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日陰の恋花  作者: 篠宮 梢
33/40

☆+32 面会

 ――間に合いませんでした。


 先生のその短いたったの一言で、私は初めて身籠った子を喪ってしまった事を知った。そればかりではなく、流産の影響でコレからの妊娠も難しいと宣告された。

 でも私は不思議と涙が出なかった。

 本当に一滴も涙が溢れてこなかった。


 泣いたって子供が生き返る訳でも、お腹の中に戻る訳でもない。

 泣いたって、元に戻る訳でもない。

 あるのは喪失感と深い絶望感と寂寥感だけ。


 これから私はどうやって生きて行ったら良いんだろう。

 

 妊娠してしまったからこそ会社も辞め、家から出て、必死に生きて行こうと思っていたのに。なのに、なのにどうして、こんな事になってしまったんだろう。


 やっぱり、妻子ある社長に恋心を抱いてしまったから、こんな事になってしまったのだろうか。そうでもなければ、そうとも思わなければ、私は立ち直れない。


「あんまりよ・・・、あんまりよ・・・、神様っ、」


 私を何度苦しめたら神様は満足するの?

 何度からかい、弄んだら、私に飽きてくれるの?

 私より不誠実な事をしているだろう人達には目もくれず、どうして私だけが辛い目に逢うの?


 暗く、何処までも昏い闇と絶望が私の心を支配しかけた時、その人は茜色に輝く夕日と共に、私の前に現れた。


「――ゆず。」


 腰に響くような低くも甘い声は、この二ヶ月、忘れたくても忘れられなかった人の声。

 逢いたくて、逢いたくて、仕方なくって、逢いたくって堪らなかった人の声。でもどうして、彼が、社長が私をお兄ちゃんの様に私を呼ぶの?


 ねぇ、どうして・・・?


(まさか、まさか、よね?)


 ふっと、急に胸の内に湧き上がってきた予感は、多分きっと恐らく私の気のせい。

 だって、だって、お兄ちゃんは・・・。


「やっと逢えた。随分待たせてしまったな、ゆず。」


 優しく、何処までも優しく、私を労るかの様な、愛しむような口調は、声が変わっても確かにあの時のお兄ちゃんのモノで・・・。


 点滴のチューブに繋がれた腕を無意識の内に伸ばせば、その人は昔の様な甘やかで、優しい笑みを浮かべ、私を逞しい腕と胸の内に抱きしめてくれた。その途端、溢れ出す涙。

 子供が流れたと知らされ、これからの妊娠が難しいかもしれないと言われた時でさえ流れなかった涙が。


 おかしいモノよね。

 でも、でも、今はただこの人の胸の内で甘えていたい。

 例え地獄に落とされようとも。


「驚いたな。お前がゆずだったとは。」


「しゃ、ちょう・・・。」


「弌葉だ、ゆず。まぁ、昔のお前には【ひーお兄ちゃん】って呼ばれてたけどな。」


 昔の事を懐かしむ様に語る社長は、普段の社長と違った。

 あのどこか淀んだ瞳でも、凍てついて声でもない、ただただ、私に優しくしてくれていた時のお兄ちゃんに戻っていた。 

 

 トクリ、トクリ、と、規則正しく鼓動を打つ心音に瞼を閉じ聞き入れば、労りと慈愛に満ちたキスが、閉じられた瞼を始め・額・頬・耳・首筋と落ちてくる。


 このまま、時が止まればいいのに。

 その願いが通じたのか、はたまた、また神様の悪戯か、社長は――弌葉さんはポツリと言葉を漏らした。


「ゆず、お前は今でも俺の言った言葉を憶えているか・・・。」


「憶えてる・・・、ずっと憶えてた。あの日、別れた日からずっと・・・。」


 そう答えた私に、弌葉さんは私を抱きしめている腕にきゅっと力を入れ、決意の籠った声で私に愛の言葉を囁いてくれた。


 でもそれは果てしない遠い道のりへのスタートだった。

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