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HAPPY END  作者: 多奈部ラヴィル
16/18

冒険へ

「そして簡単に言ってしまえば、Xデーは近づいているんだ」

「Xデー?」

「そう、富裕な人たちが集団自決する日だ。前にも行ったとおり、この街のどこかにエメラルドグリーンの沼と深い谷があるんだ。人たちはそのエメラルドグリーンの沼で身体を清めると、せーので谷に飛び込む。その谷は落ちたら絶対死ぬっていう谷で、退路はないんだ」

わたしはなにか、さっきサンクスのアイスコーヒーを飲みながら聞いていた

「豪邸退散!」

「カウンタックなんて古い」

「スウェットこそ未来の服だ」

「一〇〇〇円の時計でもそう壊れたりしないぞ」

っていう言葉にも、自警団の自決にもリアリティを感じないし、さらに、その意味がどうもおかしく思える。

 そして変なことを考える。セブンで買った表紙と裏表紙が固い、B5のノートとボールペンはどこに忘れてきたのだろう。サイゼリアだろうか。そう考えたとき、ああ、あの話は話しながら同じスピードで浮かんできたイメージをつなぎ合わせただけのただのホラ話だ。きっともうわたしは現実ではなくフィクションの中でしか生きられない。その他の他のみんながそれぞれ現実だと思ってつかんでいるこの群衆やパチンコ屋の風景も、みな私にとってはニセモノにしか見えないのだ。

 「この人たちの集まっている先には何があるの?」

そう少年に聞いてみる。

「制服を着て、帽子をかぶった中年の男性が白馬に乗っている。それが三組だ。自警団の代表者らしい」

「そしてその白馬に乗った人たちはそういう群衆の意見に、どう答えているの?」

「『豪邸やカウンタックを欲しいなら、向上心を持って、様々なスキルを得て、お金を稼げばいい。人っていうのはそういう風に生きるべきだ』って言っている」

 それもなにか納得がいかない。なにかなじまないというかしっくりこない。けれど確かに、スウェットと「上昇志向」っていうやつは一緒に並べない。「様々なスキル」もそうだ。そしてさらに合わないのは「生きるべきだ」という言葉に思える。

 スウェットを着て「俺はこんな風に生きるべきだ」などと考えることがあるのだろうか? それはあったとしても、とても珍しいことのように感じる。確かにスウェットの先進性は私も認めたい。スウェットと言うおしゃれのカテゴリーも存在するし、スウェットは手洗いなどではなく、普通に洗濯機を回せるし、乾燥機にも強い。そしてアイロンがけを必要としないし、しわになることもない。未来の服。わたしも一方では思う。けれど一00%それに同意するのは無理だ。わたしはスウェットもTシャツも好きだが、シャツもブラウスも好きだ。それにアイロンをかけるのをめんどくさいと思わないし、むしろゆとりのあるそういう時間に、ゆっくりと丁寧にシャツやブラウスにアイロンをかけるっていうことが、昔から好きだったんじゃないかって思える。アイロンをかけるという行為に対する時間を端折って、彼らは何をしたいのだろうか?


「そう、そういうわけでお財布には三万円入っているし、取りあえず靴を買いたいのよ。どこかいいお店がある? そして今何時なのかしら?」

「安くてもいいの?」

「当座の間に合わせなの。とりあえず靴を履かなきゃって思って。人として靴を履いていないっていうのはどうなのかしらね?」

「そうだな、靴を履かずに歩いている人はあまり見ないよな。安くてもいいのなら、そのロータリーの君から向かって右に出たところに『流通センター』がある。俺もよく、そこで靴を買うんだ」

