4.国語の授業
一限は国語の授業だった。
まだ4月だからか、外は心地いい陽気に包まれ、授業を受けている生徒の八割以上がその暖かい春の日差しに誘われて、意識が外へと向かっていた。
残りのごく一部の生徒と教師のみが教科書に目を落とし、真面目に授業を行っている。
「あ~いいかお前達。ここは中間に出るからな、よく聞いとけよ?」
もったいぶって教師が咳払いを一つすると、『中間』という単語に反応した数人の生徒の瞳に輝きが戻った。
それを見た教師は満足げに話し始める。
「……世の中には、能動的に認知することはできないが、確実に存在する領域がある」
しかしそれでも半分以上の生徒たちは心ここにあらずといった状況で、教科書の落書きに夢中になる者あり、隠れてメールや本を読む者あり、スマホで呟く者あり、そして寝ている者あり……といった状況だった。
整然と並ぶ、見慣れた木製の天板と鉄のパイプで組み上げられた机と椅子の間を、どこかトランスした雰囲気の言葉が流れていく。
「その領域は確実に在るが、周波数とでも言うべきものが同調した人間にしか分からない。そして、その同調した周波数の世界を支配することができる人間も確実にいると言われている」
離れた意識の生徒に全く気付いていないかのように、教師は自分の論旨を貫いている。
あまりに真摯なその口調は、さっきまでの雰囲気とはガラッと変わり、まるで別人でも乗り移ったかのようだ。
「……仮に、私たちはその世界を【零次元】と呼んでいる。もっとも分かりやすい一つの例を挙げるとしたら、『霊』というものの存在する世界などのことだ」
僅かながら、授業を聞いていた生徒たちの動きが止まる。
それまでは教師の喋ることを断片的にでも書き留めようと、ノートにシャープペンシルを走らせていたのだが、話の内容があまりにも突飛になってきたのに気付き、手が止まったのだった。
「これは駄洒落なんかじゃないぞ?分かりやすく言えば、ということだ。他にも様々な例があるが、総称すると『精神的な世界』というのが現在の一般的な……といってもごく一部のだが、見解だ」
「あの~先生、よく分からないんですけど……」
ついに、一人の生徒が手を上げて質問した。彼はこのクラスで級長を務める人物である。青木、という名前だった。
他にも何人か、同様の感想を持ったと思われる者が同じ眼差しで教壇に立つ人物を眺めていた。
「ん~、そうか。じゃあお前達にも分かりやすい例えを教えてやろう。『幽霊』を見たことがある奴はいるか?……いないな。実際私も見たことは無い。でも、TVとかで見える人はたくさん出てるだろう。中にはインチキな人もいるだろうが、本当に見える人もいるんだと思う。そんな中には、実際に幽霊と対話してトラブルを解決する人だっている。彼らがアクセスできる時空、それが零次元だ」
「あの~先生……」
なおも級長は、教師の授業に水を差すように発言する。
教師は困った顔で、頭の右の辺りを掻いた。
「何だ青木。まだ分からんのか?他には例えば……『ポルターガイスト』なんて言う現象があるだろう。あれなんか革新的だな。零次元の住人が、この別次元に干渉することが可能だという事を証明した画期的な……」
「先生っ!」
「……ん?」
「私がよく分からないのは、『国語の時間とどう関係があるのか』って事なんですけど……」
「え?……あ、ああ。今は国語だったな。悪い悪い、じゃあ教科書に戻るか。どこまでやったっけ……」
教師は何事も無かったかのように国語の教科書を開き、芥川龍之介の羅生門を途中から読み始めた。
***
キーンコーンカーンコーン……
チャイムが鳴り、生徒たちは放課後を迎えた。それまでは眠っていた学校全体が、ざわざわと意思を持ったように喋り始める。
一方、それとは反対に非常に静かな場所があった。重厚な扉からは、外のざわめきなど一切聞こえてこない。
その部屋の中で、座っている初老の男性の前に、一人の壮年の男が立っていた。
初老の男性が口を開く。
「……どうですか?様子は」
「はい。今の所、問題無いようです」
「そうですか。でしたら結構です」
「『因子』はまだ見られませんが」
「事故があったようです。……焦らずに」
「はい」
「……くれぐれも、注意して下さいね」
「了解致しました」
初老の男性に言葉少なにそう返すと、男性は部屋から去った。静かな風を思わせる動きだった。
残された部屋の中で、初老の男性は立ち上がると目を細めて窓の外を見た。
あまりにも微か過ぎるその表情からは、彼が眩しいのか笑っているのかはおそらく誰にも読み取れなかっただろう。