第25話:歯車の手によって起こされた奇跡
外装が真っ白な大きな建物まで俺は飛んできた。ここは坂が丘病院。つまり、風波が入院している病院であり俺がお世話になっている病院。俺はその近くを浮遊しながら風波の部屋の中を確認する。
幸いなことに中には点滴を打たれながらも簡易酸素マスクをして眠っている風波しかいなかった。両親はいなかった。
よし、今日は大丈夫そうだな。
俺は「モードアウト」と言いバードウイングモードを解除して、足音を立てずに地面に降り立った。中にはSMSを着ているけどパッと見だとただの制服姿にしか見えない。俺はいつも全開にしているブレザーのボタンをちゃんと閉めて、いい子ぶる。
なんだかんだ言いながらも制服姿でここに来るのは初めてだな。まぁ、別にいっか。病院なんて制服で来るものじゃないしな。
いつも通りナースステーションに行きお見舞いをしに来たことを伝える。ここのナースさんたちは俺が両親とは会いたくないことを小西先生を伝ってだが知っている。しかも、随分と前から。顔を出すと一人のベテランの看護婦さんが若手の看護婦さんを俺の前に連れて来る。
「どうかしましたか?」
「先日はこの子がご迷惑をおかけしました」
「はい?」
「流谷くんはここにご両親が来ているか聞いて来ましたよね?」
「まぁ、はい。そうです」
「それでこの子はいないと言いましたよね?」
「あぁー、なるほど。言いたいことがわかりました」
「でしたら」
「こちらが確認をしていない自分が悪いのですから」
怒られると思っていたのか若手の看護婦さんは驚いているような表情をしている。
あっ、そっか。若手の人だと知らないんだったな。ちょっとしくったな。でも、やり直すことはできないから諦めるか。
「それで今日はあの二人はいますか?」
「今回こそは確実にいません。来たとしても面会途絶とだけ言っておきますね」
「助かります」
少し安心してから俺は風波が眠っている病室へと向かう。
少ししてから目的の部屋にたどり着いたので前みたいなミスをしないためにノックをする。しかし、中からは気配を感じない。ようやく安心できた俺は風波の眠っている部屋に入って、病室の鍵を閉めた。別にやましいことなどはないが誰かに入られた困る。
俺は風波が眠っているベットの横に置いてある丸イスに腰を下ろす。五年分の長さの艶やかな黒髪を優しく撫でる。すると、どういうわけか涙が溢れて来た。その涙は抑えても勢いは変わらない。
しばらく無言で涙を流し続けた。涙が止まってから風波のか細くて守りたくなるような手のひらを左だが掴む。
「俺は一体どうすればいいと思う? なぁ、教えてくれよ」
主語もないし反応は絶対に帰って来ないと知っているがついつい言ってしまった。
「俺はお前をそんな状態にしたのにSONに戻っていいと思う?」
また勝手に口が開いていた。しかし、今回はどういうわけか微かにだが、風波が動いた気がした。
絶対に気のせいだ。そうだ気のせいだ。
「俺は犯罪者なんだ。そんな俺が戻ったらSONの評価が下がるし、また荒れる。犯罪者は刑務所に入れられるのが普通なのにな。俺は今ものうのうと生きているんだよ。ホント滑稽だよね。俺は周りに害しか与えないのに」
涙は流れて来ないが、心の中の声が漏れてしまう。そんな俺の手のひらが優しく握られ…………
「……えっ?」
確認のために手のひらを見ると本当に握られていた。そこからゆっくりと顔に視線を移動させると風波のまぶたがゆっくりと開かれていく。そして、とうとう俺と目が合った。
すぐにナースコールをしようとするが強く握られてまるで止められているような気がしたのでナースコールをやめる。
「ありがとう」
かなり弱々しいが風波は俺なんかにお礼を言ってくる。
「あたしはお兄ちゃんにはSONに戻って欲しいよ」
「そんなこと言っても俺は」
「あたしは全て知っているよ。だからこそ言うお兄ちゃんは」
つい癖で風波の口を押さえてしまう。
「風波は知らないだろうけどあの事件から五年経っているんだよ」
「知ってるよ。お兄ちゃんを見てわかったから」
「さっき言おうとしたことは今となっては《禁じられた五年前の真実》としてタブーになっているんだよ」
