21.鬼
……そうして、状況は冒頭のシーンへと戻る。
「があああああぁぁっ!!!」
「何だ!?何でこんなことになった?一体何なんだよ!!!」
「知るかっ!こっちが知りてえよっ!」
「おい前見ろっ!」
「来るよ!気をつけて!」
あらかたのクラスメイトたちをちぎっては投げ、ちぎっては殴って片付け、とうとう級長である青木一人になったかと思った時。
「惰弱な血筋風情が、ここまで歯向かうとはな……」
さっきまでとはまるで違った異形の姿になってしまった青木が、ゴキゴキと首の関節を鳴らしながら、めんどくさそうに喋る。
大きさで言うならば、横綱級の相撲取りのような体格である。だが、横綱とは違い、完全にその体は筋肉の塊で覆われていた。
静脈が体表まで浮き出ているためか、うっすら紫がかったチアノーゼのような肌の色を醸し出している。
急速に体内の新陳代謝が進んだように見え、そのせいか髪も急激に伸びてざんばらな形に変貌した。
「な……な……!?」
一番近くにいた庸が、言葉も無くして呆然としている。
それはそうだろう。一番後ろから見ている私だって、何がなんだか分からない。それどころか、完全にお伽話の中にでも迷い込んでしまったと思った方がしっくり来るぐらいだと茅は考える。
それぐらい、現実離れした光景を目の当たりにし、茅は一瞬気が遠くなりそうなのを、首をブルブルと横に振って意識を戻した。
「お、お前一体何なんだ……⁉︎」
「青木君……⁉︎」
それ以上の言葉は口に出せず、庸の後ろにいた男たち三人も、足が竦んだまま動けないでいた。
「おや、さっきまでの威勢はどうしたんだ?すっかり腰が引けてるみたいじゃないか……ほら!」
余裕の口調で青木はそう言うと、楽しそうに庸の方へ向かって踏み出した。体の質量そのものが狂ってしまったのか、コンクリートの床がパキパキと音を立てて砕け始める。
庸は、青木のその様子は見えていたが、ここで避けたら奴はそのまま後ろへ行くだろうと考え、慌てて身構える。
そしてそれと同時に、青木は庸の目の前まで来ると、大きく拳を振りかぶるのだった。
「そーうらっ!」
半ば無邪気に見えるくらいに振り上げた拳を、ブォンと大振りで振り回す。それを庸は、両腕を目の前にかざして受け止めようとした。……が。
「んぎぁっ!」
持ってかれた。
……そんな表現がぴったりだと思ったほど、庸の体は起き上がり小法師人形のように、呆気なく吹っ飛ばされていた。
辛うじてフェンスにぶつかり、その壁を大きくひしゃげて彼の体は止まった。だが、庸はそのまま動かない。気絶してしまったのだろうか……?茅の心に不安が宿る。
「相模!」「相模君⁉︎」
それぞれに叫ぶ。……だが、彼らも他の人間を心配している場合では無かった。
「脆いな。やはり血が弱い」
さっきから、やたらと血に拘る青木。さっきから青木の心を『聴いている』直哉はそう思った……そして。
「気を付けて!こっちに来る!」
「って言われてもなぁ……。あの馬鹿力を吹っ飛ばすほどの間抜け力、どうすりゃいいんだよ?」
「……」
確かに、言葉を放った直哉にもその解決策は思い浮かばない。総一郎も黙ったままだ。
だが、退くこともできず、進むこともできずに校庭の二宮金次郎像のように動けなかった彼らの前に、光樹が一歩進み出た。
「くっそ、やるだけやってみてやるよ……!『吹き荒れよ目に見えぬ空の漣よ……』」
両足を大きく開き、両腕を真っ直ぐ変貌した青木へと向ける光樹。すると、先ほどのように、彼の両腕を中心として空気が渦巻いていくのが分かった。そして数秒も立たないうちにそれは大きな竜巻のような風切音と共に青木へと迸っていく。
ぎゅおおお、と周囲にいた者たちの耳をつんざくような悲鳴を上げて巻き起こる旋風は、間違いなくさっきの生徒たちを吹き飛ばしたものよりも大きかった。