「ありがとう。そして今は何時ごろ?」

「今は8時30分過ぎだ。その靴屋は9時には開くから」

あと30分。その間何をしていようかと考える。トイレを探して足の裏をごしごし洗っていようか。

 すると群衆の胎動が大きくうねり始める。そして明らかに間違っている。

「金持ちは死ね!」

という意味と

「貧乏人は死ね!」

という対立に変わり始めている。「金持ちは死ね!」の方は、これではただ単に安月給で働き、豪邸やカウンタックに憧憬を持ちながら、リストラにおびえているサラリーマンが、金持ちを否定しているに過ぎない。そして「貧乏人は死ね!」の自警団は、今まで苦労して働き、豪邸やカウンタックを欲しいと思っていると自ら信じ、そうしたやっと得た豪邸やカウンタックを、否定されたり、その意味を無視されたりする、そういう価値観の台頭が怖いだけだ。みな間違っている。信じて叫んでいるのかもしれないが、最初から間違っていたロジックは白熱すれば考えることをやめてしまい、そのロジックは形を変え、自分勝手な言い分を言っているだけにすぎないのに、汗をかいた身体と、熱くなった頭では考えることができなくなっているのだ。

 今、汗をかいた群衆はリアリティがある。けれど、そこで起こっている何事もなにもかも嘘くさく、寝ていて見る夢の中で明らかな間違いがあるストーリーを見ていて、そして眠りから覚め、上半身を起こしても、しばらくの間、その間違いに気が付かないままその夢の中のストーリーの中にいるような気分に浮されている。

 そんなことを考えながら、少年に聞いた。

「どこかにトイレはない?足の裏を洗いたいの」

「あると言えばある。それはサンクスの中のトイレだけど、そこで足を洗うのは多分困難だと思うよ。それに足を洗ってもまだはだしだ。すぐに汚れてしまう。だったら、靴を買った後に、ショッピングモールの障害者用のトイレで足を洗う方が現実的だと思うな」

と言って、なぜかにやにや笑っている。

「君、この革命になにか言いたいことがあるんでしょう」

「多少ね。大した事でもないけれど」

「でも君は君も気づかないところで、君は何かを言いたいと思っている。それに対する返答も求めているんだ」

わたしはびっくりした、そんなことをすれば成功するか成功しないか、もしくは、初めからなんの意味もなかったのか、そんな未遂の革命の一員になってしまうだろう。それは未遂の革命の当事者と言えないだろうか。少し脈拍が早くなる。それとともに心臓が大きな鼓動を打っているのを感じる。それは高揚と言えば言えた。

「もしかしたら、わたしは『言いたいことがある』んじゃなくて『言ってみたい』と思っているのかもしれない。あなたの言う通り。でも何をどんな風に、どうやって言えばいいのかよくわからない。それは今まで傍観者でばかりいたせいなのかもしれないし、臆病なのかもしれないし、そういうことに巻き込まれるのをめんどくさいと感じるタイプだったのかもしれない。わからないけれど」

「言ってみなよ。なにか。それで現実の色や輪郭がなにか変わるっていうこともありうるだろう? 俺は君には今それが必要だって思えるんだ。そして革命の当事者になる気があるんだったら靴なんて履かない方がいい。その方が様になる。そして誰が血を流そうと、臆することなく革命を遂行するんだ」

「あのね、そんな大げさなことは、わたしにはできないし、するつもりもないわ。血は流されるより、やっぱり流されない方がよっぽどいいってわたしには感じられる。ただね、自警団の人たちにも、スウェットの人たちにも同じく言えることがあるかもしれないって、ただそれだけの話」

わたしは黙った。朝から昼に変わるような時間帯。いつの間にカラスがいなくなっている。ただ一羽、電柱のてっぺんで、この革命未遂の行方を見守っている。あくびを噛み殺しながら。

「そんな風で楽しいの? 生きているっていうことが」

わたしは黙ってしまった。BMWの助手席から始まったわたしの人生。少年にはウソの話をして、本当は男性に見られながらおしっこをした。とても暗い駐車場なのに、とてもまぶしいという矛盾の中で。その記憶から今までは、この少年と話しているあっという間に過ぎたこの時間が最も楽しいと思えた。靴を履いたらきっとわたしはパスモで電車に乗るだろう。けれど行く先はわからない。どこに行けばいいのかわからないまま電車に乗って生きていくのだろう。お財布に入っている三万円は金額ではなく、とても心強いものに思える。けれどそれでなにか楽しいのだろうか。少年は楽しいのかと聞いた。わたしは目をつむって、うつむいた。どうやらそれがわたしが考え事をするときの姿勢らしいということには、だいぶ前に気が付いていた。