「えっ? そんな」
俺の言葉を聞いた瞬間に簡易酸素マスクを取った。
「おい! それを取って大丈夫なのか?」
「うん。大丈夫みたい」
「本当か?」
「うん。本当だよ」
「なら、ナースコールをするけどいいか?」
「いいよ。話したいことは山積みだけど退院してからにするね」
「わかったよ」
許可を得れたのでベットの近くにあるナースコールするボタンを押す。そこから離れて俺は扉の鍵を開ける。風波の横にある椅子で待っているとすぐにやって来た。やって来たのはどうやら今日、ナースステーションで対応してくれたベテランの看護婦さんと若手の看護婦さんだった。
「風波が目を覚ましました」
そうとだけ告げると風波は「どうも」と苦笑をしながらナースの二人の方を見る。
「先生を呼んで来て!」
「はい!」
ベテランの看護婦さんが若手の看護婦さんに指示を出すと、若手の看護婦さんは慌てて先生を呼びに行った。
ベテランの看護婦さんはどういう状況でこうなったのか聞くために俺の横に来る。そして、俺は普通に対応する。
あっ、そういえば。
「突然ですみませんが俺は風波の担当医を知らないのですけどいいのですか?」
「大丈夫ですよ。風波ちゃんの担当医はむっちゃん。あっ、ごめんなさい。小西陸奥先生ですから」
「そうですか。ありがとうございます。そういえばあなたは小西先生の同期でしたね」
「それだけではなく幼馴染でもあります」
「ということは絶対に俺のことを聞いてますよね」
「はい。全て。SONの選手だった時はどんなだったとか。今現在、新薬を投与してるとか」
「えっ? お兄ちゃん。それは本当なの?」
クソ。止めるのが遅れてしまった。はあ、なら事実を現状を見せるしかないな。
「うん。本当だよ。その証拠に左足が取れるよ。まぁ、俺自身では取れないんだけどね。ちなみに左膝から下全てなくなっているよ。新薬はそんな俺の足を目に見えるほどの速度で回復していくんだよ。まるで魔法みたいにね」
「その新薬は危険ではないの?」
「さあ? なんたって俺が全世界の中で初めての投与例だからな。でも、今のところは特に何も」
「そう。よかった。それと話は変わるけどお兄ちゃん。その看護婦さんと親しくしすぎだよ」
「そりゃあ五年も話していたら仲良くなるよ」
「あぁ、そっか。小西先生の同期と言ったら三十代前半だもんね。まぁ、この島の大人は全く年相応に見えないもんね。かくいうその人もお兄ちゃんと同学年にしか見えないし」
「そう? なら、こんな風にしたらいいんだね」
そう言うとベテランの看護婦さんが俺の腕に絡みついて来て、かなり豊満な胸を押し付けられる。
「えっ? ちょっ! やめてくださいよ! 旦那さんが悲しみますよ!」
「ざーんねん。今のところ意中の相手なんて一度も現れてません」
「お疲れ様です」
肩を軽く叩いて慰める。
「ちょっ! まだ一生独身って決まったわけ」
「そういえば前。三十代で意中の相手が現れなかったら男性も女性も一生独身の可能性が高いという情報をテレビで見ましたよ」
ベテランの看護婦さんは俺の言葉を聞いた瞬間にこの世の終わりとでも言いたそうな顔をしていた。
こんなに楽しく話させてもらってるけど、性格などはなんとなくわかるけど名前は教えてもらってないな。まぁ、いっか。
「いつまでくっ付いているんですか?」
「どうしたの? お兄さんがとられて嫌?」
「こいつ好きな人がいますからそこまで嫌というわけではないと思いますけど」
「えっ? 誰?」
「鷲木海斗ですよ」
「あぁ。なるほど。確かにあの子はカッコいいもんね」
「あっ、そうだ。風波ごめん。あいつと仲悪くなってしまったから仲を持てなくなった」
「ううん。別にいいよ。今はお兄ちゃんさえいれば」
「そう言ってくれると嬉しい」
そんな他愛もない会話を交わしていると小西先生がやって来た。しかし、すぐに睨んでくる。
「今から診察をするんだよ。君ならこれでわかってくれるよね?」
少し考えると思いついたのでコクリと頷く。そして、この部屋から出ようとする。
「えっ? お兄ちゃんどこに行くの?」
「ん? 普通に病室前にある待合室だが」
「どうして? ここにいればいいのに」