だが。
「くっくっく。快気、快気」
「チッ、なんだありゃ……!あの風でビクともしないなんて、どんな質量だよ!?」
少し煩わしそうに目を閉じただけで、ミニチュアなゴジラのような体をした青木は、何も起きなかったかのようにそのまま歩いてくる。そこから逃げることは彼のプライドが許さなかったからか、目の前まで来ても光樹はその場から動かない。しかし、驚愕したように目を開いたまま、何をするでもなく立ち尽くすことしかできなかった。
「邪魔だぞ、東条」
コバエでも払うかのように、青木は光樹を左腕で薙ぎ払った。決してそれは勢いのある動きではなかったが、それでも青木の腕を両手でガードした光樹は、体ごとふっとばされた。
「ぐぉっ!」
「東条!」「東条君っ!」
庸の時と同じように叫ぶ仲間たちの声を聞きながら、光樹はフェンスへと激突する。そのまま地面にくずおれて膝を着いた。意識は普通にあるようだが、立ち上がる様子は見えない。
「……くっ、風があったから無事だったが、まともに食らってたら……」
そんな呟きが聞こえてくる。さっきふっ飛ばされた庸の体はまだ動かない。
その様子を見ていて、他の二人も完全に動けなくなってしまったらしい。茅を背にしながら、その場に凍りついたように立ち竦んでいた。
「青木君……一体何なの?あなたは……」
呆然とした様子で、茅が呟く。
その姿を見て悦に入ったのか、青木はわざと彼らの周囲をグルグルと歩きながら、一人で語りだした。
「メディチ家の家系ともあろうものが、勉強不足だなぁ……。いいだろう。特別に講義してあげようか。我々の『血』についてね」
ククク、と気味悪げに青木は笑いを堪える。その異様な体格とのギャップを感じて、直哉は違和感を覚えた。青木はまるでテスト前の出題範囲を語る教師のように、こちらのことなど気にせずに滔々と語る。
「日本人なら誰でも知っているだろう?そう『鬼』だよ。古来より昔話などで語られてきている『アレ』さ。中華圏では幽霊のように扱われているようだけどね。やはり日本では妖怪のような、特別な生物というニュアンスが強い」
鬼。……正しく異形となった彼の姿を例えるならば、その言葉がピッタリだった。巨大な体格、人間離れした筋力、額の角……それらはどれも、伝承に伝わる鬼の様子そのものだ。そしてどこか他人事のようにそれを語る青木。総一郎は、自らの頭脳の中にあるデータベースを引っ張り出しながら、密かに眉をひそめた。
「……そしてある時から、僕の中にその血が受け継がれていることに気付いたんだ。同時に、おとぎ話に伝わる鬼が、実在するってことにもね。マンガやアニメの世界の中だけでない、鬼は実際に存在する生き物なんだ」
「魔女の次は、鬼かよ……」
膝を着きながら、光樹が言う。先ほどのダメージから、何とか回復して立ち上がっていたが、まだふらついている。流石にあの勢いでフェンスに叩きつけられては、無傷とは言えないようだ。フェンスにもたれかかりながら、青木の方へ注意を向けていた。
「君たちにも分かるだろう?この圧倒的なまでの血筋が!完全に人間を超越したこの力が……。今まで脆弱な人間だったことが馬鹿馬鹿しくなるくらいの変化だったよ。その力は、筋肉の組成までも変えるほどの急激な遺伝子の変化……そう、『選択的指向性進化』なんだよ!」
そこまで言って、高らかに叫ぶ青木。両手を広げ、仁王立ちになり、まるで世界で自分が一人だけ先んじて進化したかのように、恍惚感に浸っているようだった。
鬼の血。……果たして本当にそんなものが存在するのだろうか?にわかには信じられないような話だったが、実際に目の前の男はそれに近いような姿になっている。いや、姿だけでなく、その強大な力に関しても全く言う通りのような惨状だ。
