24.銀の獣
一方、屋上では残された三人と、青鬼と化した青木の戦闘がまだ続いていた。
「くはははは!落ちた!……落ちたか!」
青木はさも愉快そうに高笑いを上げる。それに合わせて、静脈がむき出しの筋肉がピクピクと揺れた。そして庸が落ちたフェンスの外など、もう興味が無いかのようにくるりと振り返ると、次の獲物を狙い定めるようにジロリと三人を見た。
もう、他の生徒達は活動していない。何か暗示のようなものでもあったのか、青木が鬼と化してからは皆その場に倒れてしまい、動かない。今の所はまだ大丈夫そうだが、このままではさっき撒いた灯油に引火した炎に巻き込まれて、火ダルマになってしまう者も出てくるかもしれない……。
青木はそんなことは全く気にしていないようだったが、総一郎たち三人はそのことも気になり、八方塞がりな状態だった。早くここは何とかして、落ちた彼女たちの所へ駆けつけたいというのに……。
(くそ……!)
内心、打つ手が無いと焦る総一郎。その頭の中に、奇妙な声が響く。
(生徒達は僕が安全な場所へ移すから、何とか青木君の気を引いて……!)
(な、なんだ……?)
(あ、ごめん僕だよ長谷川だよ!)
その声に従って直哉の方を見ると、彼とバッチリ目が合って頷かれた。そしてそれだけでなく、青木の方を避けるように回りこむと、炎に近い生徒たちから引きずって入り口の方へと運んでいくのが横目に見える。
(分かった……?)
(テレパシーって奴か?ホントに長谷川なんだな?……よく分からんが、とにかく任せた)
総一郎と直哉がそんなやり取りを頭の中でしている間、光樹は一人、青木の前に進み出ていた。ニヤニヤと笑う青木が心底ムカつくかのように、睨みつけている。そして、数mも離れたまま、右の拳を固く握っていた。
「お前は……!許さんっ!『燃え盛る怒りよ。我が右手に熱く滾る炎となりて、彼の者を断罪せよ……!』」
再び光樹が激昂しながらリリックを紡ぐと、近くで燃え盛っていた炎が、ぎゅおぅと形を変えて、彼の右手に集まってくる。そしてそのままくるくると回転すると、球を描くように彼の右手に収まった。
「東条……なんだ貴様の『血』は……?どうやら風使いというわけでは無さそうだな……」
「知らねえよ喋るんじゃねえテメエは。もうお前と喋ることはねえ」
「ふふふ……」
「何がおかしいんだよっ!」
その言葉と同時に、光樹は右拳を突き出す。すると、そこに留まっていた炎の塊が、まるでマリオのファイアーボールかマジンガーZのロケットパンチのように、真っ直ぐ青木の方へと飛んで行く。わずかにオレンジ色の軌跡を描き、それは空中に絵の具で線を描いたように尾を引いた。
「ぬう……おっと!」
だが、それは既の所で青木に躱されてしまう。舌打ちをする光樹。その後の一瞬で、青木は反撃へ移ろうと構えを見せるが、それが行動に移される前に、風の衣を纏った光樹は大きくジャンプして間合いを取った。
「おい見たか!あいつ『かわした』ぞ!……やっぱり火は苦手らしいな!火だ!何とか火を奴に食らわすんだ!」
飛びながら、光樹は総一郎へ向かって叫ぶ。確かに総一郎もそれに気付いていた。……あの巨大な筋肉の塊は、確かに打撃に対しては強いが、そういう属性以外のものに対しては強くは無いのかもしれない。僅かな賭けだが、そう仮説を立てていた。そして。
(……おい!長谷川!聞こえてるか?)
(え?ああ……うん。どうしたの?)
(お前、これと同じことを東条に対してもできるのか?)
(東条君に?え……うん、できるけどどうして?)
