友達の距離感 その1
鍋底神社は、この数日ずいぶんと境内が狭くなっていた。屋台業者の人々が屋台骨を組んでいったり、氏子たちでつくられた祭り組合の人々が神社のあちこちに提灯を付けたり。
普段は祈祷でもない限りはのんびりとしているが、敷島も琴子も、バタバタと境内を走り回って作業をしていたのだ。
「まさか夏祭りだけで、こんなに走り回ることになるとは思ってもいませんでした……」
Tシャツでジーンズだったらともかく、琴子は巫女装束で走り回っているものだから、白衣も緋袴も汗で貼りついてぐっしょりとしてしまっている。
「お疲れ様です。祭りの頃になったら、物見遊山の人が増えますから」
「あのう、巫女は私ひとりだけで大丈夫なんでしょうか? 問い合わせや案内がありましたら、私だけだと対応できないかと思いましたけど」
「大丈夫ですよ。神楽を踊るために、他社から応援も来られますから。皆さん慣れている方ばかりですから、渡辺さんは社務所の番だけに集中してください」
「他社って……よその神社の方ですか?」
神社は系譜によっては本社と分社と存在し、同じ神を祀っている社同士で協力関係になることがある。この神社にもそんな関係の神社があったのははじめて知ったと琴子はペットボトルのお茶を飲みながら、塩タブレットを齧った。
それに涼し気に頷く敷島。琴子と同じく汗をかいてぐったりしているのかと思ったら、汗をかいてもいつもとほとんど変わらない。かけているメガネだって汗と熱気で曇ることはなかった。
「神楽はちょっと踊りが特殊ですから。稽古している方をお借りするんですよ」
「なるほど……じゃあ私はいつもよりも変える時間が遅くなるだけで、基本的にやることは変わらないんですね?」
「終電のことだけは気がかりですが、どうぞよろしくお願いします」
そう敷島に頭を下げられながらも、琴子は笑う。
正直、今までがびっくりするくらいに楽だっただけで、これくらい忙しいのもたまにだったら悪くはない。
それに祭りの舞台裏というのは、学校で文化祭を経験したことある人間だったらいつだって面白いと思えるものだ。
そう思いながら琴子がペットボトルを再び傾けたとき。社務所の電話が鳴り響いた。また氏子か業者の問い合わせだろうか。そう思いながら琴子が受話器を取る。
「はい、鍋底神社です」
『すみません、祈祷の予約ってできますか!?』
「はい?」
耳元に滑り込んできた甲高い声に、思わず琴子は目を白黒とさせる。
普段の閑散としている神社だったら、ふたつ返事で祈祷の予約を請け負っていただろうが、今はお祭り前で、拝殿にもお供え物が運ばれている状態だし、なによりもそこには祭りの組合の寄り所になっている。そんなところで祈祷なんかできるものだろうか。
琴子は「少々お待ちくださいませ」とひと声かけてから、後ろでペットボトルを傾けている敷島に声をかけた。
「あのう……敷島さん。祈祷の予約の問い合わせが来ているんですが。どうしましょう? 今ってお祭りの準備をしていますから、お祭りが終わってからでなかったら祈祷なんてできませんよね?」
琴子が恐る恐ると尋ねてみると、敷島は涼し気な顔で口を開く。
「別にかまいませんよ。先方の予定に合わせます。本当は拝殿が望ましいですが、難しいなら社務所裏で行っても問題ありませんし」
「え……」
たしかにプレハブ小屋の社務所の裏には空き部屋がある。元々ここは巫女が神楽を踊る練習として使用する部屋だったらしいが、社務所に雷が落ちたときに一緒に焼け落ちてしまったために、プレハブ小屋の社務所ができたときに一緒に設置されたらしい。はっきり言って祈祷するイメージから程遠くてここでやれとは無茶なのではと琴子は目を細める。それに気付いてか、敷島はそっと言葉を付け加えた。
「今は祭りの準備があるせいで、きちんとした場所では祈祷は行えません。それでもかまわないかと確認取ってください」
「あ、はい。それならば」
琴子は受話器のほうに「もしもし、お待たせしました」と言葉を添えてから、敷島から聞いたことをそっくりそのまま伝える。
「現在、お祭りの準備のせいで慌ただしいので、正規の場所では祈祷を行えません。急ごしらえの場所になってしまうんですが。もし時間があるのであれば、お祭りのあとのほうがよろしいかと思いますが……」
『急ごしらえの場所でもできるんですか!? ならお願いします! その場所で祈祷してください!!』
相変わらず、受話器の向こうの声は琴子の鼓膜を右から左へ突き抜けるように、甲高い。琴子は耳がジーンと震えるのを感じながら、予定の日付と日程をメモに取って、名前を確認してから、電話を切った。
琴子は「ふう」とひと息つく。
「なんなんでしょうね。そこまでして祈祷を頼むのって」
供物でも置いたら、どうにか祈祷にふさわしい部屋にならないだろうか。それともプレハブ小屋に供物を置いたら余計に珍妙な部屋になってしまって駄目だろうかと考えあぐねている琴子に、敷島は「そうですねえ」と口を開いた。
「人にとってはくだらない、しょうもないことというのも、当人にとっては切実な願いな場合があります。話は、来てから尋ねても遅くはないでしょう」
「まあ……そうですね」
ひとまず予定表に祈祷の予約と名前を入れておく。【まかべひなこ】とはどんな字を書くんだろうと思いながら。