「本物の鬼、だと……?」
唖然とした表情で、総一郎が驚きを隠せないでいる。彼の頭脳のデータベースの中にも、現実に鬼が存在するなんて、眉唾ものの話の中でしか聞いたことがなかった。だが、目の前の存在を見ては、信じざるを得まい。本当にアレが鬼だと仮定しての話だが……。
鬼伝説の中では、『実は正体は白人である』という説もあるのは知っていたが、青木に関しては完全にそんな話を超越していた。あの巨大な体全てが筋肉でできているとすれば、その質量は膨大だ。確かに地面にパキパキと亀裂が起きてもおかしくはなかった。
「う……るせーな……鬼だか悪魔だか知らんが、茅ちゃんに指一本でも触れたら殺す……!」
その時、青木の背後から小さく声が聞こえた。青木を含む他の全員がそっちを見ると、トレードマークのバンダナが外れ、頭から血を流している庸が、再び立ち上がってくる所だった。その様子を見る限り、少しの間気を失っていたらしい。
「ほう……意外と丈夫な血が混じっているようだな」
「ぜぇ……ぜぇ……てめえこそ、思ったよりかは鍛えてるみてぇじゃねえか……」
完全に強がりにも見える様子で、庸が減らず口を叩く。だがその様子に青木は満足したようで、体を庸の方へ向けて、迎撃体制を整えたようだった。
「ほらほらどうした?……来るがいいハチ公め」
「るっせえよ……ッ!」
青木の挑発に乗り、庸は若干体をふらつかせながら躍りかかって行く。
それを見た他の三人も、フォローするように動き出した。
「おい!何かいい方法はないか!」
「今、考えてる所だよ……くそっ!」
「相模君、気をつけて!」
さっきの一撃を受けて学んだのか、庸も流石に真っ向から向かっていくようなことはしなかった。ふらつきながらも、巧みにフェイントを混ぜながら、直撃は食わないようにフットワークを使っている。そのおかげか、辛うじて紙一重で躱しながら、時々拳の一撃を与えていた。
……ただ、鬼と化した青木には、全く効いているようには見えない。浮き出る静脈の色が一層濃くなり、真っ青な青鬼のように見えてくる。
「みんな……!」
茅が後ろから心配そうに見守る。……いや、見守ることしか出来ない自分にやきもきしていた。なんでこの人たちは、大して親しくもない自分のためにここまでしてくれるんだろう?……さっさと逃げてしまえばいいのに。なんであんなに傷ついてまで、人のために何かできるんだろう?なんで?一体なんで……?
思い悩む茅の前で、依然として青鬼と四人の男たちの戦闘は続いていた。
庸が肉弾戦を挑む。
総一郎が空いた隙に、転がっていた鉄パイプで殴りかかる……が、全然効いていない。
時折光樹が何かを口走ると、突風や石礫が舞い上がり青鬼を撹乱する。
直哉が拾った石を投げつけるが、これは何の役にも立っていなかった……。
「しぶとい奴らめ……」
「それはこっちの台詞だよ……っ!」
若干忌々しそうに呟く青鬼に対して、庸が返す。さっきから庸は2、3度青鬼の攻撃を食らっていたが、今の所は上手に受け身を取ったり、受け流したりして致命傷は避けているようだった。だが、そんな様子にも段々衰えが見えてくる……。
「ハァ……ハァ……」
「流石の相模君も、お疲れの様子か?」
厭らしく青鬼が語りかける。
「……のやろっ!これでも食らえッ!」
いつの間にか総一郎が、屋上の片隅に置いてあった、暖房用の灯油のポリタンクを見つけていたらしい。それを青鬼がいる辺りにぶちまける。普段なら常識的にためらう所だったが、これはどう考えても異常事態だと割りきったようだ。
そして間髪入れず、ガリガリと鉄パイプで地面をこすって火花を起こす。
ゴウッ……!
屋上の一角が、突然炎上し始めた。