(なら、今から伝えるこれをあいつにも伝えてくれ!それでうまく行けば……)
うまく光樹が青木を引きつけてくれている間、総一郎はある物を探して辺りを見回していた。既にさっきの光景は記憶に焼き付いている。あの時、奴があれをあっちへやったから、おそらくその軌道からするとあっちに……。
『ォォォオオーンッ……!!!』
その時、遠くから獣の遠吠えのような鳴き声が聞こえた。そしてそれは何故か、彼らには見知った声のように聞こえたのだ。ハッとして顔を上げる三人と青木。
「な……この声は……まさか!?」
「あいつ……!?」
声の聞こえた方……つまり、先ほど『彼』が落ちていったフェンスの方を見る。そこにはまだ誰もいないが、確実に彼らはその気配を感じ取っていた。しかもその気配は、先ほどまでとは明らかに異なっている。
さっきまでの彼の気配は、荒々しい暴力的な人間……いや、野生の獣に近いような獰猛さだった。だが、今感じているこの気配は……神々しいまでに研ぎ澄まされた、何かだ。例えるなら、満月の月明かりの中に佇む気高いヘラジカ。大海原の真ん中でダイナミックに跳びはねるシロナガスクジラ。……そういった類の尊さだ。見るものを圧倒させる、不思議なオーラを纏った『人間ではない何か』だった。
目を見開いて固唾を呑む彼らの前に、その気配を纏った何かが、地上から飛び出してきた。
『……ウゥウウウ……オオオォーン……!!!』
脳髄を貫くような遠吠えと共に、未だ燃え盛る屋上の床へと降り立ったのは、全身が銀の毛皮に覆われた『狼男』だった。
「相模……何だその姿は……!?」
さっきまでは余裕だった青木が、始めて動揺した驚愕の表情を見せる。まるでそれは、見てはいけない物を見てしまった時のような画だ。
「銀の体毛に黄金の虹彩……まさか貴様、《人狼》ではなく《銀狼》の……!?」
青木が最後まで言い終わるより早く、銀の狼は疾走った。
二本足ではなく、その四本全ての足を使い、低く低く走ると、一瞬で鬼の懐まで辿り着く。鬼は突然のその速度に反応できない。そして狼はそのまますれ違いざまに、前足の爪を使って鬼の腹部を切り裂いた。
「なっ……!?」
唖然とした鬼の口から、驚愕の言葉が漏れる。と同時に、切り裂かれたのは腹だけではない。その鋭い犬歯によって、右腕の肉もごっそり食い千切られているのが分かった。
『グルルルルル……』
言葉とも呻きとも鳴き声とも似つかない声が、今まさに肉を切り取った刃の間から、鮮血とともに溢れる。その一部始終を、他の面々は声も出せずに見守っていた。
「あいつ……本当に、相模……だよな?」
「だと思う……けど」
「ダメだ。もう声も聞こえない。けど、あれは相模君だと……思う」
ここまでの数々の流れから、確信は持てないまでも、あの流麗な獣が相模庸だということは、皆うっすらと感じていた。時折感じていた野性的な匂い。そして今は銀色に輝いているあのたてがみの毛並みは、何故か庸の物だと分かったのだ。
「そ……の、反抗的な目付き。貴様はやはり相模か……!しぶとい犬め、屋上から落としたぐらいではダメだったか。私直々に叩き潰してやらねばな……!!!」
「ウウウウウ……ッ!」
最早庸は、聞こえているのかどうか分からず、さっきから唸り声のようなものだけで、言葉を話そうとしない。故に、周りの彼らもどうしていいか分からずに、固唾を飲んで行方を見守っていた。
だが、その様子はさっきまでとは随分変わっていた。あの狼の姿になった庸の動きは、先程までとは明らかに違う。まずはその俊敏さは見ての通りであり、ただの人間である彼らには目で追うのがやっとというほどの瞬発力を持っていた。さらに、時折鬼と掴み合う瞬間があるが、それでも力負けはしていない。……見た目の筋力では完全に劣っているように見えるのだが、獣の何かの力が働いているのか、全く押し負けていない。
そして、その猛獣のような荒々しさがにじみ出ている牙が、青木の隙を見てはあちこちの肉を食い破っていく。さっきまでとは逆転し、鮮血に染まっているのは青木の方だった。
「き……さま貴様貴様貴様ッ!!!」
さっきまでの勝ち誇った表情が消え、怒りに満ちた顔に変化した青木。勢いに任せて腕を振り回すが、それ以上の速度で動く銀狼には命中しない。辺りに真っ赤な鮮血を撒き散らしながら、暴風のように暴れ回っていた。
一方で、残された三人は倒れた生徒たちの避難を終え、人外の獣二人の戦いを遠巻きに見守っていた。最早ここが日常から外れてしまったことにも気付かず、とにかく降って湧いた災難をどう生き延びるか?……ということだけを考えていた。
「……ハァハァ……これで……準備はできたのか?」
「そうだな。仕込みはOKだ」
「じゃあ、後は……?」
「タイミングを見計らうことと、段取り通りにうまく進むかどうか……だな」
こっそりと相談すると、三人はそれぞれに散る。銀狼との戦いに集中している青鬼は、そのことにまだ気付いていないようだった。
「ウォオオオオオッ!!!」
「ガァアアアアアッ!!!」
ゴジラ対シンゴジラのように、巨大生物二匹はぶつかり合い、離れてはまたぶつかり、その度に赤いインクを撒き散らしていく。現実離れした光景が目の前には広がっていた。戦闘においては相変わらず銀狼が有利だったが、青鬼の体力は無尽蔵かのように未だ倒れなかった。それどころか、先程までとは違い、全力を出すべき相手をようやく見つけたかのように喜々として拳を振り上げている。……驚くべきタフさだった。
「うるさいオス犬めが……っ!」
隙を見せて体を切り裂かれることも気にせず、青木は落ちていた丸太を再び手に取る。素手同士の戦いから代わり、武器を持ったことで若干不利な部分が補えるようだった。間合いが広がったことで、銀狼は少し後退し、様子を窺う。
「……今だ、やれ!」
その瞬間、総一郎の合図と共に光樹と直哉が動いた。
『親愛なる透明な旅人よ、汝の宿りしひと時の安息をここにもたらさん……』
「お……重っ!」
「にゃ……ろぅっ!」
例によって光樹が厨二病のような詩を口にすると同時に、総一郎と直哉は手に持っていた何かの重そうな袋を足元に投げる。ドスッと言う重量感のある音と共に、投げ捨てられた何かの袋に対して、二人はそのまま石か何かで、包装をビリッと切り裂いた。
「んっ!?」
その時初めて、青木がそのことに気付く。事態を把握した時には既に、辺りは黒い霧のようなものに包まれていた。
「これで終わりだよ……化け物!」
視界を奪う黒霧の中で、総一郎の声がどこかから聞こえてきたのだった。