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Lost Angels  作者: 安楽樹
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5.病院の廊下


チャイムが鳴った。


大半の生徒が条件反射でウキウキとしてくるのが分かる。まるでパブロフの犬だ。

この2-Aのクラスでもそんな生徒の一人が、今日転校してきたばかりの女子生徒に近づいていく。

クラスの中でのヒエラルキーは、割と上の部類に入る生徒だ。名を木村、と言った。


「ねえ、七峰さん。良かったらこれから歓迎会やるんだけどどう?」


彼は、友人と思われる二名のクラスメイトを連れて、今日登校したばかりの転校生に声をかける。

七峰さんと呼ばれた綺麗な黒髪の女子生徒は、一瞬固まった後、緊張したように顔を上げた。


「あの……ごめんなさい。帰らないと」


固い表情で控えめにそういう言葉に、声をかけた男子生徒は、今日は都合が悪いものと受け取った。

少し眉根を寄せた後、何かを思いついたようにアプローチを繰り返す。


「そっか、残念だな。……じゃあさ、金曜は?」


あくまで気軽に誘ってくる男子に、茅は返事をしなかった。……そして、鞄に荷物を詰め込み終わると立ち上がる。

そのまま、彼の方も振り向かずに、足早に教室を出て行こうとする。


「悪いけど、そういうの迷惑だから。ごめんなさい」


彼女の艶のある黒髪だけが一瞬その場に残像として残り、足音は教室の中から遠ざかって行った。

残された木村という男子は、呆気に取られたようにその後ろ姿を見ている。


「え?あ、七峰さん……」


三人の男子生徒は、余った給食を貰い損ねたかのような顔で、お互いの顔を見回していた。




***




校門を出て角を曲がると、早足だった茅の歩みも、ようやくスピードを緩め始める。

小さく息を吐いていた呼吸を整えると、一瞬だけ立ち止まり、ふぅ……と溜め息を吐く。


「バリバリに壁作ってるね」


その瞬間、突然後ろからかけられた声に、茅はギョッとして振り向いた。

そこに立っていたのは、頭にバンダナを巻いた男、茅の隣の席の確か相模庸、というクラスメイトだった。

何が面白いのかは知らないが、ニコニコとこちらを向いている庸に対し、茅は不機嫌そうな顔で答える。


「何。ついてこないでよ」

「だって俺先生に頼まれたんだもん。送ってってやれって」

「そんなわけないでしょ。お断りします」


やけに馴れ馴れしく話しかけてくる庸に、茅はつっけんどんに返すが、彼は全く気にしていないようだ。

くるりと踵を返して歩き出す茅の後を、のん気に着いてきながら声をかけてくる。


「ホントホント。俺今日から茅ちゃん守り係になったから」

「そんな係ないでしょ。やめて」

「そうやってみんなとも喋ればいいのに……」

「うるさいわね!放っといてよ!」


とうとう我慢できなくなり、茅は声を荒げた後、駆け出していく。

周囲にいた何人かの生徒が、その声に驚いてこちらを振り向いた。だが、彼女はそんなことも気にせずに、一度も振り返ることなく庸の視界から遠ざかって行った。


「……しまった、怒るとこだったか……」


一人取り残された庸は、僅かに眉をしかめると、誰にも聞こえないぐらいの声で呟く。

茅の姿が彼の目から消えてしまうと、彼は静かに頭を掻きながら反対の方向へと歩き出すのだった……。




***




「すいません、これ下さい」


それからしばらくの後、花屋に立ち寄る茅の姿があった。

引越してから数日、学校での用事や地域に不慣れなこともあり、なかなか時間が取れなかった。しかし、ようやく今日時間ができたので、その帰りに茅は途中にある花屋を覗いた。


駅の近くの商店街の一角にある小さな花屋は、こじんまりとしていながらも掃除が行き届いており、清潔感のあるディスプレイが彼女の気に留まった。丁寧な店員の対応も良かった。

なので彼女は手頃なサイズの花束を買い、花屋を後にした。そして通常の下校ルートとは違う方向へ向かって歩き始めた。……しかしその表情は、さっき買った花束とは対称的に、暗い。


茅は三十分ほど歩くと、大きな病院の前で足を止めた。重々しい石でできた門柱のプレートには、『聖カタリナ病院』とある。外観はなかなかに小綺麗で、それなりに新しい建物であることが窺えた。入り口の前で彼女はしばらく病院の建物とにらめっこをしていた後、意を決して中へと入って行った。

健康な人間にとっては、眩しすぎるほど白いこの世界は、何だか居心地が悪い。心の奥に湧き上がってくる罪悪感を見ないようにしながら、茅は受付に足を運んだ。


「すいません、八代幹さんのお見舞いに来たんですが……」


決意が鈍らないようにと間をおかずにかけた声とは裏腹に、罪悪感は何故か大きくなり、茅の声を遮った。語尾はほとんど聞き取れないほどだったが、受付の人には辛うじて聞こえたらしい。

受付の若い女性が対応してくれた。


「ご面会ですね?こちらに記入して頂けますか?」


受付簿のような物を提示されたので、茅は黙って記入し始める。窓口の向こうではパソコンを操作しているらしい。

茅が記入し終わってペンを置くと、受付の女性はその紙を回収した。


「ありがとうございます。えーと、203号室ですね」

「あ、どうも」


屈託の無い、受付の女性の爽やかな対応に、茅はどこかぎこちなく返事をすると、その場を後にした。

廊下を曲がった先にある階段を登ると、彼女の目には『2F』の文字が見えてくるのだった。




***




「すごいじゃない幹ちゃん!先生も驚いてたわよ。この分じゃ退院するのも早そうね」

「はい、私には目標がありますから」


扉の向こうから、若い女の子の声と、中年の女性の声が聞こえてくる。どちらの声も、明るくて元気が溢れているのが分かる。明朗な女性のようだった。

クリーム色の引き戸の前に突っ立ったまま、茅はその扉を開けられないでいた。さっきまでのエネルギーは急激に枯渇し、俯いたままその手すら動かせないでいる。黒髪が顔の前にかかり、その表情はよく見えない。

視線を斜め下に向けた茅の耳に、再び部屋の中から活気付いた声が聞こえてくるのだった。


「へぇ~、それは初耳ね。どんな?」

「それは治るまでの秘密です」

「あら、残念」

「へへ、ごめんなさい。……ただ、私会わないといけない子がいるんです」


『私の事だ』


ギクッ……という擬音がピッタリの反応を、思わず茅はしてしまった。

僅かに首を巡らせて周囲を見回すが、幸い誰もそこにはいなかった。

居たからどうなるというわけでもないのだが、何となく見られると気まずいようなリアクションをせざるを得なかったのだ。

思わず持っていた花束が揺れ、一枚の花びらが病院の床に落ちた。


「ふ~ん、ボーイフレンド?」

「違います~ぅ。そんなんじゃないですよ」

「な~んだ、そうな……」


ガタッ


「……誰?」


看護士が扉を開ける。……だが、そこには誰もいなかった。

その足元には、かわいらしい 鈴蘭スズランの花束が置き去りにされていた。

花言葉はたしか、『幸福の訪れ』。

部屋の中から花束を覗き見た幹は、小さくて白い花々が包まれているのを見て、ふとそんな記憶を思い出す。

……その小さな鈴は、確かに彼女たちに何かの訪れを告げるように、微かに揺れていた。


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