 しばらくそうしていた。楽しいのか。わからない。楽しいっていうのはどういうことなんだろう。笑うことがたくさんあるっていうことだろうか。おいしいものをたくさん食べるっていうことだろうか。お金が豊富にあるっていうことだろうか。友達の電話番号が、たくさんアドレス帳に載っているっていうことだろうか。生きているっていう現実を実感することだろうか。

「そう、その通り。今自分は生きている。そう思えることが楽しいっていうことなんだ。それに多少の孤独感とかさみしさがあってもね。そしてそれは幸福ともまた意味が違うんだ」

 少年はマイクとアンプを持っていた。そして、ついてきて、と言う。そして人ごみをすごいスピードで分け入り進んでいく。わたしは少年を見失わないよう必死になる。少年はパチンコ屋の非常階段の前に立ち、わたしに向かって

「こっち、こっち」

と手招きしながら、大声を出す。そしてやっとわたしは少年の元へたどり着き、

「あなたって人ごみの中を進む天才ね」

と言ったが、聞こえなかったらしい。そして不思議だが、簡単にパチンコ屋の非常階段の前のドアのカギを開け、マイクとアンプを持ちショルダーバッグを斜めにかけながら進んでいく。

階段を上がり屋上にたどり着くとわたしは息が上がった。少年は平然としている。わたしは、

「とりあえずタバコを吸わせて」

と言って、タバコをバッグから取り出した。もう数本しか残っていない。買わなければと思う。そういえばなんだかヘビーに煙草を吸っていたような気もする。けれど長い時間タバコを我慢していたような気もするのだ。

少年が缶コーヒーをくれた。とても甘い。冷えてもいない。けれど風の吹くパチンコ屋の屋上で飲む缶コーヒーは悪くなかった。パチンコ屋は三階建てだ。わたしは下を覗く。その時妙な胸苦しさとともに、恐怖を感じた。ものすごく汚いトイレに裸足で入っていかないといけないような、そんな悪い夢の中にいるような感じがして、その高い所から下を見下ろすということに、激しい恐怖を感じるのは、幼い頃に刷り込まれた記憶でもないし、前世で味わった恐怖でもないような気がした。割と最近、そんな恐怖を長い時間味わった経験があるような気がするのだ。パチンコ屋の屋上では風は行き場を失わない。通り抜けていくだけだ。そしてその風が湿気を流してくれえるような、木のたくさん生えたところにいるような気分にさせる。それとタバコだけが今の救いに思える。

「ねえ、座ってわたしの意見を言ってもいいの?」

そう、タバコの煙を吐き出しついでに少年に聞く。

「本当は立った方がいいと思うけど」

「でも、怖いのよ」

「意見に恐怖を混ぜてみたら? きっとその方がいい」

「今何時?」

「あと七分くらいで九時になる」

「もうすぐ靴が買えるんだ」

「そう、意見を言って、言い終えたら堂々と靴を買いに行けばいい。君はジャンヌダルクなんだから。そして演説は裸足の方がいいと俺は思うな。バッグも持たない方がいい」

 タバコを吸い終え、缶コーヒーを飲み終えたタイミングで、少年はわたしにマイク渡し、アンプを屋上ギリギリに設置した。そしてさあ、って言う風に私を見る。わたしはのろのろと立ち上がった。

「あの、少し言ってみたいことが、あって」

アンプから出るわたしの声は予想外に大きい。思わず少年を振り向いた。少年はにやにや笑っている。そして

「はだしで申し訳ないけど、」

とまで言ってフェンスの余りの低さに、怖気づく。

「わたしが言ってみたいっていうことは、誰もが、例えばお金持ちが、アパートに住んでもいいし、スウェットを着てもいい。お金がそれほどない人が、スウェットを着ていても千円均一みたいなところで買った時計をしていてもいいし、豪邸が好きなら豪邸に住めばいいし、カウンタックがどうしても欲しいのなら買えばよくって、そういう、なんていうかな、そういう、価値観の違いを転覆するような必要もないっていう気もするし、そういう違う価値観同士が、別に衝突することもないし、共存できる、と思うんです。だから、そうやって自警団を組んで、変な、わたし変だと思ったんですけど、そういう、かゆくなるモンゴル産のバターを、スウェットや千円均一を身につけた人に塗るっていう、そういうのは間違っていると思うし、ただ金持ち、そう、つまり、豪邸やカウンタックを大事にしている人たちを、否定するのもまた、ちがうかな、って」