でも彼女は知っているんだろうか、ここは縁切りを主とする神社だということを。縁切り専門だというのは敷島が否定してはいるが、相変わらずこの神社を訪れる人の大半は、縁切りを願ってやってくるのだから。
琴子はもやもやとしたものを感じながら、水分休憩を終えて出かけていった。
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「つーかーれーたー……」
琴子が自分のアパートに着く頃には、すっかりと空は暗くなっていた。最近は日も長くなっていたから、夕焼けが消えた空は本当に久しぶりだ。こんな時間に帰ることになったのは、ブラック企業で働いていたとき以来だ。
祭りの準備であちこち走り回っていて、神社の縁日に参加したことは多数あれど、裏方はこんなに大変なものだったのかと嫌というほど思い知った。
最近は熱帯夜が続いていた中、久しぶりに爽やかな夜風を受けてアパートに辿り着き、ポストを開ける。琴子は新聞は取っていないものの、ときどきダイレクトメールはやってくる。
捨てる捨てる捨てない捨てる……そう思いながらポストの中身を選別している中で、かちりと固い紙が入っていることに気付き「ん?」と琴子はそれを引っ張り出した。往復はがきだ。
「……結婚、式の招待状?」
思わず住所と名前を確認して、胸に苦いものが込み上げてくるのを感じていた。それは、大学時代に気まずくなったまま卒業して以降、連絡を一度も取っていなかった友達からのものだったのだ。
琴子は元々田舎者だ。車がないとどこにも行けない場所で育ち、スマホもほとんど電話機能しか使っていなかった。ネット回線の修繕やスマホの電池の交換さえも遠出しないとまともにできない場所なため、外に行く以外は本当に携帯不携帯な状態でもよかったのだが、大学に入ってからは事情が変わった。
講義の連絡のためにスマホにアプリを入れないといけなかったのだが、そのアプリの扱い方が琴子には合わなかった。
アプリで連絡を取り合うのが当たり前。アプリでおしゃべりをするのが普通。
どこに行ってもスマホで写真を撮り、出かけている自分の前でどこかの誰かとアプリでおしゃべりをしている。しかも誰もそれに対してなにも言わない。
それが合わなかった。
目の前にいるんだから、わざわざアプリで会話する必要ないじゃない。そもそもずっとスマホを出しているのはマナー違反じゃないんだろうか。目の前の人に対して失礼と思わないんだろうか。
田舎はよくも悪くもコミュニティーが狭いため、一度知られたことは簡単に町中に伝わってしまう程度の狭さだったがために、わざわざ人を監視したいと思わないし、アプリでわざわざなんでもかんでも聞かれるのが気に食わなかった。
本当に右も左もわからない琴子に対して、大学でできた友達はそれはそれは親切にしてくれた。講義の連絡事項のためにアプリを入れないと駄目と言われても、携帯ショップで入れてもらったアプリ以外はどうやって使えばいいのかもわからない琴子に対して、あれこれと面倒を見てくれたのもその友達だった。
本当に大切で、一緒に遊んで楽しかった友達なのに。大好きだったはずなのに。
すぐにアプリでおしゃべりをはじめてしまう。そこだけは琴子は我慢ができなかったのである。
【今日あそこの店安いの】
【これ200円だったの、すごいよね。この値段でこの量は】
ほとんど日記のように語られる言葉の数々に、琴子はいつも四苦八苦しながら返事をしていたものの、だんだんと疲れてきた。
それで一日。たった一日アプリどころかスマホの電源切って放置してしまった。たまには監視されているような気がするアプリから解放されたかったから、スマホを放ったらかしにして、一日レンタルショップで借りてきたDVDを見て過ごした。でもその代償として次の日から、何故かコミュニティーから放り出されてしまった次第である。
適応できない自分が悪かったのかなあ。
琴子は未だに途方に暮れている。
コミュニティーが狭い町で育ったために、いつだって人の目があった。人に見張られているという感覚があまり好きではない。だから都会に憧れた。都会では人のことなんて気にしないと思っていたから。でも都会は都会でアプリで見張ろうとすると思い込んでいる自分が嫌になるのだ。
自分の考えが古過ぎるのか。もっと大人の対応ができたんじゃないか。もっとスマートに避ける方法があったんじゃないか。でも一日放っておいて、簡単にポイ捨てするなんて。ひどい、ひどいひどい。
そうときどき思い返しては後悔と反省、そして子供のような駄々っ子の感情がないまぜになってしまう。そんな歯がゆい思いをしているのは、この年になると学校という監視の目はなくなった代わりに、コミュニティーの枠組みから外れたせいで友達という枠組みがなかなかつくれなくなるからだろう。
琴子は何度も何度も結婚招待状を指でなぞってから、それらを持って自分の部屋まで帰ることにした。
結婚式の準備にはお金も時間もかかるのだから、出欠は早めに出さないといけない。でも、なかなか返事をするのに困ってしまうのだ。
彼女はどうして今更になって招待状をくれたんだろう?
今でも友達だと思ってくれているのか、ただの人数合わせのお愛想なのか、琴子はわからずにいた。




