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Lost Angels  作者: 安楽樹
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3.転校生の訪れ

「ちょっと茅どこ行くのーっ!まだお手伝い終わってないでしょーっ」


山奥に似つかわしくない大声が、微かな山彦となって辺りに響いた。

さらに似つかわしくない西洋風の屋敷の前で、三十代くらいの女性が大きな鍋を使って料理をしている。

今日はシチューだろうか?様々な具がじっくりと煮込まれていた。

しかしなぜこんなところで料理をしているのだろうか?……台所ですればいいのに。


「ええわいええわい、放っとけ」


そんな誰かの疑問に答える者も無く、その後ろでは、女性の母と思われる老婆が楽しそうに黒猫と戯れている。

しかし戯れているというよりは、会話をしているようだ。猫の鳴き声に、老婆は何度も頷いていた。


「お母さん、お婆ちゃんごめーん!裏山に誰か来たみたいだから行ってくる~っ!」


そんな二人の頭上から、若い女の子の声が聞こえてくる。まだあどけない、少女と表現しても差し支えのないような声だ。その声に呼ばれた鍋の前にいる女性が声が聞こえた屋敷の二階の窓を見ると、……そこには誰もいなかった。


……ん?


その窓から少し離れた空中に、声の主と思われる女の子が浮かんでいる。その少女はまるでお伽話に出てくる魔女のように、足の間に竹ボウキを挟んでいた。

いや、もっと率直に表すと、『ホウキに乗って飛んでいた』。


「ねえ茅!危ない事しないでよーっ!」


その少女に向かって、彼女の母親らしい、料理を作っていた女性が叫ぶ。とうとうその鍋からは湯気が漂い始め、シチューもおいしそうな紫色に……紫色?……何度目をこすって見ても紫色だ。紫色のクリームシチューだろうか?

そんな料理見たことない。


「わかっt……~」


シチューを何度も見直しているうちに、ホウキに乗った少女は森の方へと飛び去ってしまった。

声は最後まで届く事なく、山の奥へ消えて行く。

特に何のカラクリがあるでもなく、ただ箒は箒として浮かんでいたし、それに当然のように少女は跨って乗っていた。

ジェット燃料を燃やして火を噴くエンジンも無ければ、プロペラを回して推進力を付ける羽も無い。

それなのにその竹でできたただの箒は、新緑に染まりつつある山の麓へと一直線に飛んで行ったのだった。


「もう!全く、落ち着きのない子ねぇ」

「ほっほっ、結構結構。これちょっと、茅の様子を見ていておくれ」


老婆の声と同時に、近くから一匹のカラスが飛び立つ。まるで老婆の言葉を理解しているかのようだ。

しかしそんなこと、誰も気にする様子は無い。

まるで「しっかりやれよ」とでもいう風に黒猫がニャンと鳴き、それに「うるさいな、分かってるよ」と答えるかのようにカラスもクワァー、と返事をして飛んで行った。

その様子を見ていた老婆がふふふ、と微笑むのと同時に、紫色のシチューから「ボンッ」といって怪しげな煙が立ち上る。


母親が籠から真っ黒焦げの何かを取り出すのを見ながら、老婆は庭の薬草を採るために腰を上げる。

……これが、この家の日常の風景だった。



***



彼らの当たり前の日常の中に、ポツンと一粒の雫が落ちる。

落ちる雫の表面には、艶やかな黒髪を持つ強い眼差しをした一人の少女が映っている。

少女のその瞳は決して折れることなく、固く潤んでいた。

そしてそんな少女を見返す、二十四の瞳。


男の声が聞こえる。


「転校生の七峰茅ななみねかやさんだ。一言どうぞ」

「七峰です。よろしく」


素っ気ない挨拶と共に少女は彼らの前に現れた。

その長い黒髪がとても印象的で、それは彼女の双眸と共に、闇を思わせるような深い黒が広がっていた。僅かに聞こえた声は、低くも無いし高くも甘ったるくも無い。ただ透き通っていて、深い森に響く風の音のように聞こえた。


「ヒューヒュー!!」

「ピーピーッ!」


たった三秒で終わった自己紹介に、クラスみんなは一瞬呆気にとられたが、すぐにお調子者の男子生徒数名が指笛を吹き始めた。それを見た一部の女子生徒が、軽蔑の眼を向ける。