 わたしは顔を赤らめて少年にマイクを渡した。すると少年が

「二七歳、中流階級の女性のお話でした!」

と締めくくる。

 けれどわたしは自分の意見をアンプを通してだが、大きく響かせたことにさわやかな満足など抱いていなかった。細かく考えればたくさんの誤謬があるのかもしれないが、今のわたしにはそれが見えない。けれど何かが、とても大きくて重要な何かを端折り間違えているのを自覚していた。群衆はさっきまで金持ち対貧乏人という図式で衝突していて、その衝突の意味は違うと説明できたと思う。けれどわたしはとても大事なポイントを見ないようにして話した。そのことに誰も気づかなければいいとおもっていた。心臓が話しているときから変わらずドクンドクンと波打っている。わたしは震える手でタバコに火をつけるが、風と手が震えているので中々火が付かない。オイルは入っている。少年に手伝ってもらい、手で風をよけてもらい、やっと火がつく。わたしのタバコを持つ手震えている。それを見ながら少年が、

「かなりよかったよ。俺も君の言っている意味がよく分かったし、賛成だな」

と言う。賛成? 間違っているのに。この少年だけがもしかしたら賛成してくれるのかもしれないと思う。彼は震災で一気に家族もそれにまつわる大切なものも失くしたのだ。スリッパラックも流されてしまったんだろうし、猫のメロもだ。そして新聞配達をして先月はコンポ、今月はパソコンを買った。現地で支給されたスリッパを持ってここに引っ越してきた。

「なにか納得できない」

大声で群衆の中の一人の男性が大きな声で言った。群衆はざわざわと気味の悪い音をたてはじめた。そしてその後に続くように

「そうだ!」

と女性が叫んだ。すると堰を切ったように、

「そうだ!」

という声があちこちで、いや、群衆も自警団もみな口々に言いだした。

 「なにか納得できない」

それは本来的に、正しい意見だった。そして口々にみな「そうだ!」と叫ぶが、それは「なにか納得できない」という意見への賛同でしかなく、なにについて納得できていないのかそれはみな分かってはいないのだ。一番最初に「なにか納得できない」そういった人でさえも。

 納得できないのは当然だった。わたしは気づいていた。わたしは人間の生理を無視して自分の意見を話したからだった。人間の生理に訴えかけない演説など時間の無駄だし、人間の生理に基づかない革命など、あったためしもないし、今までの人間の歴史の中にも多分ないだろう。生理に基づくから革命は成功する。おいしいものを食べたい人が革命を起こすのだ。今食べているものより、もっとおいしいものを。そういった生理が革命には本質的に必要なのだ。わたしの演説は二七歳の中流階級の時間の無駄だった。それならばさっさと靴を買って、電車に乗った方がいい。少年はにこやかに、

「なんで納得できないんだろうね」

と言いながらマイクとアンプを持って、非常階段を下りていき、わたしもそれについて行った。

 そして元のベンチに少年と戻った。

「これからどうするの?」

「まず、靴を買わなきゃね」

「それからは?」

「ノープラン」

「ねえ、一万円あげるよ」

なぜ少年はそんなことを言うのだろうと思ったとき少年に対する、今までぼやけていた疑問が焦点を結んだような気がした。

「ねえ、パソコンを買って、そのパソコンでネットとかやってるの?」

「それがさ、買ったばかりなのに、動かないんだ。故障しているのかもしれなくて」

多分震災の影響だろう。少年は精神に異常をきたしている。いつでもにこやかなのは、そのせいかもしれなかった。

 少年はさっきわたしの前でひらひらと泳がせていた一万円をポケットに無造作にしまっていた。少年はポケットから、一万円を取り出す。一万円札に見えないが、一万円札なんだろう。それを私に握らせ、俺もう寝なくっちゃ。案外新聞配達っていう仕事もやることが多いんだ。その一万円があれば多分靴を五足買えると思うよ。そう言って去っていった。

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