということは相当思い詰めているんですから、どうかその願いをないがしろにしないでくださいね……まあ、今回は部活と縁を切りたい。そのことで彼女の友人との縁は守れた訳ですが」
その言葉に、琴子は少しだけほっとした。
「でも……部活を辞めて、あの子は友達とよりを戻せるでしょうか?」
「そればかりは自分たちがどうこうできる問題ではありませんよ。自分たちができることは縁を切ることであって、取り持つことではないのですから」
ふと段上を見上げると、屋台が完成していた。
明日は祭り。ここも忙しくなる。琴子は片付けをしながら、ふと敷島の縁を見ていて気が付いた。敷島には相変わらず目立つように鍋底神社と結びついている縁が見えている。
今回、日名子の縁を守れたのは、琴子が日名子の話を聞いたからだけではない。琴子の迷いを布山が払拭してくれたというのが大きい。
敷島と布山がどういう関係なのかは知らないが、どうして布山は鍋底神社に来られないのだろうと考えていたが。
琴子は人と人との縁だったら悪くなりかけている、綺麗なままと区別がつくが、それ以外の縁は近くで見なければ判断ができない。日名子の悪縁だって彼女が学校の体育館に行かなかったら気付かなかったのだ。
布山は、既に縁を切られているんじゃないだろうか……鍋底神社との。だから近付けないし、入れない。
なんで、どうして。
そう思ったものの、稲穂の忠告を思い返して、口に出すことはできなかった。
『お気をつけあそばせ。達彦はいらないと思ったら、簡単に切っちゃいますから』




