☆+1 ファーストコンタクトは深夜。
――恋って、恋愛って、どんなんだったっけ?
篠田 柚妃、25歳。
職業、一般事務。
趣味、特技、特になし。
自己紹介をするのならこんな感じ。
短大を卒業して、この会社に入社して6年目。
気が付けば、どこにでもいる名も無き窓際社員になっていた。
「お疲れ様です。お先失礼します。」
定刻の18時丁度。
次々と帰っていく女子社員の中に、いつもなら私も入るけど、今日は違った。
近々、何かと色々と忙しい社長が、視察を兼ねて会社にくるらしく、今日はその為の掃除をすべく、倉庫や資料の片づけを任されているので、終わるまで帰れない。
「篠田、これもやっておけ。」
その言葉とともに、私のもとへと飛んできたのは、明日の朝イチに必要な会議用の書類。
「どうせ役立たずなんだから、これくらいやっとけ。」
倉庫の片付けもまだ残ってるし、資料まとめもまだ残ってる。
でも、逆らうことは許されてない。
私の代わりなら、掃いて捨てるほどいると言うのが、この上司達の口癖。
どうせなら、美人が良かったとも良く言う。
仕方なく、投げ渡された書類を拾い、必要な資料を集め、作成し、間違えている部分も直していく。
蔑まれ、嘲笑されることには慣れてしまった。
仕事は辞めたいとは思うけど、今の時代、再就職は犯罪を犯すことより難しい。
なにより、私は稼がなきゃならない理由がある。
「お疲れ様です、警備の者ですが・・・、篠田さんでしたか。ご苦労様です。」
「あ、すみません・・・。残業申請、してませんでしたよね。」
「署名と押印で結構ですよ。」
急いで申請用紙に書き込もうとした私に、警備員のおじさんは朗らかに笑み、残業一覧表を私に差し出した。
その表には、色々な人達の名前が書かれていた。
ほとんど走り書きのように自分の名前を書き込んだ私は、最後に判子を押して、頭を下げた。
「すみませんでした。終わったら、声を掛けますので。」
「気にしないでください。では私はこれで。」
カツコツ、と、革靴の足音が遠のいていくのを聞きながら、私は資料を確認し、印刷した。
これで、後は必要な部数をコピーし、ホッチキスで止めるだけ。
パソコンの電源を落とし、中途半端だった作業に戻れば、疲労はピークに達した。
今日は帰れそうにないなと、私は誰もいなくなった暗い部屋で、ひっそりと溜め息を零した。
☆
何時間経った頃だろうか。
必死に倉庫の片付けをしていた私は、いるはずのない人の気配を感じ、掃除の手を止めた。
時間は深夜の1時を過ぎた所。
そして、思い浮かんだのはあの警備員さん。
警備は定期的にやるから、きっとそれだろうと、私はそのまま片付けに戻った。
倉庫の中はいらない物がたくさん残っていて、中にはあきらかに使用したであろう避妊具や、腐りかけの食べ物、カビが発生し、黒くドロドロになった飲み物まであった。
「なんなの・・・。ここは」
「富士の樹海だろう。」
「そんなの、富士の樹海に失礼だわ・・・って。」
疲れた神経が遅れて反応して、私は自分の後ろにいつの間にかにいた人間の方へと振り仰いだ。
冷たい表情に、呆れた眼差し。
着ているスーツから、彼は相当のお金持ちのようだ。
時計だって、いいものに見える。
「なんだ、そんなに呆けて。」
「いえ、その時計とスーツ、高そうだなーって。あ、靴も高そう。」
私はその人の表情の変化に気付かなかった。
ただ、疲れ切った神経を休めるため、無為に喋っていた。
「やっぱり高級品は長持ちするんですかね~。あ、また止まってる。」
中学の入学祝に買って貰った時計を見れば、また針が止まっていた。
この時計は限定発売品で、もう売られていない。
修理をしようにもお金がかかる。
買い替えたくても、似たようなデザインがないのが残念でならない。
「あ~、もう寿命かな~?」
「・・・。」
深い深い溜め息が隣から聞こえた。
そして何やらスーツの上着を脱いだかと思いきや、倉庫の片付けをし始めた。
といっても、ちょこちょこ隠れて普段から掃除していたので、倉庫の片付けと言っても、必要な部品や資料を、所定の場所に置き、いらない物を捨てるだけ。
黙々とそれらを続け、朝方の4時、ようやくそれらは終わった。
私は最後にあの会議に必要な書類をまとめ、ホッチキスで止めた。
バチンっ。と、最後の1部を止めた時には、太陽が昇っていた。
今日が休みでよかった。
ふらふらになりながらも、立ち上がった私は、隣で腕を組んで立っていた人に頭を下げた。
「手伝ってくださり、ありがとうございました。」
「帰るのか?」
「はい。帰ります。」
帰って、お弁当を作って、洗濯をして、と、指折り考えていた私は、極度の疲労によって、ふつり、と、その場で糸の切れた操り人形のように意識を失った。
その後に起きたことは、私は何も知らなかった。