「あぁ、それな。それには深いわけがあるんだ。子供のお前だとわからないだろうな」
「むー。子供扱いしないでよ。それくらいわかるよ」
頬をプクーと膨らませていた。
はは。やっぱり子供だな。年齢は確かに十五だから燕野と同じか。まぁ、あくまで外見だけの話だけどな。内面はやっぱり十歳のままだな。仕方ないっちゃ仕方ないけどな。ここは少しいじわるをするかな。
「なら、俺がここにいたらダメな理由を言ってみて」
「そうだな。うーん。あっ! 自分が犯罪者だから!」
「三角。いつもならそうだし今も一応はその理由もある。けど今回はさらにメインの理由がある」
「うーん」
しばらくの間、考えるが全く答えは出てこないようだ。
「降参。だから教えて」
「今からお前の診察をする。その診察には服を脱がす必要がある。ここまで言ったらわかるよね?」
「別にあたしは構わないけどな」
「お前が構わなくても俺と周りは構うの」
「わかったよ。我慢する。診察さえ終わったらまたすぐに会えるしね」
「はは。また会えるな」
そう言い俺はベットから離れる。小西先生に近づき肩を叩く。かなり失礼だと知っているがこうしないと変な声を出される。
「あとは頼みます。あの人らを呼んでも大丈夫ですよ」
彼女の耳元で囁いてから俺は病室を出た。そして、近くにある窓を開ける。どうやら鍵は閉めていないみたいだ。窓から外に出て落下防止のための手すりに掴まりながら開けた窓を閉める。すぐに放して「いけ。飛翔」と呟いてSMSを起動した。そうして、俺はこの病院から離れて今の自宅へと向かった。
♦︎
突然、地震でも起きたのか思うほどの大きな揺れに世界が包まれる。
「「なに!?」」
体を寄せ合い眠っていた音と谷は同時に同じことを言い、同時に起き上がる。二人はさっきの現象を起こした原因の歯車を見る。その歯車は一回り大きくなり世界の水平線と地平線が一部壊れているように感じた。しかし、壊れていないことも知っている。
「なに? あれ?」
「わからない。でも、この世界のモノではないことがわかる」
「なら、一体?」
音は警戒しながらもゆっくりと近づいて行く。しかし、谷は何か危険な感じがしたので動かない。
音は歯車を怯えながらも触るとまるで何かに弾かれたかのように谷がある方へと吹き飛ばされる。谷は慌てて音を受け止められる態勢に入り終えた次の瞬間に音は谷の体の中にはと入ってきた。
音の体がめり込んできたが、全くそんなことを気づいてないかのように表情一つ変えずに受け止める。しかし、音の体が崩壊し始める。でも、その崩壊は谷の手によってすぐに収まった。
谷が音の額であろう場所に手をかざすと音の体が崩壊をやめて創造が始まった。彼女の体が些細なところまで創造されたのだ。
臓器が生まれ、血流が生まれ、骨が生まれ、筋肉が生まれ、皮膚が生まれ、五感が生まれ、体毛が生まれ、感情と欲望が同時に生まれた。
音の姿が完全に人と変わらない姿へと生まれ変わったのだ。当たり前だが、体が創造されただけなので服は着ていない。恥じらいというものが生まれているが今はそんなものよりも歓喜の方が大きかった。
「谷やったよ! 姿を手に入れた!」
彼女は黒くて長い艶のある髪をふわふわと動かしながら、黄色と赤のクリクリとした瞳を動かす。でも、谷の姿はどこにもなかった。
「えっ? 嘘でしょ? いなくなったなんてないよね?」
取り乱し始めると谷の気配を感じた。そちらに振り向くが誰もいない。でも、音だけはそこに谷がいることがわかる。
谷は体を失って魂と気配だけの存在になった。しかし、その魂も目に見えるものではない。ただ、気配だけが谷がそこにいるということを知らせてくれる。
谷が安心しているのを感じ取って音は驚愕のあまり目を見開いた。
「谷はわたしの崩壊を止めるだけに自分という存在を使って、幽霊みたいになったのね。なら、今度はわたしがあなたを元に戻す。だから、一緒にいよ」
頷いた気配を音は感じ取った。
音は谷が起こした奇跡によって復活したのだ。しかし、その復活は谷と音の世界に歪みを作ってしまった。しかし、二人はまだそのことを知らない。知っているのはこの世界の歯車のみ。