だが、彼女はそのどちらも全く気にすることもなく、視線すら合わせなかった。


「え?終わり?……わ、分かった。じゃあ席について」


彼女を紹介した男性教諭も、しばらく止まってしまう。だが、それすらも彼女は気にすることは無かった。

ただ、教師に示された席へと向かい、静かに歩を進める。その沈黙の動作には、まるで音すら動くことを忘れてしまったかのような静寂が伴っていた。


好奇の視線の中、彼女が教師に指定された席に歩いていくと、その直前、まるで彼女の席の隣に異物でも見つけたように、一瞬だけ足が止まった。

チラリと視線だけそちらを向けると、再び全く何も存在していなかったかのように、彼女は指定席へと着席する。

そして……また一瞬だけ、隣の席へと視線を向けた。


彼女の席の隣。

そこには、思いっきり机に突っ伏して寝ている生徒がいた。

しっかりと両腕を枕にして、顔をこちらに向けていびきを掻いている。頭にはバンダナらしきものを巻き、間抜け面で小さな鼻提灯すら浮かべている。

……正直、初対面の印象は最悪だ。


「二、二が無いんだよ……うにゅうにゅ……」

「おい誰か、相模を起こしてやれ」


きっと素敵な夢を見ているのだろう。しかめた眉と共にわけのわからない寝言を口にする彼に対して、とうとう教師も観念したようだ。溜め息とともに、呆れた声で周囲の席の生徒に指示をする。

しかし、周り中全員が不満気な顔をしており、起こそうとはしない。……どうやらこの状況は日常茶飯事のようだった。


だが教師のさらなる催促に促され、前に座っていた生徒が渋々、仕方ない……と諦めたように頭のてっぺんを突付く。……が、びくともしない。

さらに、二度、三度と突付いた。やっぱりびくともしない。

とうとうその生徒は、拳を握って勢い良く振り下ろした。


ゴグッ


結構危なそうな音がしたが、前の席の男はそのまま素知らぬ振りをして前を向く。

隣でその様子を見ていた茅は、呆然とした表情でその行方を見守っていた。

すると、動かざること山の如しを身を持って体現しているような、寝ていたその男がついに動き出したのが分かった。

ポリポリと頭のてっぺんを掻きながら、ゆっくりと身を起こす。


「何だよ~、授業が終わってから起こせよな~……」


相模という生徒は、結構な音がした頭を軽く掻きながらゆっくりと起き上がると、まだ辺りが授業中ということに気付き、不満そうな声を漏らした。

……全く自分が寝ていたことなど、何とも思っていないらしい。そして、隣の席に起きた昨日までと違う変化に気が付く。


目の前には、唖然としている茅の姿があった。

互いに目が合う。

……何故かそのまま、相模は動かなくなった。

茅の方も、そんな彼の様子を見て動きが止まる。……一体何だ?

それを見ていた教師が、すかさずフォローを入れる。


「相模、転校生だ。しばらく教科書とか貸してやれ。必要ないんだったらあげてもいいぞ?」

「七峰です。よろしく」

「……」


若干の先生の皮肉にも、茅の自己紹介にも彼は反応しなかった。

ただ、そこにこの世に存在しない物を見たかのように、呆然としたまま、じっと茅を見つめている。


「……?」


茅も意味がわからず、黙って見つめ返したままだ。

すると、微かに彼の口が動いたのが分かった。


「……美しい……」

「は?」


茅は耳を疑う。

……漫画じゃあるまいし、そんないやまさか。


「教科書ですね、分かりました先生。この相模庸、全身全霊を持ってお守りしますのでご安心をっ!!!」

「はぁっ?」


突然立ち上がり、拳を握って叫ぶ相模という男子生徒に、驚きを隠せない茅。

転校する学校を間違えたかもしれない。……そんな考えが浮かんできた。


「……まあ、よろしく頼む」


とりあえず担任はこの事態を収拾すべく、大部分の出来事には触れないようにした。

そして、気を取り直して大きく息を吸う。


「よし、じゃあ授業を始めるぞ」


担任の声がクラスに響いた。



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