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HAPPY END  作者: 多奈部ラヴィル
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冒険へ

わたしはミニストップでセブンスターと一00円ライターを買い、駅の前に3列に並んでいるベンチの一番前に座り、タバコを吸った。50メートルくらい離れたところに、喫煙スペースはあるのだが、ベンチの周りには、そう多いわけではないけれど、タバコの吸い殻も落ちていて、やっと落ち着いてタバコが吸えた。買ったセブンスターと一00円ライターがバッグに入らない。かといってポケットのついているワンピースを着ているわけでもない。仕方がないので、FrancFrancの鏡をベンチにおいて、タバコとライターをやっとバッグに入れた。そう、バッグは小さいのだ。ちょっとそこまで。でも少しおしゃれをして。ベビーパールのチョーカーがそう主張している。わたしのちょっとそこまでっていうのは歩いて、じゃないのかと訝しく思う。わたしはなにかを思いついて電車に乗り、なにが目的なのかわからなくなり、目的を次々と編み出した挙句、結局それらも一つ一つ否定していき、そのたびに電車を乗り換え、今、新越谷という駅でベンチに座りタバコを吸っている。家の鍵は持っていない。

 気温はやはり電車の中よりは高く、少し蒸す。今は梅雨なのかもしれない。空は曇っているけれど、アスファルトは先んじて知っている。もうすぐ夏がくるっていうことを。そして夏を迎えることを喜ぶのはセミと夏、ことさらに海やプールがが好きな人たちだけで、その人たちは、夏の間はまるでぼけたように、夏にどっかりと座っている。けれど気づいている人たちもいる。夏を迎えた瞬間に、秋の用意は始まっているということを。入道雲の後ろにそれは確実にあるのだ。それは確実で間違いないものだ。だからわたしは夏にはセットでどうしても「せつなさ」を感じてしまう。今は季節や空を「せつない」と思わない。きっと今、夏ではないはずだ。楽しみは待ってはいけない。箱が開くとき喜べばいいのだ。

 けれど明日も確信できないわたしが、今何を喜べばいいのかわからない。少し考えてみようと思う。チェーンでタバコを吸う。ミュールで踏みつぶす。目の焦点が合わない。パチンコ屋のネオンもぼやけて見える。駅のロータリーに沿ってあるガードレールの周囲に自転車がびっちりと置かれ、それを年配の男性が、撤去している。やっぱり何を考えてみても、よくわからない。もう一回、今何を喜ぶか、と考えてみる。やはり何も見つからない。以前、歩いているとアイディアが浮かぶという話を聞いたことがある。けれどわたしはただぼんやりとタバコを吸っては踏むばかりだ。

 ぼんやりするっていうのは何も驚かないということなのだろうか? わたしは今、ウサギがわたしの目の前をピョンピョンと飛び跳ねていたら、

「小鉄」

とウサギを呼んで、振り向かなければそのままやりすぎるだけだ。小鉄、と呼んで振り向いても、どうすることも出来ないが。別にわたしは特段疲れているわけでもない。そして気がづいた。パチンコ屋のネオンを見た後、わたしはずっと下ばかり向いていたなということに。今、年配の男性はかなり向こうの方で自転車の撤去を行っている。

 

 するとロータリーに入る向こうの大通りから、黒い塊が徐々に近づいてくる。そしてパチンコ屋のあたりに来て、様々な色に彩られる。よく見ると二〇くらいの人たちが、白い馬にまたがって、3列になりこっちへ近づいてくる。けれどたくさんの人ごみの中、その白い馬とそれに乗る警備員なのか警察官なのか自衛隊なのかわからないような制服を着た一軍に、注意しようともしないし、見物する人すらいない。そしてよく注意をして見ると、たくさんの人たちは見ようとしないというよりも、見てはいけないと思っているように見えるのだ。目があったらおしまいだ、っていう風に。そしてその隊列は、白い馬さえ右足左足といった歩を同じくし、乗っている人たちも一糸乱れぬ見事な動きだ。隊列の中には 年配の男性が多かったが、若い男性もいたし、少しだが女性もいた。皆同じ帽子をかぶっているからわかりにくいが、女性はたいてい極度に髪の毛が短かい。けれど一人若い女性が、長い髪を結んでいた。太陽が落ちたせいかもしれないが、駅の明るい所で見ているわたしにも、男性のひげなど見えない。それどころか一000円で永久脱毛でもしたというのか、ひげの跡すら感じられない。そして誰も一言も発しない。「今日は蒸すね」などとも言わないし、白い馬さえも何も発しない。そして馬が白いせいなのか、ほかの理由があるのか、黒い塊に見えた隊列が、ロータリーに入ってくると、とても明るく発光するのだ。ライトがあるわけではないし、もちろんレフ版をもって歩いている人などいない。それでも、とても食欲もあってよく眠れます、といったように妙に明るいのだ。そしてその明るさが、かえって妙な白々しさを与えるのだ。この場所のせいかもしれない、この時間帯だからかもしれないといろいろ考えても、初潮を迎えたころの中学校の体育館の蛍光灯の灯りを浴びているように発光している。

頭に「統率」とか「訓練」とか「装備」とか「軍隊」という言葉が矢継ぎ早に浮かんだ。電柱の上に止まっていたカラスが、鳴きながら飛んでいき、中には果敢にも隊列の上空ギリギリを低空飛行するカラスもいた。カラスが低空飛行したところにいた隊列も、人も馬もどこも臆することもなく、堂々と行進を進める。

 わたしは少し思う。わたしが統率されるのはいやだなと。けれど統率された人や馬は、それだけできれいだ。でもまったく自由じゃない。もしかしたら、腕を蚊に刺されても、かいてはいけないという訓練を受けているのかもしれない。皆と同じ装備は、今のわたしは好きではないけれど、いつか皆と同じ服を着ていることに安心するときがくるのかもしれない。それはおそらくもうすぐで、とても疲れた時だ。わたしはきっともうすぐへとへとになる。そんな予感がする。そして具体的には覚えていないが、脳に「わたしの予感はたいていあたる」と書いてあるような気さえする。軍隊は太陽みたいなものだ。安心と健康がある。軍隊が悪だとしてもそれはとても健康なものだ。そしてホッとできる。アメリカ人の軍隊と日本人の軍隊は、何か決定的な違いがあるような気がする。幅がない分、日本人の軍隊の方が疲労と食欲があり、性欲の処理さえすめば、心地よい眠りにつける。おそらく日本の軍隊には変態率が低いような気がする。

 わたしは白い馬と人々の群れを見て、規則正しくカツカツと鳴る音を聞きながらそんなことを考えていた。今その隊列はわたしの前を過ぎ、ロータリーに入って来た側の反対から大通りに、また、黒い塊のようになって消えていく。わたしはそれに妙なイメージを抱いた。あの隊列の行きつく先には、緑色の沼があって、馬も制服を着た人々も、沼に入っていって、透明になり、池の緑を写し、ちぎれて溶けていく。そんなイメージだ。人生の中の、一部分、制服を着て帽子をかぶり、白い馬にまたがって、それもつかの間に溶けてしまうのではないか。白い馬たちとともに。


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