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ジキルの災難(weiss version)  作者: ケイト
3/3

03

幹部が、冷淡な口調で大柄な手下に命令した。


「おい。片足折っとけ。逃げられないようにな」


男は黙ってジキルの足枷を外した。そして片足を抱え、決して曲がらない方向へ捻り上げる。


「いっ! 痛…っ!」


そのまま弾みをつけて、全体重をかけようという体勢だった。

ジキルは最後の力を振り絞って暴れようとした。

その時だった。


スイートルームの照明が一斉に消えた。

ガラスが割れ、缶ビール状の物体が外から投げ込まれる。

大音響と閃光。ジキルはとっさに右目を庇うように、枕に顔を押し付けた。

チャイニーズマフィアたちは、そのままの姿勢で呆然と立ち尽くしていた。


黒い塊が、幾つも窓から室内になだれ込んだ。

入り口の扉からも、黒い影が駆け込んでくる。

壊れかけの電動タイプライターが立てるような連続音が、散発的に響き渡った。


「クリアー!」


口を押さえて喋っているようなくぐもった声。

同じ言葉が、あちこちから聞こえる。

微かに血の臭いが漂ってきた。


突然、ジキルは髪の毛を掴まれ、乱暴に顔を上げさせられた。

白色のライトが目の前で光る。あまりの眩しさに、ジキルは目を細めた。

自分を照らしている人間の姿はよく見えない。が、頭をすっぽりと目出し帽で覆い、ガスマスクを着けているようだ。

英語で何か話し合っている。どうやら写真と照らし合わせ、ジキルの顔を確認しているらしい。


「な…何や…、お前ら…?」


ジキルは尋ねた。

すぐに、英語で答えが返ってきた。


「心配ない。我々は存在しない。忘れろ」

「……ああ、そういうこと。了解……」


納得してジキルは頷き、力なく微笑んだ。

肩にチクッとした痛みを感じた。

とたんに彼はがっくりと頭を落とし、深い眠りに落ちていった。


     *


「じきるー」

「……………………」

「じきるー」

「………………」

「しゃちょー」

「…………」


目を覚ますと、二つの顔が自分を覗き込んでいた。

ジキルが作ったゴシックロリータの服に身を包んだ、8歳になったばかりの少女。

そして、ブティックの経営を任せているサーファーの青年。

いずれも見慣れた顔だが、ジキルはとっさに状況を理解することができなかった。


「じきる、どこいってたの?」

「ア、アリサ……」


しゃがみ込んだアリサが、木の枝で自分をつついている。

ジキルは体の下に、コンクリートの冷たさを感じた。

ようやく自分が倒れているのだということに気付いた彼は、両手を地について上半身を起こした。


「かえってこないから、しんぱいしてたんだよ。そしたら、こんなとこでねてるから」

「こんなとこ、て…?」

「社長~。また[イーハトーボ]で飲み過ぎたんスかぁ?」

「……ここは……店?」


ジキルは辺りを見回した。

米軍放出品のショップ[じきる堂]の看板が見えた。

夕方、シャッターを閉めて、ホテルに配達に出た。店先の様子はその時のままだった。

目の前にエレベーターが見える。新宿の雑居ビルの六階だ。


「ワシは…ここまで、…運ばれ……」


ジキルは慌てて自分の顔に手を当てた。

黒い眼帯に指が触れる。きちんと古傷を覆い隠している。

服も、外出した時のままだった。パンツもブーツも、自分が履いた時のようにぴったりと下半身を包み込んでいる。

ふと、シャツの袖を見た。赤と黒のボーダーだったが、ところどころにドス黒い染みがある。おそらく、チャイニーズマフィアの血を吸ったのだろう。


「社長~、髪の毛ボサボサじゃないッスかぁ。せっかくきちんとセットしたのにぃ」

「ん? あ、ああ、すまんかった……」

「明日の朝、またセットしに来ますからね。ちゃんとシャンプーしといてくださいよ」

「ああ……わかった……」


ジキルは、上の空で聞いていた。

体のあちこちが痛む。殴られた顔も腹も、そして玩弄された恥部も。

さすがに傷の手当てまではしてくれない。ジキルは溜め息をついた。


「また、間違えてボディソープで頭洗わないでくださいよっ。パッサパサになっちゃいますからね」

「だいじょうぶだよー。ジキルはアリサがちゃぁんとあらってあげるんだから」

「そっかぁー。アリサちゃんは偉いねー。社長のこと、大好きもんねー♪」


美容師の経験のある青年は、毎朝の日課を楽しみにしているようだ。

明日はどんな髪型にしよっかな~、と鼻歌を歌いながら、エレベーターに乗って帰って行った。


「ねー、アリサたちもかえろうよ。おふろにはいろうよ」

「あ、ああ、そやな。帰ろか」

「あのね、あのね。したのきっさてんで、チーズケーキもらったから、たべよう!」

「ん。おーきに。そーしよ」


ジキルは立ち上がった。体中がミシミシと音を立てた。

アリサの手を引いてエレベーターに乗り込み、ジキルは七階のボタンを押した。


     *


数日後。

ジキルはアリサと朝食を済ませた後、リビングで鳴り響いていた電話に応対した。

それは国際電話だった。ジキルは受話器に向かい、まくしたてた。


「どアホ! 何でコレクトコールやねんっ! どんだけ通話料かかる思うてんねん! おっさん、自分がおんの、どこか知ってんのか? カリブやカリブ! カリブやがなっ!」

『よう。相変わらず威勢がいいな。いろいろ大変だったようだが』


しゃがれた初老の男性の話す日本語だった。電話はかなり遠い。

それでもジキルは、その言葉に反応して眉をしかめた。


「あァ? 何やと、クソジジイ。何でそないなこと知ってんねん」

『ハッハッハ。ラングレーのお友達が教えてくれたのさ』

「し、CIAやとォ? ふっ、ふっ、ふざけんなジジイッ!」

『てめえにくれてやったルートが知れたら誰が困る? それを考えりゃわかるだろ』

「ちっ。手回しのええこっちゃな」

『ちなみにこの電話は公安諸君が盗聴している。フハハハハ』


受話器の向こうでゲラゲラと笑う声が聞こえた。

ジキルはカリブ海の方角に向かって中指を立てた。


『ところで王女さまは元気か? 替われ』


ジキルは返答もせず、受話器を持ったままアリサを呼んだ。

鏡台の前で髪をとかしていた彼女は、いそいそとやって来て受話器を受け取った。


「アリサだよー。うん、げんきー。うん、ジキルはやさしいよ。ん? こっかてきようちゅういじんぶつ? それなに?」


ジキルは、テーブルから煙草のパッケージを取った。

一本抜き出して、口にくわえ、ジッポーで火を点ける。

また、普段通りの日常生活が始まるのだ。深く煙を吸い、吐き出す。

ゆったりとした時間が過ぎて行く。


「じゃ、またねぇ、じゃっく!」


アリサは笑いながら電話を切ると、自分の部屋に行ってドアを閉めた。

ジキルは近くにあった如雨露を取り、窓辺の植木に水をやった。

彼には、さして興味のないことだった。

彼という人物の平和な日常を守るため、日夜努力している集団が存在することなど。


「あーっ!」


唐突にジキルは思い出した。


「SMグッズの代金……踏み倒されたがな~!」


床にへたり込み、拳をわななかせるジキルだった。

彼に降り掛かる災難は、今後も数多く発生しそうである。


(了)

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