☆+29 苦い過去
御鹿倉’s、eye
じっとりとした夏独特の空気が、悔やんでも悔やみきれない過去を思い出させる。
俺は10歳のある日、突然母親に捨てられ、児童養護施設に引き取られた。
捨てられた当初こそ戸惑い、悲しんではいたが、次第に意外と冷たい現実と世間の反応に気付き始め、中学生になる頃には、人との間には鉄壁の壁を築き上げていた。
所詮は人は一人で生れ、死んでいき、この世から消え、存在を忘れられていく。
なら、最初から一人で生きて行けばいい。
大切な存在を作らず生きて行けば良い。
そんな色褪せた俺の世界を再び色鮮やかに色付かせ、花開かせてくれたのは、間もなく春を告げるだろう二月、打ち捨てられるように乳幼児室に放置された一人の幼児だった。
泣きもせず、ただ虚空を見上げていた小さな子供は、俺が抱き上げるなり、安堵したかのように瞳を閉じ、眠りについた。
温もりが最も必要な時期に捨てられた子供とも言えない子供。
自分と同じで、親の勝手で捨てられた子供。
最初は同情だったのかもしれない。
気紛れだったのかもしれない。
それでも構わずには居られなかった。
本を読んでやれば、嬉しそうに笑い、字を教えてやればきょとんとし、一緒に寝てやれば、まるで離さないと言わんばかりに抱きつき、頭を撫でてやれば、大人しく撫でられていた。
でも、それが時折り避けられる事があった。
今思えば、あれは全て痣を隠す為に俺を避けていたのだろう。しかし、当時の俺はそれに気付かず、度々その子供を構った。
暇さえあれば遊んでやり、時間さえ都合がつけば、色々な事を教えてやった。
誕生日が判らないと言えば、誕生日を作ってやり、二人で誕生日を祝ったりした。
そんな心温かな一方的な生活はある日突然終わりを告げた。
『え・・・?』
柔和な顔立ちの壮年の夫婦が、俺の手を握り、涙ながらに漸く逢えたと、喜んでいた。
聞けば、夫婦の男の方の弟の遺児である俺を、ずっと探していたらしい。
夫婦には残念な事に子供が授からず、俺を養子として引き取りたいと、施設側に願い出たらしい。だが、それは養父母の偽りだったのだと、俺は引き取られた直後知る事になる。
まぁ、兎にも角にも施設はそれを快諾し、俺は直に引き取られる事となった。
その話をしようと、あの子供を探していた俺は、信じられないモノを見た。
熱い、熱い、と泣き喚くあの子に、いつも微笑みを絶やさなかった施設の大人達が、薬缶から直接お湯を掛け、時には殴ったり蹴ったり等の暴行を加えていた。
黙ってられなかった。
見逃さずには居られなかった。
気付いた時にはその子を助け出し、抱きしめていた。
初めて心の底から守りたいと思った。
初めて人を赦せないと思った。
初めて、この世の全てを敵に回してでも、自分の腕の中にいる子供を救いたいと思った。
『ゆず、一緒に逃げよう・・・』
『・・・、』
『ゆずっ!!』
中々『うん』と言わないゆずは、全てを諦めた瞳をしていた。
しかし、その瞳は小さい子供が浮かべるような感情ではなかった。
悔しかった。
情けなかった。
辛かった。
子供を――ゆずを守れない自分が、助けてやれない自分が、情けなさ過ぎて仕方がなかった。
だから誓った。
誓った筈だった。
何物にも屈しない、指図されなくなったら迎えに行こうと。
何年経っても、いつか必ず助けに行こうと。
あの子が好きだった絵本の王子様の様に。
なのに、今の自分はどうだ。
今いるのは、利益しか考えてない愚かしい自分だけ。
「ゆず・・・っ」
別れ際のゆずの目が、何故か篠田に重なり、完全に一致した。
まさかと思いつつ、今は行方を眩ませている篠田の履歴書を見て、俺は愕然とした。
それは未だ、ゆずが片言の言葉しか話せなかった頃、ゆずが言っていた事だ。
『おにーちゃ、ゆず、おひめさまなの』
その時は意味が判らなかった。
きっと、子供の戯言だろうと思っていた。
だから気にも留めていなかった。
――篠田 柚妃。
ゆずのオヒメサマ。
正しくは妃。
「見つけた・・・。」
もう離さない。
もう後悔はしたくない。
だから・・・。
「戻ってこい、俺のゆず」
心に宿ったのは強い情念と執着心。
もう目を離さない。
逃がしてやらない。
自分でも驚くほどの歪んだ笑みを浮かべていた俺は、迷う事無く弁護士に連絡を入れていた。
全ては『ゆず』を手元に取り戻す為に・・・。