☆+20 嫌われたくない・・・。
変な緊張感と空気を破ってくれたのは、なんの悪戯か社長だった。
電話越しに聞こえるその社長の声は、心なしか掠れている上に疲れが見え隠れしている。
声だけで判断するのは間違っていると思うけれど、どうしても一つの不安が拭えない。
社長はいつも人一倍働いていて、スケジュールに空白は無い。例え余裕があったとしても、そこにはきちんと予定が入っているのを、私は知ってしまった。
人は休まなければ、いつかは倒れてしまう。
限界を超えて倒れてしまえば、身体を壊しかねない。
彼が、社長がいなくなってしまう・・・。
『どうした、篠田。聞こえてないのか?』
「い、いえ、申し訳ありません。ですが、もう一度お願いします。」
『良いか、俺は二度同じ事を言うのも聞かされるのも嫌いだ。聞いてなかったのならそれはお前の都合で、俺はそれに付き合う義理は無い。』
本当はここで落ち着いて対応すればいいと、頭では判ってはいる。
判ってはいるけれど、一度気付いてしまった想いは、気付かされ、引き出されてしまった想いは、まるで聞き分けのない子供の様に、私の心内で暴れまわっている。
緩く巻いた髪を指に絡め、必死にその狂暴な想いと戦っていると、社長はいささか呆れを滲ませた声で仕方なくもう一度用件を言ってくれた。
『休暇中のお前には悪いが、歌音を保育園まで迎えに行ってくれないか?母親は友人と出かけてな、明日の夜までいないんだ。』
社長、社長は奥さんの事を信じてらっしゃるんですね。
奥さんは貴方を、社長を裏切っているのに。
なんで、どうしてッ・・・。
急に育ち、膨れ上がってしまった私の中の黒い感情は、暴れるのではなく、涙としてその想いを露わにした。
涙は女の卑怯な武器だと、社長が言っていた。
涙で情を乞う人間や態度が一番嫌いで、虫唾が走るとも言っていた。
それを思い出した私は。
(嫌だ、いやだ、イヤッ!!)
傍にいたい。
近くにいたい。
多くは望まないから。
だから、想うだけは許して・・・。
頭を激しく横に振り、息を飲んだ。
社長はそんな私を心配してくれたのか、
『篠田?どうした、泣いてるのか?』
「っ、いいえ、ただちょっと足の小指を箪笥の角にぶつけてしまったので。判りました。お迎えに行けばいいんですね?用が済み次第迎えに行きます。お任せ下さい、社長。」
私は汚い。
心配してくれた人の想いを踏み躙り、それでもその人の心を望んでしまう。
恋って、こんなに苦しい感情だったんだね・・・。
他にも二・三の頼まれ事と言うか用件+仕事を頼まれた私は、意識して明るい声を出し、電話を切り、電話越しの会話を聞いていた人達に、誤魔化し笑いを浮かべ、その日は結局夕方まで母の代理として働いた。