☆+6 傷の波紋
――全治三週間。
傷は塞がるが、傷痕は例えどうやったとしても残るとハッキリと医師に断言された私は、それなら仕方がないと、あっさりとその事実を受け入れた。
そんな私に比べ、私が身を呈して守った筈の社長は、その整い過ぎた顔を、まるで不快なものでも見るかのような表情で医師の説明を聞いていた。
結局その日、私は社長から帰っていいと言われたので、その言葉に甘えて家に帰り、家族に大変心配掛けてしまい、特に父などは宥めるのに大変だった。
母が15年前に再婚して、父となった人はとても愛情深い人で、血が一滴たりとも繋がっていない私に対しても分け隔てなく、実の娘として接してくれる。そのお陰で今朝は遅刻ギリギリまで説明を求められた。
労災は出るのか、慰謝料は請求するのか、相手は訴えるのか、まさか示談に応じるつもりは無いだろうな、等と、しつこいほど。そんな父からやっとのことで逃げ出し、いざ出社してみれば。
「おはようございます、何の騒ぎですか?コレ」
会社の前には何故かカメラを構えた人と、リポーター。そしてそんな彼らを見ようと何処からともなく集まってきた野次馬の大群。
「ご存じないんですか?」
「ハイ、シリマセン。」
問いかけた相手が悪かった。
来留逵さんは今にも私を射殺しそうな眼光で、私の右頬を見るなり「チッ」と小さく舌打ちし、私に自分の着ていたフード付きのコートを脱ぎ着せ、私の手をグイグイと引っ張りながら会社に入った。
勿論、そんな私達をスクープを狙っているハイエナ共が見逃すわけもないが、そこはすかさず警備員の人達が守ってくれる。流石はプロだ、と、感心していた私に、来留逵さんは如何にも苦々しい表情で外を睨んでいた。
そして。
「弌乃宮グループの総帥がどういう理由か、突然ある会社と取引を打ち切ると先程発表しましてね。その会社と取引しているウチも取引は辞めるのかと、詰めかけている訳ですよ。」
実に忌々しげに理由を語る来留逵さんに、私は言えなかった。言えるワケがなかった。
弌乃宮グループの総帥。
それは私の父の事で、その父が先程取引中止を発表したという事は、余程腹に据えかねていたのだろう。
常日頃からあの会社と手を切りたいとブツブツ言っていた父は、私が右頬に傷をつけて帰ってきたものだから、それで決断したのかもしれない。
それにしても。
「随分と情報が行き渡るのが早いですね。発表されたのは今朝ですよね?」
いくらなんでも早過ぎはしないかと私が来留逵さんに問いかけた時、携帯がいきなり振動し、着信を知らせた。
私はそれに驚き、相手を確かめる事無く通話ボタンを押してしまった。が、それがいけなかった。携帯の向こうから聞こえてきたのは、紛う事なく父の声――。
『柚妃、仇は取ってあげたからね。この際だから、慰謝料も取ってあげようか』
「お、お父さん、ちょっとやり過ぎじゃあないかな?」
『そうかい?まだ足りない位だと思うが』
「お、お父さん、」
私のアタフタと慌てている声に、クツクツと楽しげに笑う父は、間違いなく腹黒で悪魔。普段はそんな父に逆らう事はしないが、今は話が違う。覚悟を決め、ごくり、と、唾を飲み込み、震える唇と声で、何年振りかに必殺技を使う。
「パパ?柚妃のお願い、聞いてくれる?」
『―――、聞くだけでいいならね。言ってごらん。』
相手は幾ら父とは言え、グループをまとめ上げる総帥。
私情は禁物。
「柚妃の部屋にね、赤いファイルがあると思うんだけど、それを読んで欲しいなって。きっと、パパも読めばちょっとだけ得すると思うの。」
そのファイルの中身は、私が仕事の延長線で知り得た情報。
それを読んで貰えば、目を通して貰えれば、少なくとも、いい仕事をしている下請けの小さな会社だけは被害は受けないと思う。
私のその言葉の意味を解かってくれたのか、電話の向こうの父は、いっそう愉快気に笑った。
そして。
『合格だよ、柚妃。流石は柚菜さんの娘だ。』
愛おしげに名前を呼ばれた私は、その美声に思わず腰が抜けた。
最後にとっておきの声で、『愛してるよ』と囁かれ、通話が切られた後は、私の顔色は真っ赤になっていたと思う。
私も終話ボタンを押し、携帯を鞄の中にしまい、溜息を吐き、脚に力を入れ、よろよろと立ちあがった私に待ち受けていたのは、疑惑の籠った痛い視線だった。