二日目
二日目の朝日が瞼を赤く染めた。いつもなら、夢の中にいる時間だが、壁一つない砂漠では、夜明けは目覚めと共にやってきた。
水道橋の下にいる砂虫も起きており、私は眠気覚ましも兼ねて、水道橋を歩いた。
しばらく歩いていると砂が焦熱して遠景が揺らぐ、そろそろ砂虫に乗ろうかと思ったが、視界に黒いものが映った。
水道橋を跳ねるように黒いものが近づいてきていた。双眼鏡で確認すると、砂漠では珍しいことに鴉だった。両翼で飛ぶこともなく、ぴょんぴょんと歩いている。
鴉は東へ、ジョゼは西へ行くので、橋の上で二人は出会った。
「コンニチハ」
鴉が頭をたれて、挨拶をしてきた。
「コンニチハ、どこへ行くんですか?」
鴉はジョゼの横を通り、後ろへ回った。
「右の翼が怪我してしまって飛べなくなったんだ。なので世界樹の病院に行こうとしているんだよ。聞いたところによると、世界樹の医療は優れているらしいからね」鴉は思い出すように砂漠を見渡して、「僕は鶏じゃないからね。空を飛べるならもう一度飛びたいんだ」
ジョゼが右の翼を見てみると、翼は骨折したように曲がっていた。
「痛そう」
「触ってみるかい」
ジョゼが恐るおそる触ってみると、
「ぎゃああっ!」鴉が悲鳴をあげたので、ジョゼは眼が点になった。「嘘だよ」
「酷い」ジョゼがむっとすると、
「ごめんよ。そんなに驚くとは思わなかったよ。この傷はね……もう痛くないんだ。ずっと昔の古傷だからね。ただ痛みは治っても空を飛ぶことができないんだよ。だから飛べるようになりたいんだ」
「心の傷と同じね」
鴉はぴんと左の翼をはった。
「そうだね。どちらも傷だから……君の言うとおりだよ」
「空を飛べれば砂漠を歩くことも無いよね」
「そうだね。でも歩くのもなかなか楽しいよ。翼が自由だった時は歩くのが楽しいなんて思わなかった」
「君は歩き?」
ジョゼは水道橋の下にいる砂虫を指差した。
「そうか……でも今は歩いていたね」
「眠気覚ましに歩いていたの。人間って基本的に歩くでしょ。だから足の裏には動くためのスイッチがあると思うの。だから歩いてパチパチと押していたの」
「なるほど……」鴉は少し鳴いてから、「僕も飛べたときもそうだったかも知れないね」
鴉は折れた翼を見て、
「君は何処へ行くんだい?」
「私は鉱石を取りにいくの」
ジョゼが世界樹で流行っている病を説明した。
「そうか……なら、僕の故郷の近くだね。多分あの鉱山のことを言っているんだと思うよ」ジョゼが地図を差し出すと、鴉はやっぱりと言って頷いた。
「僕が故郷を離れてから二年ぐらいになるよ。ずっと翼を治せる医者を探していたんだ。君が世界樹へ戻ってきたら、故郷の話をしてくれないかな?」
「いいよ。故郷の花でも摘んでこようか?」
鴉は空を見上げた。「僕の故郷はイリスが有名なんだ」
「イリスって菖蒲」
「そうだよ。君はなかなか物を知っているね」
「うん。商人の娘だからね」
「イリスってのは遥か昔の神話に伝わる女神が由来なんだよ。色彩豊かな翼を持っていたと聞いたことがある。この花は僕が子どもの時から馴染んでいた匂いだ……。香りは大したことがないけど……」
「香水にもなるのに?」
「香水になるのは根茎の部分だからね。香水は良い匂いがするけど……」
鴉は遠く西側を見た。
鴉は折れた翼で鉛筆を握り、地図に故郷の位置を描いた。
×印のすぐ隣に書かれた○は慣れていないせいかグニャリと曲がっていた。
「君の名前はスターリングだよね。と言うことは、東の国の生まれだね。これから行く、西側の国は初めてかな」
「そうだね。行くのが楽しみよ」
鴉は地図を鉛筆で指し、
「ここには……」と言い掛けて、
「あっ、言わないで。楽しみにしているの」
鴉は黙った。
「君は旅が好きなんだね。真っ白なまま歩きたいのか」
「うん、未来は白紙のほうが面白いでしょ」
ジョゼは鴉と分かれる前に、鴉の頭に布を巻いた。
「黒くて熱そうだから」
布は真っ白で鴉の色と反対で美しかった。
「ありがとう」
「どういたしまして」
「大事にするよ。ボロボロになってもね」
「その時は新しいのを買ったほうがいいよ」
「いいや、僕はこれを見るたびに君を思い出すことが出来る。だから大事にするよ」
ジョゼは鴉に別れを告げて、砂虫のところへ降りて、旅を続けた。